今月はじめに巡検から帰ってきて、夏休みとなった。授業がない。しかし毎日まったく同じ時間に大学へ行く。そして図書館で自学自習。山ほど本を読んでいる。持ち込みパソコンでときどきFacebookもチェック。ソーシャルコミュニケーションは時間を使ってしまうので用心したほうがよい。パソコンを使う時間は少なめにして、なるべく本などを読む。昨年の研究生の期間がちょうどこんな感じの毎日だった。
ぼくはいったい何を求めてふたたび東京大学に戻ってきたのだろうかと、足元をじっくり見ながらそう思う。たくさんの選択肢の中から理学部を選びサイエンスを志すことにした。理科か文科か、それが問題だ。それでも語学は必要だし、文章も書きたい。けっきょく論理と筋道ということでいうと、サイエンスほど一貫した世界はないということだ。
高校二年くらいから24歳くらいまで長い時間をかけて数学や物理の訓練をしたことは無駄にできないと思う。就職してから紆余曲折があり、数理からは離れていた。かなりのブランクがあったが、必死でやれば元の水準まで取り戻すのにそれほど苦労しないこともわかった。それどころか、微積分は面白いことだらけである。
理学部に学士入学してから四ヵ月半が経過した。超過密とも言える理学部地球惑星科学のカリキュラム。三年次はとくに毎日実習が続くし、経験者は口を揃えて「三年はきついっすよね」と言う。しかしなんとか乗り切れた。授業も試験もレポートも手を抜かなかった。でも完全主義には陥らない。人間の思考には限界があるからだ。
三年夏学期(2012年前期)のカリキュラムをこなした現時点での興味はGIS(地理情報システム)や気候変動である。地質、地層や化石・岩石などへの興味はこれから開発途上という気がする。大昔の層序年代を学ぶのもおもしろかった。
九月には少し残された定期試験とレポートがあり、なかばには東大の木曽観測所で体験活動、そして下旬は富士山で巡検である。
九月が終わって十月になるとまた通常の授業、冬学期(2012年後期)が始まる。後期は半分以上が駒場キャンパスの二年次の授業を選択することになる。卒業のためには、必修科目になっている駒場の講義が週に三回あるからだ。駒場に授業で通うのは新鮮である。昭和60年の理科一類入学を思い出す。大いに若返りそう。
ミュージシャンの小椋佳氏も、銀行員をやめて法学部に学士入学したのは50歳のときだったと聞く。この人の存在は大変影響を受けた。先行くお手本となる先駆者はとても大切である。ぼくはぜんぜんあれほどの名士ではなく小物だが、思い立ったときにやり直せればそれでよいと思う。もちろん支えてくれる周りの人間があってのことだけれど。
こうして少し時間の余裕があると来し方行く末を見ることができる。時間がないと心が滅ぶ。時間乞食になってはいけない。目の前にはこれから生きる何十年という歳月が横たわっている。できることはいくらでもある。そしてくつろぐ時間、楽しむ時間も有り余るほどある。ひとつずつ前進である。