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奇跡の今日一日

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2013-05-11(Sat) [長年日記]

_ 英語訓練

毎週の英語の輪講、いくらか慣れてきた。全訳もやり、単語メモもやり、直接書き込む調べ方もやってみたが、あまり早く準備しても当日思い出せない。結局効率がいいのは、直前二日間くらいで日本語の同内容の専門書を調べながら、一気に頭の中で訳出して、不明単語のみ意味を書いておき、訳を二日間覚えておくというやり方である。あと経験的にちょっとわかってきたのは、無理に意味をまとめてサマリーを話そうとせず、愚直にその場で英語を見ながら全訳を考えるということである。これが大変なのだが、英語で考え、アウトプットだけ日本語という、一番いい方法かもしれない。周りの東大生たちを観察しているとだいたいそんなやり方みたいである。というかみんな単語をよく知っているし、関係代名詞が二重三重になっている構造文でも、ささっと頭の中でまとめている様子がわかるのだ。独り言をつぶやきながら訳しているので思考過程が見える。自分も思考過程を見られているみたいなのであるが。

正規の授業以外にも、大学院入試対策のために外部のプログラムでTOEFL_ITP対策講座を受講し始めた。毎週土曜に三時間、麻布十番のテンプル大学日本支部に通っている。文法問題などの肝になるところを教わる。そして模擬問題を少し解く。解けたら隣席の人と検討する。答えは別紙にある。単語力がけっこう厳しい。老若男女混じっている。まさかみんな大学院入試の人ばかりではないと思うが、20代から50代までいる。50歳過ぎてから留学とか、会社で受けさせられて530点取れないと配転とかでしょうか。厳しい人生である。

ともかくみんなで勉強するのが大切かもしれない。いまやっている英語以外の科目も、どれもみなみんなで学び、みんなで問題を解いて、わかったとかわからんとか言っているのが楽しいのである。最小限だけやって逃げ回っていたあの勉強のやり方は長続きしない。好きで学生になったのだから、やっぱり楽しんでやっていきたい。


2013-05-10(Fri) [長年日記]

_ キャンパスツアー新ガイド募集

今年は事務局に入り、今度はガイドさんを募集する側に回る。印刷した募集ポスターを持っていき、学生支援課の許可印を受け、学内の掲示板に貼る。正門や赤門、弥生門など門の横や食堂の横の掲示板など10か所近くある。自転車が力を発揮する。公式なポスターを許可を受けて貼ったのは初めて。

もちろん募集終了後全部責任を持って剥がして回らなくてはならない。貼るのも剥がすのも一時間近くかかる。大量の画鋲を使用。終わって帰ってきたら、靴の裏に画鋲が数個刺さっていた。


2013-04-28(Sun) [長年日記]

_ 小休止

4年生に進級して、のっけからフルスピードでの授業日程であった。やっとのことで連休に差し掛かり小休止である。毎週金曜の夜に英語の論文をみんなで読む演習がやはりちょっと重い。それから木曜日の物理化学演習。これは偏微分方程式出現しまくりの例のギブスやらヘルムホルツやらの自由エネルギーパラメータを見ながら物質の反応を多変数で解析するという熱・統計力学の計算演習である。数学とくに微積分がわからなくてはまったく理解できない領域の学問だが、これは先生も丁寧に教えてくれるし、地味に努力していれば確実に解ける演習問題ばかりなので問題ない。やはり学問でも仕事でも消化困難なのは、先生が不親切というかほったらかしで、自分で解き方を考えなさいというタイプのものである。わからないところは聞きなさいと言われるのだが、わからないところが多すぎて途方に暮れるということが多いのである。

他学部聴講なども今回はぐっと抑えたつもりだが、大学院修士課程入試もあるので、外部でTOEFL ITP対策講座も取っていて、結局トータルでは三年のときとそれほど密度は変わりない。とにかく七月末の定期試験まで全力を尽くし、八月の大学院入試を乗り切りたいと思っている。卒業論文の研究までにまだまだ時間があるので、自分がやりたいこと、できることを探すことが先決なのかもしれない。


2013-04-23(Tue) [長年日記]

_ 課題

新学期が始まってからもうすでに切れ目なく果てしなく続くレポートの山。いまどきの大学生は決して遊んでばかりではないよ。終わりなきミッション消化。


2013-04-12(Fri) [長年日記]

_ 過密

四年の授業が始まってから、英語論文の講読が必修になって、むちゃくちゃ忙しい。というか時間がほとんど足りず。選択授業を削るしか解決方法はないのかも。


2013-04-05(Fri) [長年日記]

_ 授業スタート

理学部四年次前期の授業が今日からスタートした。まず午前は座学として、火山・マグマ学、そして兄弟学科である地球惑星物理学科の比較惑星学基礎論を受講した。比較惑星学のほうは本郷の理学部で行われるのだが、柏キャンパスへの同時中継も行われる授業である。先生は教室のわれわれへと、カメラの向こうと同時にカメラ目線を送りながら話をされていた。たぶんスカイプ利用であろう。

午後は生物多様性実習。微生物や脊椎・無脊椎動物を材料に取り上げるようである。今日は井戸水や池の水の採取をして、顕微鏡で微生物を見るところを実習した。分子系統解析のソフトウェアを使ったり、英語の論文のプレゼンも含まれる。

夕方の五時過ぎてからは、必修の地球惑星環境学演習である。クラスを三班に分け、分野ごとの英文レビューを行う。自分たちの班では環境学の英語の教科書を輪読していく予定。きょうはそのガイダンスだけだったが、来週から実際の講読に入る。

すでに宿題の英文が2本渡された。常に何かに追われている学生生活である。


2013-04-03(Wed) [長年日記]

_ 大学4年生

年度が変わって、理学部地球惑星環境学科の四年生となった。三年から編入だとあっという間に折り返し地点である。専門学校や短期大学に入学して二年目を迎える場合もこのような感覚なのかもしれない。ぼくは長いこと専門学校の教員をやってきたが、学生の皆さんの顔をやっと覚えてコミュニケーションが取れるようになってきたと感じ始めた矢先に、卒業してお別れという繰り返しだった。

昨年の新年度スタートは、研究生から学部生に身分が変わっただけでなく、工学部から理学部への大転換もあったし、指導教授や研究室ももちろん変わったし、受ける授業も一変する大きな変化であった。それに比べると今回は学年の数字だけ変わるに過ぎず、変化することのほうが少ない。住むところは変わったが、それは自分の個人的な事情である。変化順応に労力をかけないで、学問の続きに専念できるということだろう。困難を乗り越える力も倍増していると思う。

_ 冬学期成績

三年次冬学期の成績がほぼ出揃った。今回はなかなか渋く、優良可不可(ABCD)の「可」を二つ取得してしまった。工学部時代には可がごろごろある暴走学生であったが、今回はすべてにおいてまじめにきちんと努力している毎日なので、この可はちょっと不承諾したい気分ではある。しかし二つの科目の可には理由があるのもわかっている。

ひとつは英語実践の講義である。英語力そのものを評価される授業だったが、そのクラスの学生はTOEICで800点以上のレベルの水準だったのだ。そこに500点台の自分が混じっていればどんなにがんばったところで相対評価はビリッケツである。単語レベルチェックテストも正直に書いて出しちゃったし、やむを得ないところだ。

もうひとつはシステム進化学の試験で「プレート境界の三種類の状態を答えよ」という問いに対し、正断層・逆断層・横ずれ断層という「種類」を答えるべきところ、日本付近のフィリピン海プレートなどのプレートを三つ具体的に上げてしまったのである。試験の採点において、問題の趣旨を取り違えたらたいていアウトである。地学の常識を答えられなかったのだからほんとうなら不可でも甘んじて受け入れなくてはならないところだったが、15回中14回の出席を果たしていたし、高齢学生への温情ということもあって「可」をいただけたのであろう。大変恥ずかしいミスであった。

しかしながら他の科目については、自分の所属する環境学科の科目は駒場・本郷を通じてほとんどが優であったし、専門外の他学部・他学科科目もほぼ良がいただけた。自信のなかった生命科学や大気海洋の分野が優だったのはとてもうれしい。この満足感をバネにして、また今度の4年生科目もしっかり履修していきたいという向学心に燃えているところである。


2013-03-28(Thu) [長年日記]

_ 大学三年生の一年間

去年の四月に理学部三年に編入させてもらって嵐のように勉強させてもらった。もうすぐ年度が終わる。この一年間、ひたすら地学の基礎を学ばせてもらった。放送大学で数年続けた「90分の授業を受ける」という面接授業の忍耐練習が効果を発揮したと思う。毎日毎日授業漬けである。望んでいたことがかなえられたのだから、忍耐とは言っても楽しい毎日だった。もちろん座学だけではない。演習や実験、調査や野外巡検も新鮮であった。むしろ机での勉強よりも体を動かす実習のほうが、学問が身体化し、内面化したように思う。実際目で見てスケッチしてグラフを描いたり実物を計測したことは、記憶にしっかりと刻まれる。知りもしなかった単語を暗誦しただけではものの五分で忘れそうだが、何時間もかけて拾い集めたりスケッチして回った角閃石、緑色片岩、パミスやスコリアは、たぶん何年間も忘れない。地学はそんなところがある。

朝は8:40の一時限目から始まって午前は2コマ、午後は実習なら最低四時間、座学ならだいたい3コマあり、ほぼ18:00ごろに一日の授業が終わっていた。エネルギーを使い果たすというのはいいものだ。地域で地区委員や評議員をやらせてもらっていたときの土日のような状態が平日に毎日続くのである。すごい。ぼくはあまり仕事に関してはハスに構えてテキトー星人だったので、この歳になって「一生懸命やる」というのは血沸き肉踊る体験だった。そしてさらに冬学期は駒場と本郷を行ったり来たり。往年の赤坂見附・渋谷経由の地下鉄移動がよみがえった感覚だ。駒場の教養学部は昭和末の古き良き駒場寮や矢内原公園は影をひそめてしまったが、全員でいっせいに休み時間の教室移動を行う理科一類、理科二類の若い人たちと混じって教室に入るのは楽しかった。

あとは非常にレベルの高い定期試験である。だいたい15回くらいの講義の締めくくりとして試験が課されるのだが、きちんと勉強して対策すれば取れるものだが、無策で入場すると途方に暮れる結果となる。ある先生が言うには「できる人とできない人が真っ二つにわかれる」のだそうだ。前期はまったく落とさなかったし、後期は途中であきらめたものもチラホラあったが全力は尽くしたと思う。レポートも非常に頻繁に出た。やってもやっても次が出るし、もたついているとさらに次のものが積み重なってくる。デッドヒートを繰り広げている感じだ。

ほどほどの配当教科どおりならまだしも、ぼくは20何年ぶりの大学生活がうれしすぎて他学部他学科科目をたくさん取り過ぎた。その結果ひいひい言わざるを得なかったのだが、仲間も増えた。サークル活動までは手が出せなかったが、キャンパスガイドは楽しかったし、これはしばらく続けていくつもりである。もう10年若ければ野球部や応援部も夢ではなかったのだが、体力的には学業専念だけでも精一杯だったといえるだろう。

そして来週から四年に進級である。レベルアップ・パワーアップして夏学期を乗り切り、その勢いで大学院修士課程の入学試験に臨む。できるとかできないとかではなくて、レールに乗った以上やり続けるしかなかろう。楽しく充実した学問の道に終わりはないのである。


2013-03-24(Sun) [長年日記]

_ 沖縄旅行

妻と沖縄に旅行。ビオスの丘で遊覧クルーズ。残波岬の海岸を散歩。沖縄科学技術大学院大学(OIST)を訪問。海洋博覧会会場でイルカショー観覧。名護城址をドライブ。首里城で舞踊を見る。ひめゆりの塔で沖縄戦の現実を学習。最後は国際通りと屋台で買い物。

金曜の夜に出かけて日曜深夜に上京。月曜日に自宅に戻るという、少し過密なスケジュールだった。しかし沖縄のすべてを満喫した感じである。数年前にラウンドアップで行ったことが思い出され、その時の記憶がスポットでつながった感じである。今回は現地ではほとんどレンタカーでの移動であった。モノレールとバスに比べたら、オンデマンドの便利さは比べ物にならない。もっと何年も前から車を運転していれば自由だったのに…と今更ながら思う。

今回は実は2010年にアメリカのサンアントニオに行ったときのマイレージを、ANAのマイルに交換したものの消費ツアーでもあったのだ。JALマイルは何かと使えていたが、ANAは機動力が少なく、なかなか使えずに貯まったままだったのである。今回「いっしょにマイル割」でほぼ全部使い果たした。オーストラリア巡検もパスしたところだったし、この春の遠出としてはメインイベントになったと思う。


2013-03-17(Sun) [長年日記]

_ 墨田区

仮住まいだった志村の借家を引き払い、墨田区に引っ越した。やっと暖かい部屋の中で過ごせる。と思いきやもう春の足音も近い。三寒四温ではあるが、安定した快適なマンションの生活が始まった。

段ボールの箱詰めから何から何まで、引っ越し業者に全部お任せでやってもらった。まるで法人の引越だ。荷物はたいして多くないが、指示してほったらかしで済む引っ越しである。重いものを運ばなくてよい。埃まみれにならなくてよい。いままでやってきた引越とは全然違う。ひとりだときっと安く済ませるためにそうしていたと思うが、いまはもう自分一人ではない。

引越マニアのように三・四年おきに移り住んできた自分としては、電気もガスも水道も、手続きは手慣れたものである。しかしいつも難航するのがADSL。なんであんなに厄介なのだろう。引っ越した瞬間にインターネットが使えたことなどほとんどない。引っ越し日が何週間も前からわかっているのに、プロバイダが回線業者やNTTとうまく連携を取ってくれない。まだ引っ越してもないのに回線調査してしまうし、そうなれば当然NGである。今回も苛立ちながら、ADSLの開通の様子を見守っていた。それでも五日目には開通したので良しとするか。

東武の沿線でふたたび暮らし始めることとなる。数年前の東上線と、今回は亀戸線。なぜか伊勢崎線が「スカイツリーライン」などと名乗っている。曳舟で乗り換えて東武を乗り継ぎ、あとは都営地下鉄を乗り継いで本郷三丁目まで通う。結婚してから都営地下鉄生活が続いている。猪瀬直樹が知事になったのだから、著書通り都営とメトロを一本化してほしい。そうすれば安く早く大学までたどり着ける。

春休みの時期なので腰を据えてゆっくり引っ越しもできた。不動産取得もそろそろこれで打ち止めだろうか。ここなら来年以降に大学院に進学したとしても、本郷でも柏でも楽に通える。都内の東側エリアは昭和63年~平成2年の文京区在住以来である。荒川や隅田川が氾濫しないことを祈る。平成の時代に洪水は滅多にないか。


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