ボランティア団体関係の業務が、多忙を極めている。もうすぐ福岡での大会がある上に、その直後に来年度の評議会の議題などの締切が迫っており、九月にバタバタやるのはなんとしても避けたいので、今のうちにできる限りのことをやっておこう…というのが真相である。事業報告、決算見込み、予算案、などなどたくさん作らなくてはならない。でも、これをやってこそ骨組みが成り立ち、自分がやっているという充実感が味わえるのである。事務所へも連日参じているが、明日はすこし自宅でデスクワークしよう。
今年の最初のほうで、日曜を定休(仲間とのミーティング)にしていると書いたが、いろんな縁があってまた日曜が復活している。定休候補の木曜や土曜も結局出ているので、年中無休体制にまた戻ってしまった。無理に削ることもないので、当分このままやっていくことにしよう。
中間施設ミーティング司会。これで関わるようになって一周年だ。人も入れ替わっていくし、ぼくも変化していくと思う。冬の西立川を思い出す。今は盛夏の錦町。きょうは甲州街道コースで行ったら、一時間ちょっとで着いた。来月は八時半発でも間に合うかも。
昼前に施設を出てから、府中に立ち寄る。念願の「銀河鉄道の夜」プラネタリウム版の鑑賞である。夏休みのせいか、子どもがたくさんだ。すごい人数。ぼくのひざの上にも子どもが肉弾になって飛んでくる。ま、上映が始まって静かにはなったが。
満天の星空を見上げるように、銀河鉄道のパノラマ風景が展開する。ほんとうに夜の空を飛んでいるようだった。銀河の中のブラックホールに吸い込まれるシーンなどは圧巻である。もう一回原作を読みたくなる。そう言えば最近は星空なんていつ見ただろう。河口湖だとかなりよく見えたのを思い出す。もう10年くらい前の話だ。
ミーティングが始まる前に外がドンドンとやけに騒がしい。窓の外を見ると、神宮外苑の花火大会だった。代々木からはよく見えた。いいタイミングで木曜の会場だった。夏は夜の風物が続く。8/28は夕方皆既月食もあるらしい。
今月はじめに巡検から帰ってきて、夏休みとなった。授業がない。しかし毎日まったく同じ時間に大学へ行く。そして図書館で自学自習。山ほど本を読んでいる。持ち込みパソコンでときどきFacebookもチェック。ソーシャルコミュニケーションは時間を使ってしまうので用心したほうがよい。パソコンを使う時間は少なめにして、なるべく本などを読む。昨年の研究生の期間がちょうどこんな感じの毎日だった。
ぼくはいったい何を求めてふたたび東京大学に戻ってきたのだろうかと、足元をじっくり見ながらそう思う。たくさんの選択肢の中から理学部を選びサイエンスを志すことにした。理科か文科か、それが問題だ。それでも語学は必要だし、文章も書きたい。けっきょく論理と筋道ということでいうと、サイエンスほど一貫した世界はないということだ。
高校二年くらいから24歳くらいまで長い時間をかけて数学や物理の訓練をしたことは無駄にできないと思う。就職してから紆余曲折があり、数理からは離れていた。かなりのブランクがあったが、必死でやれば元の水準まで取り戻すのにそれほど苦労しないこともわかった。それどころか、微積分は面白いことだらけである。
理学部に学士入学してから四ヵ月半が経過した。超過密とも言える理学部地球惑星科学のカリキュラム。三年次はとくに毎日実習が続くし、経験者は口を揃えて「三年はきついっすよね」と言う。しかしなんとか乗り切れた。授業も試験もレポートも手を抜かなかった。でも完全主義には陥らない。人間の思考には限界があるからだ。
三年夏学期(2012年前期)のカリキュラムをこなした現時点での興味はGIS(地理情報システム)や気候変動である。地質、地層や化石・岩石などへの興味はこれから開発途上という気がする。大昔の層序年代を学ぶのもおもしろかった。
九月には少し残された定期試験とレポートがあり、なかばには東大の木曽観測所で体験活動、そして下旬は富士山で巡検である。
九月が終わって十月になるとまた通常の授業、冬学期(2012年後期)が始まる。後期は半分以上が駒場キャンパスの二年次の授業を選択することになる。卒業のためには、必修科目になっている駒場の講義が週に三回あるからだ。駒場に授業で通うのは新鮮である。昭和60年の理科一類入学を思い出す。大いに若返りそう。
ミュージシャンの小椋佳氏も、銀行員をやめて法学部に学士入学したのは50歳のときだったと聞く。この人の存在は大変影響を受けた。先行くお手本となる先駆者はとても大切である。ぼくはぜんぜんあれほどの名士ではなく小物だが、思い立ったときにやり直せればそれでよいと思う。もちろん支えてくれる周りの人間があってのことだけれど。
こうして少し時間の余裕があると来し方行く末を見ることができる。時間がないと心が滅ぶ。時間乞食になってはいけない。目の前にはこれから生きる何十年という歳月が横たわっている。できることはいくらでもある。そしてくつろぐ時間、楽しむ時間も有り余るほどある。ひとつずつ前進である。