仲間たちに「あまり買わないほうが…」などとサジェッションしてる手前、自分だけは買うというわけにはいかなかったのだ。でも今年はこっそり買ってしまった。10枚連番。高額当選を果たしたら飲んじゃうかもね。いや冗談ですけど。
ブログに書く、というのはこっそりということにならないすよ。世界中に知れ渡るのがインターネットなんだし。
億はちょっと恐いので、3等の500万円くらいを希望します。当たったら椿山荘にでも一週間くらい泊まって、来し方行く末を考えますか。
自分たちのグループで内々にカラオケフェローシップ。年齢層が接近していて、選曲も近しいものが多い。なんかあまり違和感なく歌えた。今回の自分の選曲は
・硝子坂(高田みづえ)
・夏の扉(松田聖子)
・哀愁でいと(田原俊彦)
・帰って来いよ(松村和子)
・想い出のスクリーン(八神純子)
・センチメンタルジャーニー(松本伊代)
・危険なふたり(沢田研二)
・飛んでイスタンブール(庄野真代)
前回ともちょっとかぶっているが、ますます歌謡曲攻勢を強めている。開き直ってきたか、きよちゃん。事前にキーの調査も済ませ、カラオケ館で何回も練習済み。さあ来い!って感じ。しかし原曲のままでいいはずの「危険なふたり」を四つもシャープしてしまい、うわずって死にそうだった。「年上のひと、う(裏)・つ(裏)・く(裏)・しぃ・すぎーるぅ」(「裏」は裏声の意)ってな感じ。
女性ボーカルの曲が意外と好評だった。みんな盛り上がるし。昭和三十年代生まれの仲間が多かったんだよ。ぼくはかろうじて昭和四十年代なんだけど。
今度やるときは石川ひとみや渡辺真知子、サーカスや中森明菜も取り入れていこう。
いやー、待っていたアルカノイドII(リベンジオブドー)が、高田馬場のミカドで再稼動していた。うれしい。早速100円投入。およそ2ヵ月ぶりのプレイだったが、100円一枚で無事最終面までクリア。途中、左右選択を誤った場面もあったが、腕は落ちていなかったようだ。
たぶんこのソフトが稼動しているゲーセンは都内でミカドだけではなかろうか。有楽町のモンタナや秋葉原のポテトでも消えているし、だいたい1987年ヒットのアーケードゲームが動いていること自体奇跡的である。ミカドからなくなったら基板とコンパネ、ハイネス買って、自宅でできる環境を作るとするかなあ。実際この2ヵ月はそんな妄想もたびたび発生していた。最近はパソコンや携帯でかなり高度なゲームもできるようになってきたので、秋葉原からも基板ショップはほとんど姿を消しているのである。アーケード復元は難易度高そうである。でもいつか手を染める予感。
(後注:2010年の年明け後ミカドに行ったら、すでにリベンジオブドーは撤去されていました。稼働率悪いからだろうね。残念)
水曜日になるとふだん会っている仲間に会える。今回の京都のように何らかの用事でそれが一回、あるいは二回と抜けると、そのありがたさにいたく感じ入ることとなる。ふだんから状況を知ってもらっているので、とりたててあれこれ一から説明しなくてもわかってもらえるし、あるグループでよく言われていることだが、ちょっと調子が悪かったりすると「ふだんと違う!」「調子悪いの?」などと、すぐ異変に気づいてもらえる。だから建て直しもしやすいのだ。うつ状態かもしれないと気づいたりして。ため息が多かったりしたら要注意である。原因分析と、自分が助けてあげられる人のことへの気持ちの切替が必要である。
何もないがらんとしたマンションで起き、早朝出かける。英会話の授業は10:00からである。ひとまわりしたい。
金閣寺へ向かってみたが開門は九時からだった。さしている時刻はまだ7:50である。前回の経験を生かし、東本願寺へ向かってみた。やはりあいていた。しかも訪問客がたくさんいる。前回はお西(西本願寺)だったが今回はお東。ちょうど住職任命式が行われていた。
敷居の木が足に冷たい。建物は大きいが、暖房などはもちろん効いていない。でもそのほうが厳粛な気持ちになれる。なんだかやっと京都に来たという実感が湧いてくる。もう一箇所くらいどこか行きたいなと思っていたが、時間がなくなり学習センターへ。
今日も一日英会話であった。ひたすらリスニング、そして会話、最後は簡単なテスト。ドイツ語検定を思い出す。そうだ、来年は英語検定を受けよう。
昼食は烏丸七条の餃子の王将へ。本場だ。でも東京とあまり変わらない感じ。お勘定を払って店を出ると「おおきに」と言われる。ここでやはり京都だと思い直す。
夜まで授業を受けて過ごし、夕方終了。日が暮れるともう観光はできないね。バスで少し移動し、JRの西大路の駅から乗車。帰りの新幹線は結構混んでいた。22:00過ぎに自宅に到着。週末ひとり旅行も堂に入ってきたかも。
6月の京都訪問が意外と楽しかったので、半年置いて再度訪問。もちろん放送大学の面接授業受講である。内容は英会話。リスニングが中心だったが、自分のレベルにちょうど合っている感じがした。打ちのめされたTOEICから立ち直った感じである。
今回は京都学習センターでの受講だったため、当日朝九時半ごろに京都駅に着けば間に合う。前回のような高速深夜バスは疲れるし、大阪への飛行機アクセスだととんでもない時間に羽田に行かなくてはならない。少し値段が張るが素直にのぞみに乗った。7:14東京発。
じつは「のぞみ」に乗ったのは初めてかも。関西行きはたいてい飛行機だったし、旅行会社のパック新幹線はオプション料金がかからないのは「ひかり」である。JR東海ツアーズの最安は「こだま」商品だし、正規の東海道新幹線ルートはたいてい割高なので避けていたのだった。東京→京都まで2時間ちょっとで到着。すごく速い。こないだの深夜バスを考えると天と地ほどの差で、夢のようである。さらにいいことに放送大学の全科履修生が面接授業でJRを利用すると、ふつうの大学生と同じく学割が使えて、乗車券が二割引で買えるのだった。
授業はひたすらリスニングと会話。だんだん耳と口が慣れてきたかも。これまであまり意識してこなかったが、英語は線のようにつながっているのだ。「猫がその前にいる」cat in front of〜なんていうのはキャット・イン・フロント・オブではなく「キャッリィンフランラゥ」なのだ。だから聞き取れない、だから話せない、のだった。「きゃっりんふら???」となってしまう。音がつながる上にtがrに聞こえる。アメリカ人っていい加減だなあ…と印象を持ってしまうが、性格がだらしないのではなく、ぶつ切りの日本語音韻と違って、英仏系の音声はつながって流れるのである。
土曜の夜は京都市内の日割り賃貸マンションに泊まった(激安3500円)。がらんとした普通のマンションをある会社が日貸ししているようで、フロントも何もなく、ふつうの工場のような事務所で宿泊料金を支払う。その工場が賃貸経営もしている…という風情である。だからその会社の終業と思われる18:00までのチェックインになっているのであった。授業終了からけっこう急いで向かい、ぎりぎりセーフ。もちろんそのあとは鍵を預かるので出入りは自由だが、こんなに早いチェックインは初めてであった。
気を取り直し、阪急電車で嵐山へ向かう。桂で乗換え。桂離宮のある桂。嵐山に着いたら、もみじが茶色くライトアップされている。さらに山肌に光が当てられており幻想的な風景だった。川の左右もライトアップされていて、出店もたくさん出ており、ちょうどよいところに偶然出くわした感じ。
京福電車の嵐山駅のそばの茶屋に入り、松茸ごはんと湯豆腐のセットで夕食。肉気魚気はまったくなくちょっと物足りないが、これが精進料理というものだろう。嵐山は美空ひばり記念館に来て以来だったと思う。小一時間過ごしてから、路面を走る京福電車で西院まで戻り、マンションのある西大路三条へ到着。タオルサービスさえない素泊まりなので、近くの銭湯へ行った。銭湯料金は東京よりちょっと安くて410円。しかもタオルやシャンプー石鹸まで無料で貸してくれる良心的な銭湯に当たる。京都で銭湯に入るとは夢にも思わず。満足のいく温まる夜になった。
冬場は中古のバイクは苦難の道をたどる。去年もバッテリー上がりなどで苦しみ、結局サードパーティー製のバッテリーに付け替えた。その後ずっとエンジン始動もよく、夏にはエンジンオイルを自力で換えることもできた。
しかしこのごろのこの寒さ。10日くらいほっとくとエンジンがかからない。セルしかないので、何回も回しているとやはりバッテリーが上がってしまう。取り外して充電。そして起動。しかしなかなかかからずまた上がってしまう…というのを三回繰り返した。バッテリーよりエンジンが点火しないのが問題なのだ。エンジンが暖まらないのがいけない。どうしたものだろうか。
思案の上にやってみた策は、再度充電したバッテリーを装着してからセルを回す前に、エンジンに熱湯をかけるということだった。熱湯ぶっかけである。すると見事始動! すごいぞお湯の力。うれしくて丸一日バイクで走り回ってしまった。恵比寿、下馬、新宿百人町、大山幸町。ミーティングのあとも川越街道をすっ飛ばせば、10分もかからず自宅に着く。
暖かい季節を心待ちにしている。くたびれているマシンだがもう少し乗りたい。
毎年のことだが、12月に入ってからものすごい勢いで時間が流れていく。空きの日がない。今年は土日もよく塞がっているし、年賀状を買いに行く暇もない。寝る時間くらいは確保しておかないと、体力が弱ってくる。風邪を引いてからでは遅いのだ。かなり冷え切っていた月曜は、仕事帰りに銭湯へ行ってみた。あと、アウトドア用のガスバーナー買って、家で鍋焼きうどん作ったりして、忙しい割りには楽しんでいる。
仕事もあと少しである。手抜きせずに乗り切りたい。
介護についての講演会があった。残念ながら先日、奥様の南田洋子さんは亡くなった。ぼくが講演会の申し込みの振込みをした日に、偶然にも洋子さんが亡くなったのだ。でも講演会は予定通り行われた。介護の話が、亡くなったお別れの話になってしまった。
選択肢がいろいろとあるのだと思う。自分がそうならないとも限らない。両親や姉妹も。明日はわが身である。知り合いの中にも当事者になった人がいる。認知症は遠からず、発症しないような方法が見つかるかもしれないという情報もある。考えさせられる講演会だった。
数年来病院にかかることが増えている。決して何か大きな持病があるということではないのだが、健康管理に気をつけるようになってきたということだ。皮膚や呼吸器は子供の頃からあまり丈夫ではなく、喘息やアトピーに苦しんだ。それぞれ治ってはいるが、やはり鎖は弱いところから切れるものである。体調が悪くなってくるとのどや疱疹、また細かい擦り傷などがなんとなくできてくるのである。
40歳を過ぎてから健康診断や人間ドックも受けるようになった。がん保険なども大幅に見直し、入院しても安心なように手配してある。仲間の急な入院などをたびたび見るにつけ、他人事ではないという気がするからだ。ちょっとしたことでもあまり我慢しないで病院に行く。売薬で自己診断するより安全確実だし、早期発見できる。三割負担でもけっして高いという気はしない。体を見られたりしても今はなんとなく堂々としていられる。
歯医者も含め、かかりつけの病院も各地にある。対応がよくない場合はさっさと変える。歯科は新中野、皮膚科は恵比寿、眼科は新宿、内科は小竹向原、外科は葛西、などと大体決まっている。通っているとカルテもあるので安心なのである。