今年は5/19~5/24の日程で幕張メッセで行われた。平日に行われるので授業とぶつかりなかなか参加できず。しかし先生によってはこの学会に参加するのを勧めて休講にしてくれる先生もいたり、先生ご自身が連合大会で発表するので休講にしてくれる先生もいらっしゃる。今回は最終日の金曜が一日休講となり参加ができた。
東大の先生や大学院生の発表を中心に見て回ったが、他の大学の先生方の話もとても参考になる。防災のためのコンベンション級の発表では、本学の構造地質学の先生が講演されていた。
スケジュールが一日中組まれているので飽きない。授業がなければもっと入り浸れるのにと少し残念な思いもある。できれば毎年参加したい。
去年は三年だったので四年生を手伝う程度だったが、今度は四年なので主催する側だった。展示物の作成から編集作業、模型作成、展示会場制作にかかわった。当日も行ける時間はずっと教室にいてお客様に対応。子供や中高生も多いし、他大学の学生さんや先生も来られる。自分の担当したブースは、地理学の実習の野外調査体験コーナー(オートレベルや標尺の使い方)、地形実体視、偏光顕微鏡で珪藻化石を見せるコーナーだった。だいたい説明のできることばかりである。担当していないところでは、鉱物や地質、古生物のコーナーも。化石も実物を展示していた。
昔の現役学生のときの五月祭はほとんどサークル活動でしたかかかわらなかったが、学科でこうして展示発表できるのは、学会のポスター展示にも通じる。もともとこういう真面目なものが学園祭の趣旨なのではないかと感じる。
毎週の英語の輪講、いくらか慣れてきた。全訳もやり、単語メモもやり、直接書き込む調べ方もやってみたが、あまり早く準備しても当日思い出せない。結局効率がいいのは、直前二日間くらいで日本語の同内容の専門書を調べながら、一気に頭の中で訳出して、不明単語のみ意味を書いておき、訳を二日間覚えておくというやり方である。あと経験的にちょっとわかってきたのは、無理に意味をまとめてサマリーを話そうとせず、愚直にその場で英語を見ながら全訳を考えるということである。これが大変なのだが、英語で考え、アウトプットだけ日本語という、一番いい方法かもしれない。周りの東大生たちを観察しているとだいたいそんなやり方みたいである。というかみんな単語をよく知っているし、関係代名詞が二重三重になっている構造文でも、ささっと頭の中でまとめている様子がわかるのだ。独り言をつぶやきながら訳しているので思考過程が見える。自分も思考過程を見られているみたいなのであるが。
正規の授業以外にも、大学院入試対策のために外部のプログラムでTOEFL_ITP対策講座を受講し始めた。毎週土曜に三時間、麻布十番のテンプル大学日本支部に通っている。文法問題などの肝になるところを教わる。そして模擬問題を少し解く。解けたら隣席の人と検討する。答えは別紙にある。単語力がけっこう厳しい。老若男女混じっている。まさかみんな大学院入試の人ばかりではないと思うが、20代から50代までいる。50歳過ぎてから留学とか、会社で受けさせられて530点取れないと配転とかでしょうか。厳しい人生である。
ともかくみんなで勉強するのが大切かもしれない。いまやっている英語以外の科目も、どれもみなみんなで学び、みんなで問題を解いて、わかったとかわからんとか言っているのが楽しいのである。最小限だけやって逃げ回っていたあの勉強のやり方は長続きしない。好きで学生になったのだから、やっぱり楽しんでやっていきたい。
今年は事務局に入り、今度はガイドさんを募集する側に回る。印刷した募集ポスターを持っていき、学生支援課の許可印を受け、学内の掲示板に貼る。正門や赤門、弥生門など門の横や食堂の横の掲示板など10か所近くある。自転車が力を発揮する。公式なポスターを許可を受けて貼ったのは初めて。
もちろん募集終了後全部責任を持って剥がして回らなくてはならない。貼るのも剥がすのも一時間近くかかる。大量の画鋲を使用。終わって帰ってきたら、靴の裏に画鋲が数個刺さっていた。
4年生に進級して、のっけからフルスピードでの授業日程であった。やっとのことで連休に差し掛かり小休止である。毎週金曜の夜に英語の論文をみんなで読む演習がやはりちょっと重い。それから木曜日の物理化学演習。これは偏微分方程式出現しまくりの例のギブスやらヘルムホルツやらの自由エネルギーパラメータを見ながら物質の反応を多変数で解析するという熱・統計力学の計算演習である。数学とくに微積分がわからなくてはまったく理解できない領域の学問だが、これは先生も丁寧に教えてくれるし、地味に努力していれば確実に解ける演習問題ばかりなので問題ない。やはり学問でも仕事でも消化困難なのは、先生が不親切というかほったらかしで、自分で解き方を考えなさいというタイプのものである。わからないところは聞きなさいと言われるのだが、わからないところが多すぎて途方に暮れるということが多いのである。
他学部聴講なども今回はぐっと抑えたつもりだが、大学院修士課程入試もあるので、外部でTOEFL ITP対策講座も取っていて、結局トータルでは三年のときとそれほど密度は変わりない。とにかく七月末の定期試験まで全力を尽くし、八月の大学院入試を乗り切りたいと思っている。卒業論文の研究までにまだまだ時間があるので、自分がやりたいこと、できることを探すことが先決なのかもしれない。
四年の授業が始まってから、英語論文の講読が必修になって、むちゃくちゃ忙しい。というか時間がほとんど足りず。選択授業を削るしか解決方法はないのかも。
理学部四年次前期の授業が今日からスタートした。まず午前は座学として、火山・マグマ学、そして兄弟学科である地球惑星物理学科の比較惑星学基礎論を受講した。比較惑星学のほうは本郷の理学部で行われるのだが、柏キャンパスへの同時中継も行われる授業である。先生は教室のわれわれへと、カメラの向こうと同時にカメラ目線を送りながら話をされていた。たぶんスカイプ利用であろう。
午後は生物多様性実習。微生物や脊椎・無脊椎動物を材料に取り上げるようである。今日は井戸水や池の水の採取をして、顕微鏡で微生物を見るところを実習した。分子系統解析のソフトウェアを使ったり、英語の論文のプレゼンも含まれる。
夕方の五時過ぎてからは、必修の地球惑星環境学演習である。クラスを三班に分け、分野ごとの英文レビューを行う。自分たちの班では環境学の英語の教科書を輪読していく予定。きょうはそのガイダンスだけだったが、来週から実際の講読に入る。
すでに宿題の英文が2本渡された。常に何かに追われている学生生活である。
年度が変わって、理学部地球惑星環境学科の四年生となった。三年から編入だとあっという間に折り返し地点である。専門学校や短期大学に入学して二年目を迎える場合もこのような感覚なのかもしれない。ぼくは長いこと専門学校の教員をやってきたが、学生の皆さんの顔をやっと覚えてコミュニケーションが取れるようになってきたと感じ始めた矢先に、卒業してお別れという繰り返しだった。
昨年の新年度スタートは、研究生から学部生に身分が変わっただけでなく、工学部から理学部への大転換もあったし、指導教授や研究室ももちろん変わったし、受ける授業も一変する大きな変化であった。それに比べると今回は学年の数字だけ変わるに過ぎず、変化することのほうが少ない。住むところは変わったが、それは自分の個人的な事情である。変化順応に労力をかけないで、学問の続きに専念できるということだろう。困難を乗り越える力も倍増していると思う。
三年次冬学期の成績がほぼ出揃った。今回はなかなか渋く、優良可不可(ABCD)の「可」を二つ取得してしまった。工学部時代には可がごろごろある暴走学生であったが、今回はすべてにおいてまじめにきちんと努力している毎日なので、この可はちょっと不承諾したい気分ではある。しかし二つの科目の可には理由があるのもわかっている。
ひとつは英語実践の講義である。英語力そのものを評価される授業だったが、そのクラスの学生はTOEICで800点以上のレベルの水準だったのだ。そこに500点台の自分が混じっていればどんなにがんばったところで相対評価はビリッケツである。単語レベルチェックテストも正直に書いて出しちゃったし、やむを得ないところだ。
もうひとつはシステム進化学の試験で「プレート境界の三種類の状態を答えよ」という問いに対し、正断層・逆断層・横ずれ断層という「種類」を答えるべきところ、日本付近のフィリピン海プレートなどのプレートを三つ具体的に上げてしまったのである。試験の採点において、問題の趣旨を取り違えたらたいていアウトである。地学の常識を答えられなかったのだからほんとうなら不可でも甘んじて受け入れなくてはならないところだったが、15回中14回の出席を果たしていたし、高齢学生への温情ということもあって「可」をいただけたのであろう。大変恥ずかしいミスであった。
しかしながら他の科目については、自分の所属する環境学科の科目は駒場・本郷を通じてほとんどが優であったし、専門外の他学部・他学科科目もほぼ良がいただけた。自信のなかった生命科学や大気海洋の分野が優だったのはとてもうれしい。この満足感をバネにして、また今度の4年生科目もしっかり履修していきたいという向学心に燃えているところである。
去年の四月に理学部三年に編入させてもらって嵐のように勉強させてもらった。もうすぐ年度が終わる。この一年間、ひたすら地学の基礎を学ばせてもらった。放送大学で数年続けた「90分の授業を受ける」という面接授業の忍耐練習が効果を発揮したと思う。毎日毎日授業漬けである。望んでいたことがかなえられたのだから、忍耐とは言っても楽しい毎日だった。もちろん座学だけではない。演習や実験、調査や野外巡検も新鮮であった。むしろ机での勉強よりも体を動かす実習のほうが、学問が身体化し、内面化したように思う。実際目で見てスケッチしてグラフを描いたり実物を計測したことは、記憶にしっかりと刻まれる。知りもしなかった単語を暗誦しただけではものの五分で忘れそうだが、何時間もかけて拾い集めたりスケッチして回った角閃石、緑色片岩、パミスやスコリアは、たぶん何年間も忘れない。地学はそんなところがある。
朝は8:40の一時限目から始まって午前は2コマ、午後は実習なら最低四時間、座学ならだいたい3コマあり、ほぼ18:00ごろに一日の授業が終わっていた。エネルギーを使い果たすというのはいいものだ。地域で地区委員や評議員をやらせてもらっていたときの土日のような状態が平日に毎日続くのである。すごい。ぼくはあまり仕事に関してはハスに構えてテキトー星人だったので、この歳になって「一生懸命やる」というのは血沸き肉踊る体験だった。そしてさらに冬学期は駒場と本郷を行ったり来たり。往年の赤坂見附・渋谷経由の地下鉄移動がよみがえった感覚だ。駒場の教養学部は昭和末の古き良き駒場寮や矢内原公園は影をひそめてしまったが、全員でいっせいに休み時間の教室移動を行う理科一類、理科二類の若い人たちと混じって教室に入るのは楽しかった。
あとは非常にレベルの高い定期試験である。だいたい15回くらいの講義の締めくくりとして試験が課されるのだが、きちんと勉強して対策すれば取れるものだが、無策で入場すると途方に暮れる結果となる。ある先生が言うには「できる人とできない人が真っ二つにわかれる」のだそうだ。前期はまったく落とさなかったし、後期は途中であきらめたものもチラホラあったが全力は尽くしたと思う。レポートも非常に頻繁に出た。やってもやっても次が出るし、もたついているとさらに次のものが積み重なってくる。デッドヒートを繰り広げている感じだ。
ほどほどの配当教科どおりならまだしも、ぼくは20何年ぶりの大学生活がうれしすぎて他学部他学科科目をたくさん取り過ぎた。その結果ひいひい言わざるを得なかったのだが、仲間も増えた。サークル活動までは手が出せなかったが、キャンパスガイドは楽しかったし、これはしばらく続けていくつもりである。もう10年若ければ野球部や応援部も夢ではなかったのだが、体力的には学業専念だけでも精一杯だったといえるだろう。
そして来週から四年に進級である。レベルアップ・パワーアップして夏学期を乗り切り、その勢いで大学院修士課程の入学試験に臨む。できるとかできないとかではなくて、レールに乗った以上やり続けるしかなかろう。楽しく充実した学問の道に終わりはないのである。