ボランティア団体関係の業務が、多忙を極めている。もうすぐ福岡での大会がある上に、その直後に来年度の評議会の議題などの締切が迫っており、九月にバタバタやるのはなんとしても避けたいので、今のうちにできる限りのことをやっておこう…というのが真相である。事業報告、決算見込み、予算案、などなどたくさん作らなくてはならない。でも、これをやってこそ骨組みが成り立ち、自分がやっているという充実感が味わえるのである。事務所へも連日参じているが、明日はすこし自宅でデスクワークしよう。
今年の最初のほうで、日曜を定休(仲間とのミーティング)にしていると書いたが、いろんな縁があってまた日曜が復活している。定休候補の木曜や土曜も結局出ているので、年中無休体制にまた戻ってしまった。無理に削ることもないので、当分このままやっていくことにしよう。
盂蘭盆である。夏休みといっても毎日夕立ばかりで、今年はぎらぎらした暑さではない。実家の福岡には七月末に行ってきたばかりだし、今月はイベントの実行委員会があったり、来月もその本大会で、九州には行きっぱなしだ。今年になって九州・山口などにはもう五回行っている。今年はなるべく東京で過ごして、足元をよく点検したい。
先月ミニ自転車を買ったのだが、これがなかなか快調である。折りたたみタイプだし20インチなので遠乗りには向いていないが、早稲田・池袋・新宿・中野の範囲くらいなら走り回れる。前回、変速なしのママチャリで不便な思いをしたので、今回は6段変速へと前進である。
バイクや自転車を買うたびに思うのだが、近くでも、知らない路地が無数にあるということだ。徒歩圏だけだと限られているが、乗り物があると一気に視野が広がる。そのぶん細かいものを見落としたりもするが、この夏休みは通り雨をよけながら、界隈の再探検をしてみたい。
授業終了、試験終了、組合の会議も今日で終了。
きょうは会議が三つもあり、しかも、こちらの都合などお構いなしに設定されているため、うしろ二つはどうしても遅刻して出ざるを得ない、気持ちの悪さであった。しかも、事前に遅刻していくことを申請済みである…という、世の中ではごく一般的な、チェーンスケジュールなので、すこしわたしの「時間の過程嗜癖」も中毒的で、気持ち良い。とにかくそんな感じなので、きょうは何も考える余地もなく、自動的に一日が終わった。
金・土、とまた次々と、残る処理を行い、土曜の夜から火曜まで福岡入りだ。福岡に行くといつも、東京を憧れ、東京に戻ると福岡を懐かしむ。いま、ここの、自分のいる位置を愛してみたいものである。
土日を使って、新潟県六日町にあるユースホステルに泊まってきた。仲間との合宿なのだが、地域(関東甲信越)の主催ではなく、地区単位(県)の催しなので小規模のものを想像して行ってみたのだが、100数十人の大セミナーであった。
二段ベッド、歯ブラシ・タオル持参、食事はセルフで一品、朝7:00から館内放送など、質素で無駄のない運営が感じられる。新しいものばかりに囲まれている生活よりも、実はこういう暮らしのほうが、いろいろと本質が見つかるのかもしれない。各部屋のドアのノブが、例外なくもげそうだったり、セキュリティは疑問だが、まわりに人家も何もないわけだし問題はない。
シンプルは不便なこともあるが、ほんとうに必要なものが何かということがわかるチャンスだと思う。
以前、このページでも話題にした、南野陽子の全裸ショットありの写真集、「Flowers」をAmazon.co.jpのマーケットプレイスに出していたのだが、今朝、買い手がついた。\2,500。即日発送。あああ、嫁に行ってしまったナンノ……って感じ。定価が三千いくらだったので、ほとんどレンタルのような差額でぼくの中をとほり過ぎていった……。
たしか今月はナンノの誕生月だったような気がする。38歳でしょうか。二学年下でしたね。今となっては熟女というか団地妻というか、まあ、そんな年齢になってしまったことは否めないが、それはお互いさまでありんす。いつまでもぼくのアイドルでいてください。
今月はずっと仕事と委員会などが続く。いわば、何も考えなくても次から次に業務が降りかかるので、あれこれ取り計らわなくてよいから、精神的にはこれが一番楽かもしれない。そう考えること自体、仕事中毒のマゾヒスティック的思考かもしれないのだが、創造と苦悩はいつも隣り合わせである、とか、喜びは苦しみの前後にある、とか、いろいろ理由を編み出しながら自分の境遇を受け入れるというのは、大人の技能なのかもしれない。
日曜の日経新聞のコラムに、南野陽子の記事が出ていた。どこかの国で数百万円の鏡を衝動買いした話が載っていたが、ぼくも君を衝動買いしたいよ。数百万は出せないけど、のしぶくろに包んで差し出す用意くらいはあります(何を…)。人身売買は犯罪っすね。自販機から次々に出続ける缶コーヒーをせっせとかばんに詰めて持ち帰るのも犯罪です。あー、なんか最近こういうの多いね。幸運なのか、釣り糸なのか、よくわからなくなってくる。神様がなにか試しておられるように感じるのは気のせいでしょうか。
まじめに働きましょう。
抱えていた仕事もほぼめどが立ち、やっと名実ともに連休である。飛び石のところは、うちの職場では、創立記念日を持ってきたりして、たくみに連休を実施してくれるのがうれしい。
今回は4/29の新潟(済み)、5/3,4の熊本など、遠出もある。あとは、いたって普通にプログラムをこなすのみなのだが、日々のミーティングがあるおかげか、休日中といえどもあまり調子を崩さずにすむ。
きょうは、日比谷のメーデーに参加してきた。全労協と官公労系が今日の日比谷。共産党系の全労連や、連合などは別の日程でやっているらしい。今春はデモがたくさんあったので、もうすでに食傷気味である。昼過ぎに解散。飲みに行くのが定番になっているようだが、もちろん自分は参加しないし、職場の人たちもきょうはほとんどパスしていたようだった。
学校の授業も一週間を終えて一回り、春の気候も三寒四温ながらも一回りした感じがする。組合の春闘統一行動も金曜に第三波まで終わり、あとはそれぞれの職場の回答を待つばかりである。春の季節は何かと目まぐるしい。木の芽時とも言うくらいで、頭のおかしい人もあちこちに出没する。わたしもおかしい人の部類かもしれないが、昨今は常識的な行動が取れるようにはなってきたので、すくなくとも表面上は社会的一般人として見られていることであろう。
「連休までをめどに」という課題があちこちにまかれているので、またいろいろと色めき立ってくると思われる。かくいう自分にも宿題はいくつか思い当たる。四月になってすぐ猛烈な勢いで次々に締め切りに追われていた感じがするが、この二日間の休日で小休止し、また来週からざわざわとしそうな予感である。
学校の仕事は、個人的には今年で15周年を迎えるのだが、学生の顔は当然変わるし、与えられたカリキュラムはつねに変動しているし、教える内容もコンピュータ技術の変化とともに変化し続けている(逆に、変化しないと困ったことになるのだが)。だから、毎年、動かしながら調整をしているという感じ。とくに四月は調整に次ぐ調整である。
なるべくなら自分の許容量を超えない程度に、ドライブしていきたい。さもないと、何かが片手間になると、それに対して「誠実にやってない」といういやな気分になるからである。
常勤教職員から専任(非常勤)講師に身分が変わって、はや一年である。拘束時間は格段に減ったが、やるべきことや仕事量はむしろ増加した感がある。もちろん授業そのものの担当も倍増した。が、自分でマネージメントできる部分が多くなるということは、なにかこう、自立したというような気分である。
立場が変わって一年間のサイクルを一通り経験してみて、今度はもっとスマートにやろう!と考えているのであった。組合やサービスで動くフィールドも増えた。もちろん、よいこともよくないことも、合わせて経験しているわけだが、これらものちのちは役に立つ経験となるだろう。
ここに何かしらモノを書くときというのは、何を隠そう、仲間とのミーティングに出ていない日が大半である。逆に言うと、書いていない日はほとんどミーティングに行っている。行っていると過不足なく、その日一日を十全に終えられるので、改めてここに何か書いて嚥下したり・小さく叫んだりするエネルギーもない。ここ五年ばかり、ほとんど定休日を作らずにきたが、この数ヶ月ばかり、日曜の夜のミーティングを休むようになったのだ。定休日なしでやっていても、日曜は実績的に半分くらいしか出られない。他地域巡業があるとなおさらである。
前回の結果をまだ書いていなかった。わたしや、わたしのパパやママンが入る骨壷は、浄土真宗大谷本廟に決定した。庶民が墓地なしで手軽に安く入れる、大規模納骨システムが完備されているようである。すでに伯母さんや祖母の骨が納められているらしかったが、父の持っていた「登録カード」を受付に出すと、地味な着物を着た常勤の女性(けっこう若かった)が、コンピュータにピピピッとナンバーを打ち込み、骨・住所・名前などを出力していた。そして納経のシステムにまわり、「福岡からお越しのもりたさーん」などと呼ばれ、お坊さんについていくと、本堂のほうで、短い納経をしてくれるのであった。
パンフレットを見ると、納骨システムも三段階くらい「格」があって、待遇が違うらしい。浄土真宗は庶民を差別なく救う開かれた宗派であるし、他宗派を攻撃したりしない平和的な門戸である。だからこそ魅力があるのだが、金額によって微妙な違いがあるのは、資本主義の世の中にある宗教法人なので、若干はやむなしか。広い心を持って接したいものである。
全然関係ないが、きょうある店で鶏肉の唐揚げを食べたら、ちょいと生焼けで、中から血がすこししたたっていた。あー。せっかくうまかったのに、台無しである。しかも最後の肉片を噛んだときの出来事であった。
レアが好きな人たちもいるようだが、昭和の高度成長期に育ったわれわれ貧乏世代にとって、そんなものはやはりただの「生焼け」である。あー鬱だ。死にたくなるね。ちゃんと火が通るまで揚げてくれい、と言いたい。またしばらく、あの店には行かね。