一か月間の卒業論文修正期間が設けられていたので、発表会以降コメントを反映して、さらに追加実験も行い、露頭で集めたサンプルから火山灰テフラの確認をして、図版などを掲載した。厳しく指摘された点も直し、結局作業した都市計画図の塗り分けたものも紙の状態で添付した。本文と付図でだいたい70ページくらいである。これでひと段落。しかし学業は続く。
きょうちょうど大学院の入学手続き書類が到着していた。前回の研究生入学や学士入学のときにもそうだったのだが、手続き期間にたまたま小倉に行かなければならない用があって、タイトなスケジュールで行き来しなくてはならない。今回もちょうど父の転院予定日なのである。意識が戻らないまま入院生活が続いているが、父の病状に合わせてそちらでも必要な手続きをしなくてはならない。
先週2/11(火)に81歳の父が脳溢血で倒れ、深夜連絡があった。翌日午前北九州総合病院に急行したが、ICUの中。三年前の母の心筋梗塞のときに状況が似ている。危篤状態であったが、早い医療処置で生命の危機は脱して、その後酸素マスクもはずされ、一般の病床(SCU)に移されている。
いまだ意識は回復していない。予断を許さぬ状況だが、植物状態の父の病床に永久に張り付いているわけにもいかない。もしものときのための準備は整えていたが、同居の姉夫婦に後のことをお願いしてこの日曜(2/16)に帰京してきた。
今後どうなるかはやはり神様の決めること。母のときは生還してその後めでたく喜寿を迎えられたが、父に対してもまずは意識の回復を祈り、あとはできることをして祈るのみである。
卒業論文と要旨を提出した。若干の残余感がある。いったん書き終えてからのリテイク(修正)がエネルギーを消費した。これまでの人生で自分の文章にここまでダメ出しされたことはなかったくらいの勢いだった。すべて正面から受け止めて臨んだ。そしてこれで終わりではなく、来週金曜日は発表会であり、プレゼン資料も作らなくてはならない。さらに定期試験も月曜・水曜に入っている。他の科目のレポート締切が二点ほど。休む間はなく一月が終わっていくだろう。二月は二月で集中講義と実習が二本ある。論文修正期間もたっぷりある。ほんとうに休みがやってくるのは三月くらいか。
実験結果はすべて出て、考察も終了。卒論本文はだいたい書いた。だいたい3万字くらい。日本語版要旨も完了。
英語版の要旨を作って、できたらDTP組版で図版を入れて、都市計画図の整理まで行ければ出口である。なんとかなりそうだろうか。
卒論の発表練習をみんなに聞いてもらう。パワポがプロジェクターに映らなくてまごまごしていたら、ラックの主電源が入っていなかった。
時間は15分発表の5分質問、計20分。実際は18分で発表できた。たくさんコメントをいただいた。論文提出は24日。本番の発表は小柴ホールで31日。いよいよ迫ってくる。
なんとかこの連休で作成することができた。明日の研究室セミナーで大学院生のみなさんと先生の前で発表である。よくわかっていないことがたくさんあるのだが、はたしてこれでよいのだろうか。でもできるところまでやるしかない。あとは論文の書き直しが大量にある。ひたすら進む。
卒業論文を書きまくっている。背景、目的、フィールド、手法、結果、考察、結論と進む予定。現在、手法の章を執筆中。やったことを全部書いているのでちょっとくどいか。たくさん書いてから、削って推敲という常套手段。このペースなら何とかなるかもしれない。
授業はなくて冬休み。恒例の御岳山荘から帰ってきて、睡眠モード。でも論文を書かねばならないというプレッシャーが常について回る。あとまるまる三週間後が締め切りだ。授業は1/7(火)からスタート。締切と定期試験と、レポート提出が迫ってくる。やるしかない。
このまま年末進行に入ってしまった。ひたすら論文を書くしかない。英文のアブストラクトもつけなくてはならないので、大変なプレッシャーである。しかし、この数か月がんばって地道にやってきたことを愚直に書き綴るしかないと思う。そして大晦日のフェローシップへと突入…。
● 和歌山G y [ 遠くから応援してます。 y]