あと締め切りまで一ヶ月少々だ。データ整理ばかりしている。まだ論文を書く作業にぜんぜん入れない。大丈夫なのだろうか。ぎりぎりになって土壇場でやりまくるのは自分の流儀ではない。しかし入るには入れない感じ。こういうときは仮でも何でもいいから始めてしまうに限る。
ちなみに研究テーマは河岸段丘の高度評価。地形学である。フィールドは群馬県と埼玉県の境の神流川(かんながわ)。氷河期の川はどうだったか…というようなこと。何万年の前の話がなんでわかるのか。それは科学が解き明かしているから不思議である。研究人生のスタートに立ったのかもしれない。
冬学期が始まって以来、卒業研究の現地野外巡検や指導教員との打ち合わせが続く中で、通常の授業もいくつか取っているので大変忙しい毎日となっている。卒業研究は河成段丘をやることになった。ぼくはこれから地理学者を目指すのかもしれない。江戸時代に伊能忠敬が50歳から一念発起して、全国を測量をして回ったのは有名な話である。ぼくは伊能忠敬の足もとに及ぶべくもないが、ともかく今あるエネルギーと残りの半分の人生を、地学と地理の研究に注ぎ込もうと思う。学部生としての時間はあと四か月半だが、そのあとの長い大学院での暮らしも待っているし、学問の中にどっぷりつかってあれこれとややこしいことを考え続けるのが楽しく思える。やることがちょっと多すぎるのだが、一つ一つ丁寧にやっていきたい。
きょうは大学の授業がない日である。火曜日は二限目の「地球史学」を受講しているのだが、月曜日がたくさん祝日でつぶれてしまう関係で、月曜日の振り替え日なのだ。ぼくは月曜日の理学部科目を登録していなくて、文学部の二限目だけが月曜の登録科目で、文学部は曜日振替がないので、けっきょく休みなのである。
しかしながら、卒業研究の準備で非常に忙しい毎日である。作業量が多いのだ。昔だったら地理学教室の学生はおそらくこういう地形図の整理だとか地形分類、地質図の作成、ボーリングデータの収集などに明け暮れていたのだろう。いまはインターネットという手段があるのでいくらか過程が省略できる部分もあるが、地理の本質をつかむためには、やらなければならない作業の分量は変わらない。卒業までに身に着けたいことがたくさんある。もちろん修士課程に進んでも研鑽し続けることが必要だと思うが、入門者の戸惑いと新しい発見の連続で、けっこうこれがおもしろいのである。
白い白地図と色鉛筆を持って空中写真判読と資料整理に没頭する。地図や鉄道を楽しんでそれでフィールドにまで出かけられるとしたら、こんな楽しい学生生活をよく見つけられたと運命に感謝したい。
_ 麻雀
十月一日から四年冬学期の授業が始まる。新学期直前にシラバス(最近はほとんどWebの電子データ)を閲覧しながら、新学期の授業時間割を考える時間がもっとも楽しい季節である。四年の冬は学部の最後の学期であるから、必修の卒業研究以外はほとんど縛りがない。自分は学士編入だったので、三年冬に二年次の必修科目を履修した関係で、三年冬の選択必修科目をまだ取れていない。それを少し取れば全体の単位数はほとんど足りているので、好きな科目を自由に組み合わせてよい。他学部や駒場の科目もどしどし受講してみる予定である。今回は考古学や環境化学の実習、そして河川工学や農村計画学や地域人文地理もカバーしようと思う。毎度のことだが欲張りすぎると本来集中するべき自分の専門分野の勉強にエネルギーが注げなくなるので、少し抑制もしなければならないと考えている。
お彼岸も終わりすっかり涼しくなった。大学院入試のための努力と研鑽に明け暮れた夏が終わる。ありがたいことにぼくの今回の大学院入試は東大内部生の有利さをフルに生かすことができたと思う。ふだん授業や実習で教えてもらっている先生がたが問題を作り採点をするのだから、ふだん教えてもらっている通りのことをきちんと復習して対策すればよかったのだから。予想外の角度の問題も多かったが、丁寧に取り組んでさらに「気合」で突破できたと思う。英語のTOEFL ITPはたしかに辛かったが、何回も何回も模擬試験を受け、対策問題集をひたすら解き続け、外部の有料TOEFL講座にも休日を返上してかよった甲斐があったというものだ。
秋からはまたフィールドに出たり地味な実習作業を続けたり、自分の願っている勉強ができる。授業にどっぷり浸れるのも学部生のうちである。自分の置かれている状況にいくら感謝しても感謝しきれない。
家内と映画「風立ちぬ」を見に行くついでに渋谷を散策。グッズを売っているNHKショップや、新しい建物「ヒカリエ」などに行く。ヒカリエからは銀座線の往来が見える。東急東横線の廃止された地上ホームも垣間見える。副都心線と直通した線路は、どのように代官山につながっているのか興味があったが、その件はまた次回探求しよう。
渋谷は上京した昭和60年頃から、自分にはなじみの深い街である。今も駒場へ行くときに立ち寄るスポットが数々ある。古いランドマークが少しずつなくなっていくのはちょっとさびしい気もするが、それも都市が生きている証拠。この街からは若さももらえる。
迷惑書き込み対策を最大限厳しい設定にしていたので、多くの皆様がツッコミをしてくれていたにもかかわらず、書き込みが消えてしまっていたようです。
改善しましたが、すぐに表示されず、わたしのチェックののちに公表されるシステムにしました(アダルト系のURLが無断で書かれてしまうためです)。
ややこしいシステムになっていて、申し訳ありません。
卒業研究のための要旨発表会が月末にあるので、内容をまとめて文書にする作業を始めている。上旬にはフィールドである群馬県と埼玉県の県境、神流川流域を野外調査した。川の両岸にある段丘の隆起量を調べて、地形変化を評価するというものだ。自然地理学に進んでいる。地質や気候変動ももちろん手法の中に含まれている。苦手意識のあった造岩鉱物についてはあまり知識がなくても何とかなりそうな気がする。
年明けまであまり時間がないが、精いっぱい自分の力を出し切りたいと考えている。専念する楽しさ。没頭する楽しさ。高校生のときに味わったような楽しさがいまこうして復活している。四十代後半であっても決して遅すぎることはない。道は開かれている! それに気づくかどうか、自分次第である。
飛び石のように定期試験がある。去年もこの時分に物質化学の試験があったような気がした。ジャナ専も東大駒場もそうだったが、9月に入ってちょこっと授業をやったり試験をかまして、ゆるんだ学生をしめあげてくれるのだ。そしてまたすぐに秋休み。夏休みの後に秋休み! 休みのありがたさはこうして試験や授業があってこそと思う。
全球の気温や風、熱輸送、放射エネルギーの問題が中心だった。地物の計算がどうもうまくいかないことが続く。解釈はいっぱい書けるのだけど。ほとんど全回出席していたし、まあ単位はつくだろうと思う。
まだほんとうは19年10ヶ月なのだけれど、話をする場所を与えていただいた。春先に機関誌に投稿したときにも「ヤングのオールドタイマー」という特集記事だった気がする。
気負わず、過去どのようであったか、いまどのようであるかを話した。ほとんどが過去の話。飲みながらどうだったという話。他にあまりないものね。だからいまがある。3番目のステップだし、テクニックもマニュアルもあまりない。質より量ということだけは言った。ずっと思ってきたことだから。
病気と闘っている仲間の前向きな話には勇気をいただいた。もし自分がそういう立場に立ったら、前向きにできるだろうか。あまり自信がない。だからこそ、与えられているものを最大限大切にしていきたい。