今日は一日、動きなし。って、自分がだ。洗濯や資料読みはしたんだけど、玄関一度も開けず。明日はまあ休日出勤のようなものがある。
これから、発行されたばかりの新・サービスマニュアル、全部読んで寝る予定。「全部」っつーのが、病気また出てます…って感じ。通読は全体像が掴めてよいのよ。
正月仕事始めが済み、一息置いてまた連休。日、月と仲間のステップの手助けをさせてもらう。連日地域センターの和室で四時間ほど缶詰である。サポートをしながら最近よく感じるのは、人のサポートをしているつもりなのだが、自分が助けられているのかもしれないと思う。手助けをしなければ、人が人を怒らせたり恐れさせる仕組みとか、人が人を傷つける仕組みについて、こんなに長時間考え話し合い、解決策を探ることなんてないのではないかと思うのである。そして人に何回も提案していると、自分はどうなんだ?ということをいやでも思い知る。それで自然と自分の欠点も改善できればいいんだけど、それはまた別なんだよね。改善には努力と祈りが必要である。欠点のスイッチを入れないよう、気をつけるべきところがたくさんあるのだった。
連休のラストは板橋で分かち合い。寒くてくじけそうだったが自転車を飛ばしてよかった。20年以上の仲間が三人もいるなんて、なかなかあるものではない。
日祝日はどこに行っても混んでいるので、仲間と過ごすのが正解かもしれない。
放送大学の英語スクーリング最終日。火曜の午前中の四回コースが終了。これで一単位つく。でも卒業単位には関係ない。英語は道楽。ドイツ語も道楽。最近勉強は道楽だと感じている。それで身が立てられるなら一石二鳥である。趣味と実益が一致するなんて、すばらしい人生。でも努力も必要だ。
東横線の学芸大学から渋谷へ出る。夜の中野まで時間がある。コーヒーでも飲むか。頭に浮かんだのは、学生のときに入り浸っていた喫茶店に行くことであった。そう、駒場祭のときに見送ってしまったあそこだ。駒場東大前の西口からすぐ。勇気を出して行ってみる。
開けると昔と同じマスターとママがいた。すこし歳取ったか。ぼくもだけど。10年振りくらいのつもりだったが、話をしているうちに15年くらいは来ていなかったことに気がついた。ご無沙汰してしまっていた。もっと早く来ればよかったなあと後悔する。
小一時間話していろんな人の消息を聞く。ぼくも少しは心配されていたようだ。19歳から30歳くらいまでの間出入りしていたのだ。しかもいつも半分酔っ払って。「前は、やつれてたよね」と言われる。でもあまり根掘り葉掘りは聞かれない。やさしさなんだよね、こういうの。
今考えている人生設計の話を少しして店をあとにする。また来よう。東大づいている自分。人生の歯車が回り始めるのかも。