あまり調子が良くないなぁ。ほとんど他の人々を恨みながら生きているという感じだ。感謝の気持ちもあまり生まれてこない。なぜみんな物質的なものを大切にしすぎるのだろう。すくなくともぼくにはそう見える。
迷い、苦しみ、妥協しながら、今日一日のミーティングを犠牲にする。そうしながら何年も働いてきた。これでみんな平等だなんてなったら浮かばれないよなぁ。これで「あんたは恵まれている」なんて言われたら、それこそ投げ出したくなるよなぁ。神様は正当に配分してくれるはずである。
受難が続く。でもやることがいろいろできて楽しみ。今朝、パソコンがフリーズ。再起動かけるも、今度はBIOSすら現れず。あきらめて秋葉原に出かけた。
今、中古パソコンすごく安いね。日立のFLORA(99年モデル)がたった\3,800だったよ。一桁、間違ってないのか、いや、ほんとにこれだ。Pentium3-550MHz。とりあえず、サブ用に買っておく。自宅のパソコンが複数台(2台)となったのは、かれこれ5年ぶりくらいではないかと思われ。
結局故障したCeleron1GHzははずし、そこには、以前使って余っていたVIA-Ezra-C3の900MHzを取り付け。不安定なので、クロックダウンし800MHzで稼動。ちょっと動画とかコマ落ちするけど、こんなものでよかろう。
自動二輪教習の前半が終わった。「見極め」と言って、教習課程の技能取得を審査されるのだが、二時間オーバーしてやっと見極めをもらった。やっぱしこういうのって、反射神経・運動神経と年齢のせいだろうか。ま、あまり深く悩まないで、次へいこう。
とくにバイク買うつもりなどなく始めた教習だが、半分来たところで、やはりなんだかマニュアルクラッチのバイクが欲しくなってくる。中型最大の400ccまでは要らないが、150ccか200ccくらいが手ごろな感じ。125cc以下だと高速道路には乗れないらしい。最初はホンダカブでも……なんて考えていたが、だんだん欲が出てくるものだ。
ふたたび北九州へ。マイレージを使い切って往復。父の意識は戻らないままだが、脳にたまった血塊を抜く手術と気管切開は成功したようだった。話しかけるとまぶたが少し動く。ちらと目が開くときもあるがまたすぐに閉じる。気管を切開しているので声も出ないわけだが、意識のあるなしも確認できない。
元気なうちに親孝行しておけばよかったと後悔している。もっとできたのにと思うが、時計の針は戻らない。かといって実家やその周辺に帰って、新しい生活をできるか(できたか)というと、できもしない。小倉で研究生活はおそらくできないと思う。現実は厳しい。
息が荒かった状態からは抜け出して、肺炎も治癒して熱が下がったようである。倒れてから一ヶ月経った父の意識は、いったいどの方向に向かうのか。
病院から実家に戻ると、まだどうにか歩ける程度の母がいる。母にもできるだけのことをしておきたい。
いったん東京に戻って研究に戻ったが、また小倉に行かなくてはと思う。