この超低金利の時代に、よくもまあ5%を超える預金商品を作っているものだ。円定期といいながら、中味は外貨で運用しているからくりだからこそ高金利が実現しているようなのだけれど、為替手数料をいちいち取られないので素人でも手を出しやすいね。
円定期セットとパワード定期にそれぞれすこし指しこんでみた。パワード定期はニュージーランドドルが利率がいいので選択したのだが、為替がどう動くかわからないので面白いかも。五月の連休明けの円高ピークのときに、みずほとUFJで米ドル定期をすこし買っておいたのだけど、ピークの予測が見事当たって、じわじわ円安になっているのがうれしい感じ。
たった三ヶ月程度、流動資産を保留するだけで不労所得が万単位で入ってくるのって、やっぱり資本主義のメリットだなと思う。もちろん、普通に汗水流して働いたほうが、所得をえるのは簡単なのだけれど。
先日書き留めておいた特定分野の棚卸しを、きょうは仲間にじっくりと聞いてもらった。この作業が、多分プログラムの核心部分であるのだと思う。言葉に出してキャッチボールをし、そして客観的な判断が、仲間の言葉を通して語られる。もちろんハイヤーパワーの語るところなのだけれど、わたしのこころはそれを受け止めて、明日からの生活と方針にそれを生かすのだ。たくさんの間違ったことをした。しかし、資産も実はたくさんある。使い方が悪かっただけなのだ。本能そのものはけっして悪いものではなく、神様の与えてくださったものなのだと思う。
自分には果たしてこれから何ができ、何ができないのか。ここでまた6と7に取り組むのだと思う。取り組めば、また答えは出てくるであろう。
今週はよく働いた。タイムカードに管理され、就業時間中の職務専念義務を守り、次々に発生する不規則事項に対応し、気がついたらあっという間に終業である。そして数々のことを持ち越したまま、次の週となるのであった。われわれは労働力を提供して賃金を得ているわけであるが、労働そのものも提供している。とくにそれが今週は顕著であったということだろう。
業務命令のあまりないうちのような職場であっても、上司や同僚との関係の中では、自分の労働力をカードとして切っていかねばならない。カードをあまり切らないでいるほうが労働者性は増すし自分をあまり貶めないで済むこともあるが、トータルでいうとやはり何かに夢中になっているほうが、その場にいるには生き易いかもしれない。しかしながら、2004年4月に残業が一切時間外労働としてつかなくなってからは、損切りも必要と思うのであった。それが賃金労働者としては当然の身の守り方だと思うよ。
ミーティングの終わった後に、歌舞伎町あたりをうろついていることが多い。あぶないねー。西武新宿からの定期券を買っているときなんかは特にそうなのだった。ほかにもいろいろ目的はあったりするのだが、どんなに遅い時間でもわらわら人がいるから、すごい街だ。直感的に、あまりお金を持って歩かないほうがいい場所みたい。
ホストとかいっぱいいるので、いまどきはこういう格好をしてるとモテるのかなとか、参考になったりして。ふつうのサラリーマンでも、遊び人は、なんか服装とか違う気がするよ。
今日は早めに帰ってきました。
ネットで大変評判がいいようなので、先日預金口座を作ってみた。ネットからだと他行宛て振込手数料が月6回まで無料という、どこにもないようなサービスを展開している。コンビニのATMも他の都市銀行のATMも、手数料なし。すごいね。逆に、なんでほかの銀行はこれができないんだろう。
定期預金とかも他の銀行に比べて金利がダントツのようだ。財形解約して、切り替えるか……とか。
漱石の「それから」も「門」も読んだ。そして、他の読書傾向も、不倫や浮気の恋のものばかり。そうなのか。みんな、けっこうやってるんでは。それとも創作は、現実を凌駕し、代償行為なのか。それを読んでるぼくもそうかね。高橋源一郎の「官能小説家」はかなりのパンチ力があったね。あと、亀山早苗さんの存在。渡辺淳一や林真理子には、まだ手を染めていない。
書店に行くと「今のリアルな自分の関心」がたちどころにはっきりする。みんなでジュンク堂へ行こう。
中間施設へのメッセージと夜の成増のミーティング。第一土曜はこのパターンが多い。電車賃をちょっと浮かせるために、清瀬→新桜台・徒歩・氷川台→地下鉄成増で移動するケースがよくあるのだが、今日は買い物したくて素直に午後の池袋へ出た。このわたしが「買い物したくて」?? 明日は雪が降るかもよ。
黒の半袖シャツ、二重柄シャツ(黒・紫ストライプ)、ピンクのタンクトップ。メッシュカラー染料。以上。
四月末になんだかさっぱりわからない状態で無印良品に行ったのだが、今回ははっきりと、自分の趣味がわかった。ていうか、自分のセンスをただ単に、12年ほど、忘れていたのだ。ああ、なんかこないだ買ったシャツとかパンツとか靴とか、ちょっと買い直したい気分。ま、でも、自分の「かわいい系」ファッションとして使えばいいか。
染料は、髪メッシュを考えたんだが、短髪だし白髪も結構あるので、試してみたがちょっといまいち。どうせなら薄めに全体ブリーチの方がいいかも。仕事もあるので実行は慎重に執り行います。
かのRCサクセションの伝説の久保講堂ライブの未発表映像と音源が完全収録……とのことで、昨年発売されていたようである。何年かぶりでレンタルCD店に行き、借りてきたよ。定番のラブソングがたくさん入っている。25年くらい前のライブだというのに、ソウルフルで、斬新だ。
キヨシロー、若いよ。すごすぎ。29歳くらいか。現在のぼくよりなんと年下だ。当たり前だけどね。
ちょっとしたことで、非常に高揚したり、一気に落ち込んだりすることのたとえ。メールが飛んでくるたびにドキドキしている。高校2年の頃のようだ。
君はこれで何が買える? しかも二時間以内で使い切らなくてはならないとしたら。ぼくにはわからないよ。毎日あるだけ使えていたあの頃が、また懐かしくもあるが、戻りたい気はしない。
昨日のメッセージのテーマは「奇跡」であった。なんか宗教くさい響きもあるけど、われわれがこうして健康的に、そして文字通り健康に生きているのは、奇跡以外の何ものでもない。そしてこれは、自分で切り開いたりしたものではなく、まさに「与えられた猶予」であると思う。伴走者もまた一人増えた。助けるのではなく、助かる契機をもらっているという感じが最近する。
妄想にならない程度に、いまのこの、積み上げてきた生きている実感をかみしめていきたい。
2月前半に、職場の先輩が脳内出血で他界してから、どうも自分も影響を受けたのかもしれない。明日のことはわからないし、ならば今、できることをやるしかないではないか。マイナスに考えるのではなく、やりたいことから順番にやっていこう…とか。たしかに自分に都合のよい考え方もかなり入っているとは思うが、40過ぎて折り返しに入って、貰いに貰ってきたかずかずを、今度は要らないものを捨てて、そして、これだけでよいというものを探したくなってきたのである。
きょうで終わっても、何も問題ない…くらいに達観できればよいが、煩悩具足のわれわれなので、悔いてばっかしだが、ピーター神父も言われているように「きょうのわたしはこれだけでした」と、その日を生きられたことに感謝したいのである。
正直に話し合える仲間を持って、ほんとうに助かっている。むろん、ぼくは理想に近づきたいとは祈っているが、神様の与えてくれているたくさんの指標までは達することはできない。step6のところにいるのだと思う。
問題点を話し合っているうちに、自然と答えが見つかる場合も多いのだ。あと「自分が本当はどうしたいのか?」とかね。実は…とか、口実はともかく、こうなってほしいとか、子供じみた考えはたくさん浮かんでくる。
まあしかし、自分はまだまだこんなものだ。
定期的に自分の生きてきたことについて、在庫整理をするプログラムである。今回は、いま困っている問題について、スポットとも言える棚卸しをしているのであるが、書いてみると、自然と、いろいろと芋のつるのように出てくるのである。そして、これをもう一人の人と、正直に話し合う必要がある。そうすればもう、解決方法は見つかったも同然。そして、自分を変える努力、変えられないことがわかり祈る、さらに埋め合わせをしたいという気持ちになり、それを実行する…という段取りである。あープログラムは順番によくできている。やっているうちに気づくのは、この行程は、次々に奇跡をもたらすということなのであった。
夕方、労組上部団体の執行委員会であった。昨年末より、執行委員となったのである。わたしはそんなにやり手なタマではないので、名前に負けている気もするが、それなりに順番が回ってきたということで、地道にやっていこうと思う。
少々へこんでいたことも事実だったのだが、大きく振りかぶって、また元気を出していこう。同じ間違いを繰り返さないこと、物事に正面から向き合い取り組むこと、そして棚卸しと埋め合わせを徹底してやること。それで必ず解決していく。これまでもそうだったし、これからもそうであろう。そして、過去にも何度か書いているが、祈りは通じるのだ。祈り続けていることは、すべて実現してきた。すごいことだよ。