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2009-06-01(Mon) [長年日記]

_ 教師の側

授業を受ける話はここによく書くのだが、自分が授業をやる側の話はなかなか書きづらい。ブログに書くということは、業務に影響を与えることもあるからだ。やるからにはベストな授業を行いたいし、あれもできなかった、これもできなかったと悔いる結果にしたくはない。有限な時間と労力で、みなさんに最大の利益を与えられれば、と思っている。

実はカリキュラムの都合があって、今期の授業はこの6/1をもって終了なのだ。来週から七月末までは他の先生にバトンタッチである。補講をやったりするかもしれないし、後期の授業は未定なのだが、ともかく前半は終わったということである。

毎年学科によってインターネットカリキュラムが入る。ネットワークの基礎、つまりTCP/IPやプロトコルの説明から始まって、メールの仕組み、FTPなどをやっていき、htmlの技法に時間をかける。だいたいそのあたりで10週〜15週となるのだが、今回はそれを三時間でまとめなくてはならなかった。ダイジェストをやると細かい仕組みを知ることができない分、本当に大切なのはこことここということが、やっている側も受ける側も、ともに知るところとなったのではないかと思う。

最近放送大学で授業を受けることが多いので、自分が教師の側になったときにどういった点に注意すれば質の高い授業ができるか、気付きがたくさんあると思う。


2009-05-31(Sun) [長年日記]

_ 茨城大学での面接授業

5/30,31の土日に放送大学の面接授業(スクーリング)が、茨城大学内の放送大学茨城学習センターで行われた。今回選択したのは「親鸞と歎異抄」である。浄土真宗大谷派(東本願寺)から出版されているテキストが用いられた。

歴史的な問題ももちろん触れられたが、今回の内容は主に歎異抄の思想についてである。受講生の年齢層は大変高かった。30名近くいた学生のうち、ぼくはたぶん最年少か、あるいは2,3番目の若さだったかもしれない。先生が「お若い方もいらっしゃるので…」というたびにぼくの顔を見ていた。

絶対的信頼というテーマに差し掛かったとき、歎異抄の中の有名な文言「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」というのが示された。法然上人は親鸞の師匠で浄土宗の開祖である。すかされるとは、騙されるの意。師匠に騙されて地獄に落ちても後悔しないと思う、と言っているのである。法然上人のいる草庵「六角堂」に、親鸞が100日続けて通い続けたという話とか、親鸞の弟子唯円が、こころから浄土に行きたいと思えないという疑問を親鸞にぶつけた話など、人間同士の機微の問題がたくさん出てきた。自分の考えを使おうとすることを戒めたり、教団の分裂にどう対処してきたかについても触れられた。

今回は知識を集める感じの授業ではなかったのがよかったと思う。最後にレポートを提出したが、実家が檀家から外れて納骨を京都に移したことや、東と西についての自分の混乱の体験も書いた。自分の宗派について、再考すべきときかもしれない。帰りに歎異抄の著者とされる唯円の寺「報仏寺」に寄ろうとしたが、折からの大雨と赤塚駅からのバスがお寺に向かわなかったことを受けて、今回は断念した。前後の予定はもう少し計画的にやればよかったなと思う。

仏教はやはり葬式や法事のためだけにあるのではない。むしろ、生きるための智慧なのだと思う。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」という恩徳讃にはすこし鳥肌も立った。ぼくはこれまで身を粉にするほどの感謝のこころを持っただろうか。人生には点検が必要である。

_ 東海村

金曜の夜に水戸入りし二泊して計8コマの講義であったため、土曜の夜も少し時間があった。そこで東海村に向かってみた。学生のときに実習で宿泊した記憶が甦ってきたからである。

水戸から常磐線を日立方向に三駅ほどで「東海」駅に着く。ずいぶんと変わった感じがした。昔は二面三線の小さな駅で、跨線橋を渡って東口に出たような気がした。いまは立派な橋上駅である。九州の日豊本線の各駅もここ20年ほどで似たような変化があったのだが、関東のこちらも状況は同じようである。

授業が終わって夕方水戸を出たため、東海についたのはすでに日が暮れたあとであった。休日でもあるし、夜になって東海の原子力施設に向かう人は皆無である。寂しいバス停があるが、バスの本数もほぼなくなっており、タクシーで行くほどの強い動機があるわけでもない。

東海村には日本原子力研究所、動力炉核燃料開発事業団、そして昔お世話になった東京大学工学部付属原子力研究施設などが並んでいる。日本で最初に原子力の灯がともったのはたしかこの東海村の実験炉だと思う。この東海村にはそのような各種原子力施設がたくさん並んでいるのだ。JCOの被爆事故が起こったことでも有名になったが、電力会社の子会社や孫請けの施設も含めると膨大な数になるのではないかと思う。

駅から各施設まではかなりの距離があるので、行くのはあきらめて駅前のジャスコで食事をして帰ることにした。やはり地方都市で暮らすには自動車が必須かもしれない。平日の昼間ならば少しは動きようがあったのだが、これも思いつきで動こうとしたための不備である。

ちょっとした運命のサイコロの変化で、ぼくはこういった原子力関連の仕事をしながら、ずっと暮らしていたかもしれないのであった。自分で選んできた要素もあるが、いろんな状況が与えてくれた部分も大きい。これからだってわからないわけだが、自分の選びうる選択は幅があるのだと思う。


2009-05-28(Thu) [長年日記]

_ 勉強

ドイツ語はなかなか厳しい。もうすぐ中級に至るのだが、息切れしている。検定三級はまだ挑戦できないと思う。会話になかなかついていけない。ドイツ語どころか英語もである。英会話やるか。

生物学はなかなか楽しい。最近細胞や遺伝の勉強だ。高校では生物Iまでだった。生物IIがやりたかった。それだけなのだが。

幸福論やコミュニケーション論は、文化人類学の延長という感じがする。人類学って奥が深いね。いろいろなドグマを取り払わなければならないと感じている。偏見や思い込みがクリアされてこそ、真実の発見がある。

コンピュータの回路の勉強もやっているが、専門分野のはずなのにけっこう難航している。今朝、通勤電車の中で回路図片手にさっさっと赤字入れているかっこいい人がいた。シークエンスやレジスタのあたりで行き詰まってしまう。

この土日は茨城の大学で、浄土真宗の勉強だ。東本願寺の講師がきて、じきじきに歎異抄を教えてくださる! すごいぞ放送大学。放送だけではないのだ。むしろスクーリングの多様性こそ放送大学の醍醐味かも。

(後日談・講師のかたは東本願寺の出版社から書籍を出している、元茨城大、筑波大の教授でした)


2009-05-27(Wed) [長年日記]

_ バイクのスピード

夏が近くなり、休日にはバイクで出かけることも増えてきた。小型、中型で走るとバイクも車と同じ制限速度となる。小さな路地の20,30km/hのところでは、ほぼ制限速度を守っている。自転車や子供が飛び出してくることが多いからだ。30km/hくらいまでなら、まだとっさに止まれる。

ちょっとした大きな道路に出て40km/hとなるとそうもいかない。4速だといきなり止まるのは厳しい。一昨年、二輪の教習所では急制動の実習もあった。エンストしていいからフットブレーキとハンドブレーキを一気にかけるのである。力いっぱいかけると、横滑りして転倒する。だからかけるコツとタイミングがある。

幹線道路の50km/hだともうけっこう流れている感じである。他の自動車やバイクも50km/hなんて守ってはいない。深夜は80km/hを越えている車もある。オービス注意。つかまって免許取消になった知人もある。幹線道路でも立体交差の前後などで40km/hのところもある。制限速度を守って走っていたら、後ろから警笛を鳴らされることもあるのだ。遵守者が非難されるのは納得のいかないものだが、むしろ制限速度を変えて欲しいと思う。

うしろにパトカーがついてしまったときは、大変緊張感がある。さっさと路肩に止めて、やり過ごすのが得策だろう。そしてパトカーの後ろをついていく。きょう高円寺のあたりでちょうどそんな状況になった。制限速度を守っているパトカーに警笛を鳴らすバカはいない。なかなかいい方法である。


2009-05-26(Tue) [長年日記]

_ トップデザイン刷新

このブログに至る前の、トップページをついに刷新する気になる。人生は前進している。保留するべきものは何もない。夜は明けたし、憐憫からも脱している。ぼくにはぼくのできることをやるのみだ。

workのところには、三年前の小説も再公開した。悔いなく生きていきたい。

_ バースデー

中野で仲間のバースデーだった。会場に着くまで知らず、びっくりであった。サプライズプレゼントだったのかもしれない。本人の意向で地区委員会などに一切報告していなかったのだそうだ。数年前からチェックを怠っていた自分も反省。感謝に溢れたとてもよいミーティングだった。


2009-05-25(Mon) [長年日記]

_ 祈りについての誤解

ここにもよく書いてきたことだが「祈りは通じる」と信じてきた。しかし。しかしである。最近気がついたのは、基本テキストに「自分自身のために祈ってはいけない」と明確に書いてあるのである。他の人のためになるのであればよいが、自分の欲望のために祈ってはならない。理由は明らからしい。ぼくはどうも誤解してきたようだ。

一見、ぼくの願いがかなったように見えたのは、他の人の役に立つために時間や金銭などが与えられた、というだけのことのようだった。勘違いもはなはだしかったようだ。深く反省している。神よゆるしたまえ。

_ 友人との再会

出勤途中に、20年くらい前にバンドを一緒にやっていた友人と偶然会う。こんなに生活圏が近かったとしたら、今まで会わなかったのが不思議なくらいかもしれない。

過去の人間関係は修復していないものもある。考えるきっかけが与えられているのかもしれない。


2009-05-21(Thu) [長年日記]

_ 定額給付金

板橋区を通じて、定額給付金が振り込まれた。12,000円。七月に宮崎に行くときの片道代金にちょうど相当する。財はそのまま日本航空へ横滑り。そういえばパソコンとかしばらく買っていない。

_ 親鸞上人降誕会

要するにバースデーである。死後800年以上を経ているというのに毎年浄土真宗のお寺に、たくさんの門徒が集まり念仏するというのはすごいことだ。誕生日でこれだけのイベントとなるのだから、命日はもっとすごいことになる。キヨシローの43,000人は一見大変な人数に見えたが、親鸞上人が800年間に動員した門徒数を考えたら足元にも及ばない。

仕事が休みの曜日にたまたま当たったので、築地本願寺に行った。本堂にたくさんの人たちが集まっていた。みんなすらすらと正信偈をそらんじている。ひょっとしてプロか? ぼくも負けじと暗誦しようとするが、もう20年以上唱えていないし最初の十行くらいで降参だった。

正信偈とは浄土真宗の日々の勤行で唱えるお経なのだが、違うイントネーションでみんなが唱えていることに気づいた。本願寺派と大谷派で違うのだ。微妙な違いではなく、はっきり違う。「中夏日域(ちゅうかじちいき)…」と発声するところなんて、足並みが揃わなくてずっこけそうだった。ちなみに我が家の勤行は大谷派のイントネーションだった。でも父は「本願寺派」だと言い張っているし、じっさい納骨は西大谷なのである。小一時間過ごし、本願寺をあとにする。体中が抹香くさくなったが、これも祈りのシャワーである。毎度言うが、つながりは大切にしたい。


2009-05-19(Tue) [長年日記]

_ キヨシローの声質

昨深夜(早朝)、フジテレビでまたまたキヨシローの追悼番組が放映された。5/9の青山Rock'n'Roll showの風景から始まったが、あとは少し前の生前のレコーディング風景であった。アルバム「夢助」である。このアルバムを聞くとすぐわかるのだが、キヨシローの声質が大きく変わっている。病気の進行のせいなのだろう。今回の番組でもこのレコーディング風景が映し出されていたが、声が変わってしまっているキヨシローはなんだかかわいそうにも思えた。

しかし、再度復活して登場した昨年は、元の声に戻っていたのだ。不思議な感じがする。一年だけ神さまが戻してくれたのだろうか。

_ 立川ふたたび

16日はグループで施設に行ったが、今日は個人でのボランティア。一人なので気楽にバイクを飛ばす。板橋からはだいたい一時間半かかる。

立川市役所の地下食堂で昼食。狭い食堂なのに満席になったのを見たことがない。職員の人たちはローテーションを組んでいるのかもしれない。そこそこの値段、そこそこの味。公営食堂だからといって、都庁もオリンピックセンターも決して安くはない。安さを維持しているのは大学生協くらいだろうか。

司会が終わってバイクで中野へ出る。途中多摩蘭坂を通った。キヨシローのスポットには今日もファンが花を持って巡礼していた。書置きがまた増えている。バイクで通過するとき、メーターがちょうど12,000kmを回った。中古で買ったときの指示数は8,200kmくらいだったと思う。

行きは五日市街道、帰りは東八道路。五日市街道は柳窪から国分寺までずっと並木道である。東八道路も試験場から野川公園一体は涼しくて森林浴をしている気分になる。車では味わえないドライブ感だ。


2009-05-18(Mon) [長年日記]

_ 埼玉シリーズ

少し続いていた埼玉来訪シリーズ、今回は小手指である。小手指の教会へは何度か足を運んでいるが、それでも年に2,3回程度。前回は結構寒かったときだった。こじんまりとした人数で、ここでも古い仲間の話をじっくり聞けて癒される。仲間は正直だなあ。自分はなんだかいつもメンツばかり気にしている気がしてくる。大切な気づきだ。

まっすぐ帰ってくれば自宅最寄り駅には21:30には着く。恐ろしく遠い、ということはない。でも餃子の満洲がすでにしまっている。閉店早いよ満洲。


2009-05-17(Sun) [長年日記]

_ 立川

中間施設へメッセージ。新グループで開拓したところである。当初は平日昼の司会ボランティアだったが、そのつながりで、グループで責任をもって数人で行っている。

日々プログラムでどっぷりの仲間たちに、さらにわれわれが何を言えるのか?という問題もあるのだが、われわれにはたくさんの経験がある。それを伝え、また逆にたくさんのことを伝えられもする。

みんなで連れ立って行き、連れ立って帰ってくるということ自体も効果があると思う。

_ 大塚での委員会

地区の委員会と地区イベントの打ち合わせ。最近毎回時間が押せ押せの委員会が続いていたせいか、みなが抑制を効かせつつ、効率的に進んでいる感じがした。新規の議題は出しづらい雰囲気。出すとさらに時間がかかるからだ。これはグループが増えすぎた弊害でもある。これは何とか改善しなくては我慢比べ会議になってしまう。

イベント(報告会)の打ち合わせも、必要なことのみ、会場や備品、人員配置などにしぼられる。中身のことは担当役割のひとたちにお任せである。その割り切り方がよかったのかもしれない。20:00ちょっとすぎに終了。あまり引っ張らずにみんなでさっと帰る。これでいいのかもしれない。


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