木曽観測所での実習ののち、長野県内に三日間滞在した。松本、豊科で初日はすごす。中野沼袋にいたメンバーと再会。夕食を共にする。病後の状況はよいようだ。ご自宅も見せていただく。広い一軒家。日本風のつくりがアメリカ人のご本人となかなかミスマッチだが、気持ちよく過ごしておられるよう。奥様とも楽しく談笑して土曜は終了。
東京大学の体験活動の一環で、大学院理学系研究科附属の木曽観測所に行った。木曽福島の駅から大学の先生や職員に送迎してもらう。なんと山深い奥地であろう。星空の観測のため、光が入ってこない山奥に大型の天文観測装置が設置してあるのだ。
アウトリーチ用の画像処理とパノラマ写真の撮影などを体験。肉眼でも見える満天の星空。すごくきれいだ。流れ星も見える。天の川もはっきりとわかる。ミルキーウェイである。
天文学者の准教授に直接指導していただき、大学院修士課程在籍のティーチングアシスタントから助けていただく。楽しい夏の課外実習、あっという間の二日間であった。
思い立って登山の道。青梅線の古里駅から吊り橋を渡って登山道へ。登山道の入り口には獣害防止の柵が設置されている。柵の鍵を開けて登山道に入った。
古里から大塚山までの行程はなだらかな山道をおよそ二時間である。三キロくらいであろうか。とにかく登り続ける。夢中で歩いているとあっという間に一時間が過ぎる。意識して休憩を取る。進みたいが休憩。ちょこちょことデジカメで写真を撮ったり、地形図を確認しながら進む。
そろそろ尾根に近づいてきたので山頂は近いか…と感じてからがけっこう長かった。大塚山まで1.2kmの道標がある。ハンドブックにもよく出てきた「みちしるべ」。とてもいい天気の秋の日に単独登山。大塚山の山頂は標高約1000mだが、初心者の自分としてはちょうどよいくらいだった。山頂には三角点。三角点に感動。
山頂を過ぎて神社から下るとすぐにケーブルカーの駅。ここはもう毎年大晦日に来ている勝手知ったる場所である。ケーブルカーを使わずに降りることなど今まで考えたこともなかったが、ついでとばかり徒歩下山に挑戦。スギの木が並んでいる。しかも番号つき。木の側面に1,2,3…と記されていて、なんと700何番目まである。ずっと歩いて降りていく。つま先が痛くなりひざが痛くなり、滝本の駅まできてギブアップである。あとは西東京バスでJR御嶽駅に戻る。
よい登山練習になった。また別のコースで試してみたい。冬はちょっと寒いかなあ。
埼玉県の北である本庄の町に行く。勉強会の講師のような役を頼まれたからである。ひと様にあれこれ教えて差し上げるほどのものが自分に備わっているのかどうかわからないが、呼ばれるうちが華であろう。なるべく断わらないようにはしている。
団体の伝統に関する経験の分かち合いであった。通常は書籍の中に紹介されているアメリカの経験談を輪読してから、個人の経験を分かち合うのが標準スタイルであるが、今回は講師のような立場である。説明と解釈を加える基調講演みたいなものを二時間、午後は質疑応答に答えたり分科会で皆さんの意見を賜ったりした。
教員経験がとても役に立つと思う。明確にカテゴリー分けする。できるだけ明言する。大きな声ではっきりと。自信がないときこそはっきりと!(笑)。なんか弁論部とか政治演説みたいだ。しかし説得というのはそういうものだと思う。ぼくの経験はこうなのだから、それをはっきり伝える責任がある。
心地よい疲労感の中で仲間とドライブがてら帰途につく。大宮でレンタカー返して終了。いつか都内でこういうことが企画できたらと思う。
大学生には夏休みだけでなく、変則的ではあるが秋休みもある。小中高校生はおそらく今日から授業が始まっているであろう。
この秋休みの合間を縫って、巡検のガイダンス、定期試験の一部、レポート提出期限、キャンパスツアーのアルバイト、体験活動(木曽観測所)、巡検(富士山)などがある。東京六大学野球の秋の神宮も始まるので行っておきたい。最終週は平日五日間丸ごと富士山への登山を含む巡検でちょっときついかもしれない。しかし、ここのところ平日は授業がないのでかなり楽である。空いてる日はだいたい大学図書館に入りびたりである。最近は地図や地形図を眺めて暮らし、宇宙のことや地球のことをよく考えている。木曽の活動のあとに少し長野近辺を旅行してみる予定。
いっけん無駄にも思えるこの長い休みだが、生きることを学ぶ月間なのかもしれない。もともとぼくには仲間へのサービスがあるので、時間がありあまることはそんなにない。先日は神谷町にも呼ばれて行くことができた。他の人たちとともに生きるのはすばらしい経験である。
幻の路線である西武安比奈線を見に行く。旅客営業はしていない。昔貨物列車が走っていたそうである。西武鉄道の新宿線の南大塚駅から分かれている。「廃線」ではない。休止されているだけらしい。見事にレールが残っている。休止から40年は経っているようだ。立ち入り禁止箇所も多いがレールにさわれる場所もある。町の中、住宅地、田や畑の中、森の中、河川敷と、レールは続いていた。架線柱もほとんど残っている。素晴らしい景観。いつか川越的場まで旅客営業して、高速バス乗り場と南大塚駅を結んでほしいものだ。
三年四か月前、有名ロッカーが亡くなった日に偶然買った自転車が、ついにパンクした。安い自転車は寿命が短いなあ、と思う。しかし修理すれば延命する。チューブを傷めないようにパンク後輪を浮かせて持ち上げながら、春日のオリンピックに自転車を運んだ。東大構内から約1km。疲れた。
診断してもらったら、タイヤには問題なく、虫ゴムの劣化であった。前にも同じことがあった気が…。798円で修復完了。自分で修理できたかも。
最近また思うところあって、施設や病院へのメッセージを再開している。先週の立川に続き、今日は大泉のクリニックへ。底つきの頃の話をする。ミーティングでの話し方に慣れてしまい、短くまとめすぎたかもしれない。しかし20年くらい前の苦しんでいたころの記憶がよみがえる。あれを忘れてはいけない。忘れるわけにはいかないのだ。苦しみの経験は、ぼくたちの財産である。
二年ぶりにお寺での勉強会に参加した。成田空港からスカイマークの格安便を利用。今や航空は片道1万円を切る時代。日暮里から成田までの京成スカイアクセスに2400円も払っている場合ではないかもしれない。鹿児島空港からレンタカーを借りて、南泉院まで約一時間である。
「伝統」の勉強会のラストに間に合う。末席で聴講する。翌日は「概念」と「広報」の勉強会である。講師はスポンサーである。久しぶりにまとまった話を聞かせていただいた。一昨年はグランドスポンサーと行ったのだった。ぼくの体の中に消化されてきた「伝統」や「概念」は先行くこれらのメンバーたちから引き継いだものだ。スタンダードでジェネラルな流儀を引き継いでいるつもりでいる。ジェネラル過ぎると原理的になり衝突も生みやすくなるが、あまりに現実優先だと引き継ぐべき大切な原理が失われてしまう。現場で百戦錬磨してきたスポンサーやグランドスポンサーの実践的・論理的帰結が、今回のお話のようになっているのだと思う。自分も原理や現場で感じたことを次の世代に伝える責任があるのである。
勉強会の合間にお寺の食事、住職さんのお説教、そして温泉など。朝のお説教は人生や食べ物や、しつけやお金のことを深く考えさせられるものであった。
「食事中にテレビをつけない」大賛成である。うちにはテレビがないんです、と手を挙げて叫びたいくらいに同感だったが、黙って話を聞くのも大人の所作。でもぼくにはビルマの子どもたちに奉仕ができるほどのエネルギーはない。非行少年の教育もできない。教誨師は職業とはいえ大変な仕事である。
亜熱帯の雨の中、レンタカーを空港に返して再び関東に戻る。特急料金をケチってみたら成田の遠さを実感。しかしながら充実した週末であった。
休暇である。たまには学業を休んで日帰りの旅に出る。青春18きっぷを使うとあと四回が義務となってしまうので、一日の使いきりでJRの休日おでかけパスを購入。昔のホリデーパスである。神奈川だと小田原から、千葉は成東、栃木は小山、群馬は本庄早稲田まで使える。以前甲府まで往復するときに大月までの有効区間を利用するだけでも元が取れた。おとくな切符である。
まずは海が見たい。東京湾ではさびしいと思い、相模湾へ向かう。江ノ島か逗子かと思ったが、赤羽から乗った湘南新宿ラインがたまたま逗子行きだったので逗子へ向かう。
平日の午前中だが夏休み期間である。逗子駅の近辺は、髪を染めたお兄さんお姉さんであふれかえっていた。大学生や高校生のリゾートか。選択ミスであった。しかしここまできたのだからなんとしても天皇のリゾートである葉山までは行きたい。しかし逗子駅からはかなりあるようだ。そこでカーシェアリングを利用してみる。
逗子駅前からタイムズプラスで車を借りて出発。近距離なので一時間半と思ったが、出てみたらひどい渋滞である。まったく進まない。しかも道が狭い。すれ違いもやっとな道路。海水浴で逗子マリーナに向かうお兄さんお姉さんたちが浮き輪を持って車道を歩いている。あーこれではだめだ。
しかし忍耐しながらトンネルを二つくぐって葉山御用邸前までは行ってみる。うっそうと茂った防風林が見えた。奥はもちろんセキュリティの中。早々に引き返しタイムズステーションに車を返す。一時間で退散。カーシェアは800円ですむ。タクシーより安かったと思おう。
気を取り直して逗子から横須賀線快速電車で東京湾を一周。東京駅を経由して直通で総武本線、内房線へ。木更津に向かう。春の巡検以来である。
木更津からローカル線の久留里線に乗り換えである。木更津に着くときに草むした線路が見える。たぶんこれは廃止線で、その逆側に久留里線の分岐があるに違いない…と予測していたが、なんとこの草むしたレールが久留里線であった。雑草が線路を覆っている。というか線路が雑草の中に埋もれている。脱輪しないのか。
ディーゼルカーに乗り込み、久留里線で山奥へ登っていった。奥へ奥へと進んでいく。相変わらず雑草が刈り取られていない単線。鉄道冥利に尽きる路線である。
久留里駅で大半が降りるが、さらに列車はディーゼルの激しいエンジン音とともに終点へ向かう。終点は上総亀山駅。改札も何もない無人駅。注意しながら見ていたが、この久留里線は有人駅は始発の木更津以外にはなかったのではないのか。車内で車掌が「切符をお持ちですか?」と尋ねてきた。関東にいながらにして、まるでここは九州や中国地方の山間部の駅のようだ。
ふたたび久留里線を木更津まで戻ったあたりで日が暮れてくる。時間がなくて栃木や群馬には行けず。板橋で妻と合流して食事して帰宅。ミニトリップであった。
今月はじめに巡検から帰ってきて、夏休みとなった。授業がない。しかし毎日まったく同じ時間に大学へ行く。そして図書館で自学自習。山ほど本を読んでいる。持ち込みパソコンでときどきFacebookもチェック。ソーシャルコミュニケーションは時間を使ってしまうので用心したほうがよい。パソコンを使う時間は少なめにして、なるべく本などを読む。昨年の研究生の期間がちょうどこんな感じの毎日だった。
ぼくはいったい何を求めてふたたび東京大学に戻ってきたのだろうかと、足元をじっくり見ながらそう思う。たくさんの選択肢の中から理学部を選びサイエンスを志すことにした。理科か文科か、それが問題だ。それでも語学は必要だし、文章も書きたい。けっきょく論理と筋道ということでいうと、サイエンスほど一貫した世界はないということだ。
高校二年くらいから24歳くらいまで長い時間をかけて数学や物理の訓練をしたことは無駄にできないと思う。就職してから紆余曲折があり、数理からは離れていた。かなりのブランクがあったが、必死でやれば元の水準まで取り戻すのにそれほど苦労しないこともわかった。それどころか、微積分は面白いことだらけである。
理学部に学士入学してから四ヵ月半が経過した。超過密とも言える理学部地球惑星科学のカリキュラム。三年次はとくに毎日実習が続くし、経験者は口を揃えて「三年はきついっすよね」と言う。しかしなんとか乗り切れた。授業も試験もレポートも手を抜かなかった。でも完全主義には陥らない。人間の思考には限界があるからだ。
三年夏学期(2012年前期)のカリキュラムをこなした現時点での興味はGIS(地理情報システム)や気候変動である。地質、地層や化石・岩石などへの興味はこれから開発途上という気がする。大昔の層序年代を学ぶのもおもしろかった。
九月には少し残された定期試験とレポートがあり、なかばには東大の木曽観測所で体験活動、そして下旬は富士山で巡検である。
九月が終わって十月になるとまた通常の授業、冬学期(2012年後期)が始まる。後期は半分以上が駒場キャンパスの二年次の授業を選択することになる。卒業のためには、必修科目になっている駒場の講義が週に三回あるからだ。駒場に授業で通うのは新鮮である。昭和60年の理科一類入学を思い出す。大いに若返りそう。
ミュージシャンの小椋佳氏も、銀行員をやめて法学部に学士入学したのは50歳のときだったと聞く。この人の存在は大変影響を受けた。先行くお手本となる先駆者はとても大切である。ぼくはぜんぜんあれほどの名士ではなく小物だが、思い立ったときにやり直せればそれでよいと思う。もちろん支えてくれる周りの人間があってのことだけれど。
こうして少し時間の余裕があると来し方行く末を見ることができる。時間がないと心が滅ぶ。時間乞食になってはいけない。目の前にはこれから生きる何十年という歳月が横たわっている。できることはいくらでもある。そしてくつろぐ時間、楽しむ時間も有り余るほどある。ひとつずつ前進である。
東京大学のオープンキャンパスが開催された。去年は震災の影響もあり12月に開かれたが、今年は盛夏の開催。ぼくは今回は東大の学生として主催者側に回る。高校生を対象としたキャンパスツアー(大学案内)の要員として、ジュニアTA扱いで時給をもらいながら働いた。超久しぶりの労働! 労働しちゃったよ。
8:30より受け付け準備。9:30から整理券配布なのだが時間前から長蛇の列ができる。列を作るコーンなどを準備する前に、もうお客さんが勝手に並び始めるのであった。
担当ツアーは10:00、11:30、13:00、14:15の四回であった。それぞれ一時間弱、東京大学の構内を案内して差し上げる。安田講堂、赤門、総合図書館、三四郎池など、スポットごとに知っていることをしゃべりまくる。何回もしゃべっているうちにますます記憶が堅固になっていく。もうねえ、東大のことなら何でも聞いてよ…な状態。エンドルフィン出まくりな覚醒状態で一日終了。
参加してくれた高校生の皆さんには、是非とも東京大学に入学してきてほしい。