ああ、わたしのことかね(笑)。昨日くらいの勢いだとまあまあ、世界に対して挑戦的になっても不思議ではなかったね。いつもの自分だったらこのあたりで「なかったこと」にしたくなって、具体的には「削除」してみたりするんだけど、今回はそれもなし。ありのままでよろしいです。病気なので。ノイローゼだしね。
仲間に支えられているという実感がやっぱり、一人でもいいからほしい。きょうは夕方それがもらえたような気がしたの。それはそれで、とても大切なつながりなのでした。わたしはきっと今、この関係性の中で唯一生きているのだった。それがわかったの。わかったのさ。
苦しいねぇ、生みの苦しみ。謙虚の仮面。正義の放棄。9年毎日歩け。来ない仲間は仲間じゃない。たくさんアフォリズムが埋もれてるなぁ。でもこの中でこそ、いろんなものをもらい、そして手渡して行くことができるのだった。
そして12番目のステップ活動をおろそかにすると、われわれは確実に死ぬのである。ああ、おそろしや。サービス活動は省略できぬ。あいやー。
ミーティングもサービスも、質より量だ。これだけは確かみたいである。
きょうも実は市ヶ谷で会議だったのだ。ああ、ミーティングへ行きたい。行けるのに行かないおまえらー、地獄に落ちるぞー。
こういうのが、いいこちゃんの自分の本音ってとこだね。他罰的で自罰的で、ああ、生きるのつらそう。他人事みたいに言うなよ。
考えてみると(振り返ってみると)、時間的なストレスのほとんど無かったときって、週3,4回のミーティングで、もう十分と思っていたし、土日もどこにも行かなかったね。そんなもんだろうなぁ。
きょうは思ったより寒くなかったので、帰りも楽でした。定期が切れていて、営団回数券で帰宅。ひさびさに中野坂上駅利用。
ここに何かしらモノを書くときというのは、何を隠そう、仲間とのミーティングに出ていない日が大半である。逆に言うと、書いていない日はほとんどミーティングに行っている。行っていると過不足なく、その日一日を十全に終えられるので、改めてここに何か書いて嚥下したり・小さく叫んだりするエネルギーもない。ここ五年ばかり、ほとんど定休日を作らずにきたが、この数ヶ月ばかり、日曜の夜のミーティングを休むようになったのだ。定休日なしでやっていても、日曜は実績的に半分くらいしか出られない。他地域巡業があるとなおさらである。
前回の結果をまだ書いていなかった。わたしや、わたしのパパやママンが入る骨壷は、浄土真宗大谷本廟に決定した。庶民が墓地なしで手軽に安く入れる、大規模納骨システムが完備されているようである。すでに伯母さんや祖母の骨が納められているらしかったが、父の持っていた「登録カード」を受付に出すと、地味な着物を着た常勤の女性(けっこう若かった)が、コンピュータにピピピッとナンバーを打ち込み、骨・住所・名前などを出力していた。そして納経のシステムにまわり、「福岡からお越しのもりたさーん」などと呼ばれ、お坊さんについていくと、本堂のほうで、短い納経をしてくれるのであった。
パンフレットを見ると、納骨システムも三段階くらい「格」があって、待遇が違うらしい。浄土真宗は庶民を差別なく救う開かれた宗派であるし、他宗派を攻撃したりしない平和的な門戸である。だからこそ魅力があるのだが、金額によって微妙な違いがあるのは、資本主義の世の中にある宗教法人なので、若干はやむなしか。広い心を持って接したいものである。
全然関係ないが、きょうある店で鶏肉の唐揚げを食べたら、ちょいと生焼けで、中から血がすこししたたっていた。あー。せっかくうまかったのに、台無しである。しかも最後の肉片を噛んだときの出来事であった。
レアが好きな人たちもいるようだが、昭和の高度成長期に育ったわれわれ貧乏世代にとって、そんなものはやはりただの「生焼け」である。あー鬱だ。死にたくなるね。ちゃんと火が通るまで揚げてくれい、と言いたい。またしばらく、あの店には行かね。
職場学校の卒業式であった。年々学生は減っている。しかし、きちんと最後までやり遂げた皆さんのラストセレモニーである。新宿京王プラザ。一流のホテルで一日過ごすのは何かセレブになったような錯覚がして気持ちいい。あのじゅうたんとか照明がよいのかなあとか、いろいろ考えてしまう。貧乏グセが子どもの頃からしっかり身についているので、そろそろ直したいところだ。
アルコールの出る席は原則欠席なので、毎度パーティーは中座している。昼間飲むと、けっこう回るんだよね。危険な場所からは離れて、隣の都庁食堂で、ひとり遅い昼食。あっさりと今日も一日が終わる。
貧乏グセから脱するために、投機以外のいろんなマネー書を読んでいるのだけれど、財布に金をかけたほうが良いとどの本にも書いてある。あまり意識をしていなかったが、ぼくの使っている財布は、小銭入れがTDKのPCカードのおまけ(タダ)、札入れがラッフルで当たった布袋(これもタダ)。タダ尽くしである。過去も思い返してみるに、もらい物の財布を何年も使っては捨て、をくり返していた。ここで意を決して、ちゃんとした財布を買いに出かけたのだが、デパートで売ってるようなものはみんな高い。1万円〜2万円。シャネルやブルガリの品をみたら、なんと9万円! タダから9万円はいくらなんでも飛び過ぎだ。それでも1〜2万円で、大して価値のあるように思えない、バーバリーやKENZOの財布を買うべきなのだろうか。価値がないと思っているあたり、貧乏グセなのかもしれない。うーん、決断できないままである。
そこで、母校のブランドショップに行ってみた。これなら買ってよかったと思うかも、という期待。本郷の赤門入ってすぐ横にコミュニケーションセンターというのがあって、小物を売っているのである。革財布見たら1万5千円前後。店員さんに聞いてみたら「銀座の和光で特注なんですよ、名入れもしますよ」と、きれいなお姉さんが微笑む。信用してもよさそうだ。ということで注文。名入れに一ヶ月かかるそうだ。しかも有料。でも貧乏グセを直す投資と思うことにする。先払いで17,650円。品物が来る一ヵ月後をじっくり待とう。