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2009-06-10(Wed) [長年日記]

_ 25番ポートブロック(Outbound Port 25 Blocking)解決

先日来、職場教室内からメール送信できないという報告が相次ぎ、自分の授業でも、実際にメールを送信させてみたところ全員ができないでいた。同僚と話し合っている中で、契約プロバイダが表題の25番ポートブロックを実施していることに気づき、これが原因とわかった。

詳しい内容は多くのプロバイダの広報ページに記述されているので省くが、このOP25Bはインターネットポートのうち、メール送信に標準的に使われている25番のポートを587番や10025番に変更することにより、機械的にポートスキャンして脆弱な送信サーバーを探して不正な大量迷惑メールの踏み台にする輩を撃退する効果があるのだ。外部プロバイダから不正利用されるのを防ぐのが主目的ではあるが、内部から外部の送信サーバーを利用されるときにもブロックされてしまう。職場では教室での契約プロバイダとサーバー設置のプロバイダが違うため、影響を受けてしまったようである。問題は十分な周知なく仕様を変更された点である。

原因がわかってから対策に乗り出したが、25番以外のポートでサービスを提供するにはサーバーアプリケーションの設定変更が必要である。職場設置のサーバーはFreeBSDで作ったCUI(Character User Interface)のサーバーであるため、ポート欄の数字をカチャカチャとキーボードで書き換えて「OK」と押して変更できるほど生易しくはない。かつてのMS-DOSのころのように、コマンドで設定ファイルを調べ、スクリーンエディタで該当箇所をサーチし、置き換えたらバイナリをMakeし、kill -HUPしなくてはならないのだ。

ようやくポートの書き換え箇所がわかるが25を587に変更したものの、ポートの開放方法がわからない。設定ファイルが二重、三重の構造になっているのだ。送信メールサーバーのアプリケーションであるSendmailの設定ファイル/etc/sendmail.cfは書き換えが難解なことが有名なファイルであり、それを書き換えるためのツールが何種類も存在する。有名なのはm4やCFだが、ネットで情報を探してみるとポート書き換えの方法は主にm4ベースで紹介されている。うちで使っているのはCFなのに。英語の文献などあちこちやって試してみるがなかなかうまくいかず。職場にいない時間も含め三日間くらい時間を費やした。

そしてなんとかポート開放もでき、スキャンツールで確認しても587が開くに至った。しかし肝心のメールが送達されないでキューにたまっていくのである。ほとほと疲れてしまった。もういいか。教室からメールを送るのはあきらめてもらって、送信は事務局や自宅からやってもらうか…と、書き換えたファイルを元に戻していった。そして最後にルーターのポート設定を元に戻そうとしたとき、ひらめいたのである。NATである。NATはローカルIPとグローバルIPを変換して、外と内でのアドレスをだましあうシステムなのだが、IPだけではなくポートもだませるのだ。内では25番ポートで動いているメールサーバーを、ルーターの外では587にだませばよいのだ! 実際そうしてみたらすべてうまくいった。そしてさらに、今までどおりの25番ポートを使っているソフトウェアからも、それはそれでNATを通してやれば、それもエラーは出ない。

全部解決した。三日間の苦労は何だったのだろう。でもこの問題解決のおかけで、sendmail.cfや/etc/servicesやm4,CFなどネットワーク関連のスキルがまたひとつ上がったと思う。これまでもいろいろなネットワーク問題が持ち上がるたびに、形はどうあれ解決してきたのは事実だ。これらの経験から「解決しない試練は来ない」と断言できるのがうれしい。


2009-06-09(Tue) [長年日記]

_ 電気料金最安値更新

まだまだ下がる電気代。そろそろ大底か。検針のお知らせを見ると、今月は29kWhで824円。15A基本料409円、1段料金518円、燃料費調整△50円、口座振替割引△52円という内訳である。一ヶ月824円というと単純計算しても一日あたり27円である。郵便局なんかの超低金利定期預金の利息程度だろうか。まあこれ以上下がることはさすがにないだろう。


2009-06-07(Sun) [長年日記]

_ 仲間と過ごす

ほとんど土日を仲間と過ごす週。今日も昨日に続いて(別の仲間だが)基本テキストの内容を手渡す。どんどん手渡しているが、渡せは渡すほど自分の中に入っていく感じがする。これは独占してはいけない、と直感的に思う。受け取った仲間が他の仲間に手渡すよう、強く要請しよう。サービス活動とまったく同じ構造かも。


2009-06-06(Sat) [長年日記]

_ 清瀬遠征

第一土曜の昼間に予定が入っていないときは、清瀬の施設へ話をしに行く。遠くて時間がかかるが、それがいいのだ。しかし最近自分がしている話が支離滅裂に感じることがよくある。何かが欠けているのかもしれない。

それにくらべると仲間の話は気負いがなく、正直に話しているように思う。ということは、自分は気負いがあって不正直なのかもしれない。ああ簡単だ。他の人は鑑(かがみ)と言う。

何回ここへ行ったかわからないが、時とともに周りが変わっていくのを感じる。もちろん、ぼくが初めてここへメッセージに行ったときから、今も来続けている仲間もいる。なんと二十年連続だそうだ。ぼくもそんなふうになれたらいいなと思う。

_ 川越

先月と同じく、メッセージのあと仲間と基本テキストの分かち合いをしてから川越へ。清瀬よりさらに遠い。ここも古い会場だ。13年目くらいのときに、ひとりで行って知っている人が一人もいなくて「ミーティングは初めてですか?」と聞かれたことがある。謙虚さも殿堂入りしたということの証かもしれない。ちょっと違うか…。

今は不思議なことに、ここの会場では知っている人だらけだ。歩いている場所は大して変わらないのだけれど。


2009-06-04(Thu) [長年日記]

_ カラオケ沈静化

すこし間があいたが、再度カラオケへ。先日までの激しいカラオケ渇望状態は沈静化したようだ。でも二時間ほど歌いまくる。joyは曲数が少ないと知る。次は別のシステムのある店に行こう。キヨシローだけでなく、後半はちょっと古めの歌謡曲も歌う。光GENJIがどうも思うように歌えない。ショック。サビのあとのブリッジがどうもわからなくなるのだ。それにくらべて田原俊彦とかシブガキ隊はうまく歌える。自分で歌う分にはジャニーズけっこういいかも。


2009-06-01(Mon) [長年日記]

_ 教師の側

授業を受ける話はここによく書くのだが、自分が授業をやる側の話はなかなか書きづらい。ブログに書くということは、業務に影響を与えることもあるからだ。やるからにはベストな授業を行いたいし、あれもできなかった、これもできなかったと悔いる結果にしたくはない。有限な時間と労力で、みなさんに最大の利益を与えられれば、と思っている。

実はカリキュラムの都合があって、今期の授業はこの6/1をもって終了なのだ。来週から七月末までは他の先生にバトンタッチである。補講をやったりするかもしれないし、後期の授業は未定なのだが、ともかく前半は終わったということである。

毎年学科によってインターネットカリキュラムが入る。ネットワークの基礎、つまりTCP/IPやプロトコルの説明から始まって、メールの仕組み、FTPなどをやっていき、htmlの技法に時間をかける。だいたいそのあたりで10週〜15週となるのだが、今回はそれを三時間でまとめなくてはならなかった。ダイジェストをやると細かい仕組みを知ることができない分、本当に大切なのはこことここということが、やっている側も受ける側も、ともに知るところとなったのではないかと思う。

最近放送大学で授業を受けることが多いので、自分が教師の側になったときにどういった点に注意すれば質の高い授業ができるか、気付きがたくさんあると思う。


2009-05-31(Sun) [長年日記]

_ 茨城大学での面接授業

5/30,31の土日に放送大学の面接授業(スクーリング)が、茨城大学内の放送大学茨城学習センターで行われた。今回選択したのは「親鸞と歎異抄」である。浄土真宗大谷派(東本願寺)から出版されているテキストが用いられた。

歴史的な問題ももちろん触れられたが、今回の内容は主に歎異抄の思想についてである。受講生の年齢層は大変高かった。30名近くいた学生のうち、ぼくはたぶん最年少か、あるいは2,3番目の若さだったかもしれない。先生が「お若い方もいらっしゃるので…」というたびにぼくの顔を見ていた。

絶対的信頼というテーマに差し掛かったとき、歎異抄の中の有名な文言「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」というのが示された。法然上人は親鸞の師匠で浄土宗の開祖である。すかされるとは、騙されるの意。師匠に騙されて地獄に落ちても後悔しないと思う、と言っているのである。法然上人のいる草庵「六角堂」に、親鸞が100日続けて通い続けたという話とか、親鸞の弟子唯円が、こころから浄土に行きたいと思えないという疑問を親鸞にぶつけた話など、人間同士の機微の問題がたくさん出てきた。自分の考えを使おうとすることを戒めたり、教団の分裂にどう対処してきたかについても触れられた。

今回は知識を集める感じの授業ではなかったのがよかったと思う。最後にレポートを提出したが、実家が檀家から外れて納骨を京都に移したことや、東と西についての自分の混乱の体験も書いた。自分の宗派について、再考すべきときかもしれない。帰りに歎異抄の著者とされる唯円の寺「報仏寺」に寄ろうとしたが、折からの大雨と赤塚駅からのバスがお寺に向かわなかったことを受けて、今回は断念した。前後の予定はもう少し計画的にやればよかったなと思う。

仏教はやはり葬式や法事のためだけにあるのではない。むしろ、生きるための智慧なのだと思う。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」という恩徳讃にはすこし鳥肌も立った。ぼくはこれまで身を粉にするほどの感謝のこころを持っただろうか。人生には点検が必要である。

_ 東海村

金曜の夜に水戸入りし二泊して計8コマの講義であったため、土曜の夜も少し時間があった。そこで東海村に向かってみた。学生のときに実習で宿泊した記憶が甦ってきたからである。

水戸から常磐線を日立方向に三駅ほどで「東海」駅に着く。ずいぶんと変わった感じがした。昔は二面三線の小さな駅で、跨線橋を渡って東口に出たような気がした。いまは立派な橋上駅である。九州の日豊本線の各駅もここ20年ほどで似たような変化があったのだが、関東のこちらも状況は同じようである。

授業が終わって夕方水戸を出たため、東海についたのはすでに日が暮れたあとであった。休日でもあるし、夜になって東海の原子力施設に向かう人は皆無である。寂しいバス停があるが、バスの本数もほぼなくなっており、タクシーで行くほどの強い動機があるわけでもない。

東海村には日本原子力研究所、動力炉核燃料開発事業団、そして昔お世話になった東京大学工学部付属原子力研究施設などが並んでいる。日本で最初に原子力の灯がともったのはたしかこの東海村の実験炉だと思う。この東海村にはそのような各種原子力施設がたくさん並んでいるのだ。JCOの被爆事故が起こったことでも有名になったが、電力会社の子会社や孫請けの施設も含めると膨大な数になるのではないかと思う。

駅から各施設まではかなりの距離があるので、行くのはあきらめて駅前のジャスコで食事をして帰ることにした。やはり地方都市で暮らすには自動車が必須かもしれない。平日の昼間ならば少しは動きようがあったのだが、これも思いつきで動こうとしたための不備である。

ちょっとした運命のサイコロの変化で、ぼくはこういった原子力関連の仕事をしながら、ずっと暮らしていたかもしれないのであった。自分で選んできた要素もあるが、いろんな状況が与えてくれた部分も大きい。これからだってわからないわけだが、自分の選びうる選択は幅があるのだと思う。


2009-05-28(Thu) [長年日記]

_ 勉強

ドイツ語はなかなか厳しい。もうすぐ中級に至るのだが、息切れしている。検定三級はまだ挑戦できないと思う。会話になかなかついていけない。ドイツ語どころか英語もである。英会話やるか。

生物学はなかなか楽しい。最近細胞や遺伝の勉強だ。高校では生物Iまでだった。生物IIがやりたかった。それだけなのだが。

幸福論やコミュニケーション論は、文化人類学の延長という感じがする。人類学って奥が深いね。いろいろなドグマを取り払わなければならないと感じている。偏見や思い込みがクリアされてこそ、真実の発見がある。

コンピュータの回路の勉強もやっているが、専門分野のはずなのにけっこう難航している。今朝、通勤電車の中で回路図片手にさっさっと赤字入れているかっこいい人がいた。シークエンスやレジスタのあたりで行き詰まってしまう。

この土日は茨城の大学で、浄土真宗の勉強だ。東本願寺の講師がきて、じきじきに歎異抄を教えてくださる! すごいぞ放送大学。放送だけではないのだ。むしろスクーリングの多様性こそ放送大学の醍醐味かも。

(後日談・講師のかたは東本願寺の出版社から書籍を出している、元茨城大、筑波大の教授でした)


2009-05-27(Wed) [長年日記]

_ バイクのスピード

夏が近くなり、休日にはバイクで出かけることも増えてきた。小型、中型で走るとバイクも車と同じ制限速度となる。小さな路地の20,30km/hのところでは、ほぼ制限速度を守っている。自転車や子供が飛び出してくることが多いからだ。30km/hくらいまでなら、まだとっさに止まれる。

ちょっとした大きな道路に出て40km/hとなるとそうもいかない。4速だといきなり止まるのは厳しい。一昨年、二輪の教習所では急制動の実習もあった。エンストしていいからフットブレーキとハンドブレーキを一気にかけるのである。力いっぱいかけると、横滑りして転倒する。だからかけるコツとタイミングがある。

幹線道路の50km/hだともうけっこう流れている感じである。他の自動車やバイクも50km/hなんて守ってはいない。深夜は80km/hを越えている車もある。オービス注意。つかまって免許取消になった知人もある。幹線道路でも立体交差の前後などで40km/hのところもある。制限速度を守って走っていたら、後ろから警笛を鳴らされることもあるのだ。遵守者が非難されるのは納得のいかないものだが、むしろ制限速度を変えて欲しいと思う。

うしろにパトカーがついてしまったときは、大変緊張感がある。さっさと路肩に止めて、やり過ごすのが得策だろう。そしてパトカーの後ろをついていく。きょう高円寺のあたりでちょうどそんな状況になった。制限速度を守っているパトカーに警笛を鳴らすバカはいない。なかなかいい方法である。


2009-05-26(Tue) [長年日記]

_ トップデザイン刷新

このブログに至る前の、トップページをついに刷新する気になる。人生は前進している。保留するべきものは何もない。夜は明けたし、憐憫からも脱している。ぼくにはぼくのできることをやるのみだ。

workのところには、三年前の小説も再公開した。悔いなく生きていきたい。

_ バースデー

中野で仲間のバースデーだった。会場に着くまで知らず、びっくりであった。サプライズプレゼントだったのかもしれない。本人の意向で地区委員会などに一切報告していなかったのだそうだ。数年前からチェックを怠っていた自分も反省。感謝に溢れたとてもよいミーティングだった。


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