おそらく国内では外貨金利が最高水準であり、為替手数料も格安のソニー銀行に口座を開設した。無店舗なので、コストがかからないのであろう。通帳すらない。ネットでほとんどを済ませられる銀行である。決済には向かないが、預け入れはUFJや三井住友で無料でできるし、投信などもラインナップが揃っている。
ここへきて、身辺整理か。明日死んでもいいくらいの気持ちで、今日を生きていきたい。
福岡で仲間と分かち合い、小倉で感傷にひたりきってみる、そんな旅であった。
小倉では実家には向かわず、出身高校のそばを散策。折りから激しい雨。絶好の自己憐憫ムードである。
高校への通学路の踏み切り、生徒会で使っていた建物、補習科の予備校、デートで使った喫茶店。どれもみな、当時のままであった。もう20年以上経っているというのに!
そして明日からまた、現実の生活に戻るのであった。
まあ、われわれの仲間内でやる合宿と交流会みたいなものである。福岡の志賀島のそばにある「海ノ中道」というところに行って参ります。心中複雑な想いもあるのだが、きのうホームグループで話したとおりである。ま、しかし、仲間は財産、行ったら楽しんでこよう。今年になって飛行機に乗るのは3月の山口以来二回目。
ご飯の炊き失敗を「ごっちん」と呼んでいたのは、小倉だけだろうか。今朝、お釜を開けてみたらそうなっていた。ただ単に「炊飯」スイッチを入れ忘れ、夜中じゅう保温動作をつづけていたらこうなったのである。一人暮らし20年の中でたぶん二回目。すぐ捨てて炊きなおしたが、たまたま仕事のない日だったのでよかったようなものの、ふだんだったら落ち込んだだろうなぁ。もちろん今もちょっと鬱だけど。
昨日、およそ七年ぶりにPHSの機種変更をした。東芝のDL-S300から、京セラのWX300Kへと変更である。初めてのカラー液晶。そして、アニメーション・画像も初めて使える。カメラつきも初めて。初めてづくし。世間並みからは大幅に遅れをとっている。
プロバイダのメールもこれでついに遠隔地で読めるようになってしまった。土日は地方に行っているからメールは読めません…という言い訳はもうできない。そして、もっと衝撃的なのは、電話を「折りたためるようになった」のである。すごいねー。ポケットに半分のサイズで入ってるよ。
ついでにWillcom定額プランにしたし、マルチパックを使うとADSLも安いので、PCプロバイダもメアドだけ残して、接続はWillcomに乗り換えるつもり。Willcomづくしだ。
あーなんかとっても後ろ向きな人生だけど、ぼくの戻りたい場所は、昭和56年とか昭和60年とか、そこらあたりのようである。TSUTAYAで
なんていうのを曲名見てみて、しびれてしまった。そして思わず借りてくる。まざまざとその頃のことを思い出すね。高校1年〜大学受験の頃までだ。
ぼくはその頃にどうも戻りたいみたい。戻ったからといって人生がやり直せるわけではないのだが、その想い出と妄想に浸っていたい……ということのようだ。
まあなんかそういうことよりも、今を生きればいいのだけど、なかなかそうもいかないのが、この後ろ向きの人生のようである。
あと、この中には収録されていないが、アルフィーの「シンデレラは眠れない」とか、松田聖子の「Rock'n Rouge」とか、そしてキョンキョンでは「私の16才」も、たまらんねぇ。
話題の流れから言って、なんかゾクの集まりみたいだけど、そんなことはない。きょうは井荻で生コントラックの運転手の人たちの労働組合の集会があったのである。まじめで必死に働いている人たちである。労働基準法の守られていない職場は多い。そしてこれらはなかなか改善されない。だから労働者は団結して闘う必要があるのだ。当然の権利を主張するだけなのに、それに対して不当な処遇を受ける。こうしたことは是正されてしかるべきだ。
外貨定期を始めてから、意識が為替相場にたびたび向かっている。たしかに利率もいいし楽しいのだが、銀行の手数料は高すぎることに気づく。四千ドル預けたら4000円の手数料を「わたし」から取り、それを円に戻すと、また「わたし」から4000円取るんだよ。この「わたし」から取るというところがいかんね。もうけている人たちから公平に、とか、国と業者とわたしと三等分とかならまだ納得行くのだが、「わたし」からだけ取るのである。
証券会社やネット銀行だと、この取り分がやたら安いことを後から知る。あー悔しい。でも経験してみてはじめてわかることなのであった。
現在読んでいる本の中に出てきた言葉。厳しいね。でもそうかもしれん。そしてそれは、よいことであっても、だ。必要なものは与えられる。そして乗り越えられない試練は来ない。
変えていく勇気ということも頭に浮かぶ。果たして、自分はどうしたいのか。
この6月半ばの時期は、毎年のことながら、仕事の面では、年間でもっとも油の乗っている時期である。祝日もないし、特別な行事もない。ただひたすらに、つぎつぎに授業カリキュラムを進めていかなくてはならない。学生の皆さんの顔もだんだん見えてくる。授業を終えても授業を終えても、すぐ次が来る。でもだんだんそれに慣れてくる。仕事が詰まっていて当たり前だという感じ。仕事とミーティングの間のわずか数十分を新宿や池袋で過ごすのがやたら楽しい。
なぜかこの期間は、忙しいにもかかわらず、やりたいことがたくさん出てくるのである。忙しいから、かもしれない。そして、あまり無駄な体力も使えないので、無駄なことはしたくないという気持ちもある。したがって、必要なことだけを選別して、実行する。土日はあっという間に過ぎ、そしてまたすぐに月曜だ。あらゆることに可能性を感じる。制限がたくさんあってこそである。
かっこ(「」)がついているのは、比喩という意味。もちろんパチンコなど10年来やっていない。ラストは成増会館だったと思う。
殿様営業という言葉もある。立地がよいので、なにも営業努力をしなくても、次々に客は入ってくる。そして何千、何万と突っ込んでみるが、まったく出ない。出たとしてもスズメの涙。そしてさらに搾り取られていく。いいカモだ。そして愚かさに気づき、そこを去る。
どんなに熱意をもって入れ込んでも、何の配当も利益も出ない。話をしようにも、電話すらできない。何も始まらないことが最初から確定しているのに、ごりごりと発電しているこの愚かさはどうだろう。まさに、てのひらの上で転がされているように思うこともある。
「それで……何がもらえるの?」という問いもあった。燃える火が収まってきて、ガスコンロでいうととろ火くらいになってみて、初めて自分の立っている位置が見えるのである。必死だな>オレ、みたいな。何がどうであれ、みんな棚上げにして、まずは冷静になろう。そして点検してみよう。
先週日曜に棚卸しをしたので、それがとっても効果を発揮してるように思う。立ち位置がわかり、どうしたらいいかがわかり、そしてあとは、自分がそれを求める気持ちになるよう、神に祈るということだけであった。祈りは果たして通じるのか?? 先日、祈りは通じるとここに書いたが大人の祈りは通じるが、子供の祈りは通じないのだ。ステップ6に書いてあった。
キヨシローの曲にも「宝くじは買わない」というのがあった。渋谷で歌っていたときはレパートリーだったんだけど、何年かたって、いまにつながってくるのは不思議だね。
アジアオセアニアのサービスミーティング開催に向けて、協力委員会発足。執行責任があり、立場上参加。地域の仲間とともにやっていく場に出てきたのは、久しぶりかもしれない。来年の夏開催なので、ちょうどあと一年。変化の年になりそうである。
古い仲間にチャンスを与えてもらい、二日続けて話をする機会に恵まれた。水曜は、自分の生きてきたベースを中心に、木曜は、今のトピックス問題を中心に、どちらも15分程度。そのままの自分の背の高さでいられるこの場所というのは、ぼくの生きる場所という感じがする。職場では夕方、団体交渉があったのだが、ぼくの発言時間はほぼゼロ。朝9:00からの一時間半のMicrosoft Wordの講習(授業)では、実習の合間にぼくの説明時間は、ほぼ一時間。ぐっと地下にもぐっているか、目いっぱい広げているかのどちらかだ。やっぱり仲間のフェローシップは、ぼくの再生のプログラムの核心だったと思うし、これからもどのように道具として使ってもらえるかにかかっていると思う。たとえどんなに落ちぶれていた話をするにしても、いま苦しんだり高みに上ったりした話をしても、みんながぼくの話を聞きたがっている感じをもったときに、安全な場所にいるという気持ちになれるのであった。
もっとほんとは裏の話やナマの感覚の話もあるのだが、それはそれでTPOが揃ったら白状しまくる予定なので、お楽しみに。でもたぶんここには書けないようなことなので、会場でね。
気がついてみたら、Amazonにはかなりお世話になっている。読み終わった本はほとんどマーケットプレイスに出品しているし、たいてい確実に売れる。ブックオフよりはるかに高値でさばけるし、1円出品しかできない安物はやはりブックオフに持っていって20円とかで売る。
Amazonのアソシエイトに参加したら、読者の皆さんもAmazonにはまるかもね。ただ、1500円以上新品で買わないと、つねに送料がついて回るのが厄介だ。でも足を棒にして古本屋回りをするよりは、少ない労力で、確実にほしい本が見つかるかもね。左下のリンクからサーチしてみてください。
西武新宿線は、行き先別最終の場合、西武新宿駅の電光掲示板に「終電車」と出るのを昨日知った。ワールドカップが終わった直後でしたか……。数年前の韓国戦のときも、なぜか歌舞伎町付近にいたんだっけか。日付が変わったあと、ゆうべは自宅に着いたのだった。