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2009-06-17(Wed) [長年日記]

_ 父の日

今週末は父の日である。昨日伊勢丹で魚の切り身を買い、クール宅急便で送るべく手配した。昨年9月より実家に帰っていない。台湾旅行みたいに、否応なく日程を入れてしまえばそれで行けるんだが、今ひとつ気乗りがしないでいる。

父の老後をそばについて伴走できないのが気がかりでいる。姉に丸投げしてしまっているのが心苦しい。

父の最近の興味は投資信託であろうか。株価の暴落でたぶん痛手をこうむっただろうなあ。欲をかかないで生きていて欲しい。それはぼく自身にも言えることなのだが。

ぼく自身のつつましい財産のポートフォリオを書いて、父に送った。流動資産、年金・共済、不動産など。自分自身も整理できたし、たぶんぼくに対して父が知りたいのはそこだろうと思ってのことである。父の日のプチプレゼントになっただろうか。

_ 天皇陛下に遭遇

昼休み食事に出て戻ってくる途中、やけに明治通りに警官が出ている。私服の人たちも交差点ごとにいる。私服警官は、ネクタイなしのスーツでイヤホンをしていて、スーツの襟元に安全クリップをつけていたりするのですぐわかる。皇室の誰かが通るのだろうと思いつつ、あまり気にも止めずに歩いていた。歩道橋を渡ろうとしたとき、車の流れがぴったり止まった。あれは信号機を操作して、交通量を減らして渋滞しないようにしているみたいである。

歩道橋をのぼろうとするぼくに、私服警官が駆け寄ってきた。「いまから天皇陛下がここを通るので、急いで渡ってください」と。???。よく意味がわからない。急ぐ? そうか、天皇陛下の車が通るのだから、その真上の歩道橋を一般の国民が歩いているのは失礼千判!頭が高い、ということなのだろう。せきたてられて、小走りに歩道橋を渡った。

渡ったところで見ていると、完全に民間車両が入ってこないようコントロールされているがらがらの道路に、白バイに先導された黒塗りの車が入ってきた。先頭の車両はダミーのようで、次の車両が天皇陛下の乗っている車である。後部座席右側に天皇陛下が乗っておられた。歩道橋を渡っていたおかげで、かなりの至近距離から顔を見ることができた。皇居での一般参賀なんかとは比べ物にならないくらい、すぐそばである。

父と確か同じくらいの歳だったよなあ、と思う。最近SPA!で小林よしのりが書いていたように、福祉や社会活動に尽力されているのであろう。あまり気安く近づくべきではないとぼくも思っているが、国家的有名人なので、こうして顔を見られるのはやはりうれしい。


2009-06-16(Tue) [長年日記]

_ 吉祥寺

立川の施設にボランティアに行ってから、昼下がりに仲間と会う。吉祥寺の街は過去の記憶になりつつある。仙川や三鷹に住んでいたときによく買い物に出た。あまり変わっていない印象。でもヨドバシカメラの進出や違法駐輪の撤去など、確実に変化はしている。

仲間と小一時間プログラムの分かち合いなど。一緒に続けてきたベースがあるので、一からやらなくてよい安堵感。次へつなぐ。

中野に移動してミーティングと夕食。今日もまた夜の雨である。昼間晴れていても傘は必須。100円傘を全部処分してから、ちょっとだけ雨の日が楽しい。


2009-06-15(Mon) [長年日記]

_ 西武新宿線急行

仲間たちがプログラムにしている小手指へ行くには、職場からとなると西武新宿線を使って高田馬場から所沢まで行く。そして池袋線に乗り換えて二駅だ。以前の住まいは西武新宿線沿線だったが、急行にはあまり乗らなかった。大変混んでいるのである。さらに夕方のラッシュ時間だ。でもまあ埼京線や田園都市線に比べたらいい方かもしれない。しかしラッシュに弱いぼくとしては、ほんの少しの区間でも骨が折れる。

高田馬場から鷺ノ宮までがおそらく最も混んでいる区間だろう。周りの人たちの靴と靴の間に立っている感じがする。体が斜めになっていると、その靴によって倒れていくのである。他人の体によって支えられている。その人たちが流れて離れていくとまさに倒れてしまう。汗に覆われながら10分近く耐える。

鷺ノ宮、上石神井で、少し人が降りるので、つり革につかまることができる。すこしほっとするがあまり身動きができない。田無でようやく空間があいてくる。人間らしく立っていられる。花小金井、小平、久米川、と普通の電車にもどる。東村山のマンションが空室になっていたとしたら、このあたりをいつも通わなくてはならなかった。板橋があいたことに感謝する。

小手指に着いたらすごい雨である。ここのところ梅雨というより夕立のようだ。しばらくこんな感じであろう。


2009-06-14(Sun) [長年日記]

_ 江戸川区へ

ゲストとして呼ばれて仲間三人と船堀へ。過去の話を中心に、一人20分程度体験談を話す。ここへよく行っていたのは地域の役割をしていたときだから、もう八年くらい経っているだろうか。それでも知っている仲間が四人いた。残念ながら古い仲間はもうほとんど出てきていないが、建物も会館の前の喫煙所も、昔のとおりである。

いくらか等身大で話ができるようになってきた気がするが、まだまだ気負いがある。司会だったからかなぁ。最近の自分のテーマは「気負いなく、正直に」である。仲間への配慮と両立するのが難しい。何も考えずただただ正直さだけを目指してぶちまけていたころのことを考えると、まるでぼくは子供のようだった。周りをたくさん傷つけてたんだよね。

できることを与えてもらったことに感謝しよう。留守番してグループを守ってくれた仲間にも感謝である。


2009-06-13(Sat) [長年日記]

_ 友人と再会

西早稲田の焼肉店で友人と再会。小一時間過去の話や今の話をお互いにする。顔や形はほとんど変わっていない気がする。学生の頃というと1985〜1990だから、もう20年近い年月が流れている。どう考えても自分も相手も老けているはずなのだが、まったくそれを感じない。不思議なものだ。

ぼく自身の話はともかくとして、相手の話に集中してみる。チェロ、iPod、大学院、職場の人間関係、頑固な人々、家族。お互いに世界は広がっているのだ。成功して大立者になったわけではないが、地の底まで沈んだわけでもない。そこそこに生きて、そこそこに楽しんでいるのである。

遠慮なくいろんな話題に飛び移れるのがいい。偏見がない関係というのはよいと思う。肩書きとか出身はどうでもよいのだ。そういう話題も出た。一個の人間だから、それなりに生きているというそれだけである。

こういった関係をいままでおざなりにしてきたかもしれない。ちょっと反省。同窓会とか大切かも。それなりに歳を取ってきたということだろうか。


2009-06-10(Wed) [長年日記]

_ 25番ポートブロック(Outbound Port 25 Blocking)解決

先日来、職場教室内からメール送信できないという報告が相次ぎ、自分の授業でも、実際にメールを送信させてみたところ全員ができないでいた。同僚と話し合っている中で、契約プロバイダが表題の25番ポートブロックを実施していることに気づき、これが原因とわかった。

詳しい内容は多くのプロバイダの広報ページに記述されているので省くが、このOP25Bはインターネットポートのうち、メール送信に標準的に使われている25番のポートを587番や10025番に変更することにより、機械的にポートスキャンして脆弱な送信サーバーを探して不正な大量迷惑メールの踏み台にする輩を撃退する効果があるのだ。外部プロバイダから不正利用されるのを防ぐのが主目的ではあるが、内部から外部の送信サーバーを利用されるときにもブロックされてしまう。職場では教室での契約プロバイダとサーバー設置のプロバイダが違うため、影響を受けてしまったようである。問題は十分な周知なく仕様を変更された点である。

原因がわかってから対策に乗り出したが、25番以外のポートでサービスを提供するにはサーバーアプリケーションの設定変更が必要である。職場設置のサーバーはFreeBSDで作ったCUI(Character User Interface)のサーバーであるため、ポート欄の数字をカチャカチャとキーボードで書き換えて「OK」と押して変更できるほど生易しくはない。かつてのMS-DOSのころのように、コマンドで設定ファイルを調べ、スクリーンエディタで該当箇所をサーチし、置き換えたらバイナリをMakeし、kill -HUPしなくてはならないのだ。

ようやくポートの書き換え箇所がわかるが25を587に変更したものの、ポートの開放方法がわからない。設定ファイルが二重、三重の構造になっているのだ。送信メールサーバーのアプリケーションであるSendmailの設定ファイル/etc/sendmail.cfは書き換えが難解なことが有名なファイルであり、それを書き換えるためのツールが何種類も存在する。有名なのはm4やCFだが、ネットで情報を探してみるとポート書き換えの方法は主にm4ベースで紹介されている。うちで使っているのはCFなのに。英語の文献などあちこちやって試してみるがなかなかうまくいかず。職場にいない時間も含め三日間くらい時間を費やした。

そしてなんとかポート開放もでき、スキャンツールで確認しても587が開くに至った。しかし肝心のメールが送達されないでキューにたまっていくのである。ほとほと疲れてしまった。もういいか。教室からメールを送るのはあきらめてもらって、送信は事務局や自宅からやってもらうか…と、書き換えたファイルを元に戻していった。そして最後にルーターのポート設定を元に戻そうとしたとき、ひらめいたのである。NATである。NATはローカルIPとグローバルIPを変換して、外と内でのアドレスをだましあうシステムなのだが、IPだけではなくポートもだませるのだ。内では25番ポートで動いているメールサーバーを、ルーターの外では587にだませばよいのだ! 実際そうしてみたらすべてうまくいった。そしてさらに、今までどおりの25番ポートを使っているソフトウェアからも、それはそれでNATを通してやれば、それもエラーは出ない。

全部解決した。三日間の苦労は何だったのだろう。でもこの問題解決のおかけで、sendmail.cfや/etc/servicesやm4,CFなどネットワーク関連のスキルがまたひとつ上がったと思う。これまでもいろいろなネットワーク問題が持ち上がるたびに、形はどうあれ解決してきたのは事実だ。これらの経験から「解決しない試練は来ない」と断言できるのがうれしい。


2009-06-09(Tue) [長年日記]

_ 電気料金最安値更新

まだまだ下がる電気代。そろそろ大底か。検針のお知らせを見ると、今月は29kWhで824円。15A基本料409円、1段料金518円、燃料費調整△50円、口座振替割引△52円という内訳である。一ヶ月824円というと単純計算しても一日あたり27円である。郵便局なんかの超低金利定期預金の利息程度だろうか。まあこれ以上下がることはさすがにないだろう。


2009-06-07(Sun) [長年日記]

_ 仲間と過ごす

ほとんど土日を仲間と過ごす週。今日も昨日に続いて(別の仲間だが)基本テキストの内容を手渡す。どんどん手渡しているが、渡せは渡すほど自分の中に入っていく感じがする。これは独占してはいけない、と直感的に思う。受け取った仲間が他の仲間に手渡すよう、強く要請しよう。サービス活動とまったく同じ構造かも。


2009-06-06(Sat) [長年日記]

_ 清瀬遠征

第一土曜の昼間に予定が入っていないときは、清瀬の施設へ話をしに行く。遠くて時間がかかるが、それがいいのだ。しかし最近自分がしている話が支離滅裂に感じることがよくある。何かが欠けているのかもしれない。

それにくらべると仲間の話は気負いがなく、正直に話しているように思う。ということは、自分は気負いがあって不正直なのかもしれない。ああ簡単だ。他の人は鑑(かがみ)と言う。

何回ここへ行ったかわからないが、時とともに周りが変わっていくのを感じる。もちろん、ぼくが初めてここへメッセージに行ったときから、今も来続けている仲間もいる。なんと二十年連続だそうだ。ぼくもそんなふうになれたらいいなと思う。

_ 川越

先月と同じく、メッセージのあと仲間と基本テキストの分かち合いをしてから川越へ。清瀬よりさらに遠い。ここも古い会場だ。13年目くらいのときに、ひとりで行って知っている人が一人もいなくて「ミーティングは初めてですか?」と聞かれたことがある。謙虚さも殿堂入りしたということの証かもしれない。ちょっと違うか…。

今は不思議なことに、ここの会場では知っている人だらけだ。歩いている場所は大して変わらないのだけれど。


2009-06-04(Thu) [長年日記]

_ カラオケ沈静化

すこし間があいたが、再度カラオケへ。先日までの激しいカラオケ渇望状態は沈静化したようだ。でも二時間ほど歌いまくる。joyは曲数が少ないと知る。次は別のシステムのある店に行こう。キヨシローだけでなく、後半はちょっと古めの歌謡曲も歌う。光GENJIがどうも思うように歌えない。ショック。サビのあとのブリッジがどうもわからなくなるのだ。それにくらべて田原俊彦とかシブガキ隊はうまく歌える。自分で歌う分にはジャニーズけっこういいかも。


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