授業が始まって一週間経ち、本郷キャンパスでの理学部や他学部の第一回目の授業が一巡した。きょうは三年後期の必修である「地球惑星環境学実習」の研究分野の決定もあった。いろいろ野外調査をしてきたが、結局地形・地質のベーシックな分野を選択することに決定。富士山の実習から間があまりないせいか、富士山の火山灰や丹沢の褶曲を選ぶ人たちが続出し、そちらは見送ることとなった。
他学部の履修科目もきょう事務局に申請。来週からは駒場の授業もスタートする。駒場に立ち寄り、履修時間割をもらってきた。前期課程の授業も魅力的なのが多いが、前期の一般教養は専門課程からは単位履修できないので、先日述べたように、専門課程の四学期二年次後期科目の持ち出し科目を履修することになる。後期は大学の醍醐味を味わうことになるだろう。
必修以外は自分の志向によりチョイスが可能である。他学部科目も聴講できる。今週と来週はお試しで第一回の講義を回遊する。先生もそのつもりで来ていらっしゃる方が多いので、学生の側も気楽だ。
本日出席した授業。一限、農学部「緑化工学」。二限、理学部「水圏環境学」(陸水学)。三限、理学部「宇宙惑星進化学」。四限、経済学部「環境政策」。五限、農学部「水文学」。
初回と思って気を抜いていたら、なんと三つもレポートが課されてしまった。出して選択を続けるか、バックれて他の科目に移るか。それが問題だ。けっこうレポートが課されるときって重なるんだよね。
三年冬学期(後期)の授業が始まった。ぼくは三年次から学士入学したので、二年の後期の必修科目をこれからさかのぼって取らなくてはならない。その一方で三年次の科目が免除されるわけではない。どうするかというと、まずは必修科目で時間割を埋めて、あいた時間に本来今学期取るべき三年次の科目を配置する。配置できなかった三年次科目はまた来年四年になってから取る。そして四年のときの配当科目はどうするんだろうか…という流れである。みんなが二年半かけて履修するカリキュラムを二年ジャストで網羅するのだからちょっと大変かも。しかしこの半年で学んできた科目の前段階の基礎講座を、これから受けるのだから、たぶん半年間すっきりしなかったことが次々に氷解していくのではないかという期待感がある。講義の中で既知の前提とされていることをまだ学んでいなかったわけだから、すっきりしないままどんどん進んでいくのは当然だったといえるし、それが今学期解決するのだから楽しみである。
しかも二年次の配当科目はすべて駒場キャンパスで行われるのだ。駒場はぼくの東京生活のスタートとなった場所であり、いろんな意味で郷愁や思い出にあふれている。理科一類に入学して初めてドイツ語を学び、難解な大学数学(とくに解析の証明問題など)に出会い、その一方でバンドや酒やマージャンに明け暮れていたあの頃である。いまはバンドも酒もマージャンもないので、駒場東大前はまさに学府にほかならないし、快適な学問の場所である。専念できることだろう。
基礎の必修科目を教えていただく地球惑星環境学科の先生方のほとんどから、この三年次の前期にすでに教えをいただいている。そのあたりも安心感があると言える。この先生から詳しくきちんと学びたいと思えるような、尊敬の対象ばかりである。
駒場と本郷を短い空き時間を縫って行き来しながら受講することになるのがすこししんどいかもしれないが、それもまた楽しい小旅行気分が味わえることだろう。
月曜から金曜までの五日間、泊りがけで富士山と丹沢の鉱物学実習。正確には「地球惑星環境学野外調査III」である。理学部から三台のワゴン車で富士に向かい、まずは富士山の噴火についてのエビデンスを確認してゆく。一口で富士山の噴火といっても年代によっていろいろ呼び方がある。そしてその堆積物。「宝永パミス」「二ツ塚スコリア」「湯船第二スコリア」など。堆積物をサンプリングしてきて、夜は粒度分析と勉強会である。
富士山の調査中は山中湖畔の東京大学の施設「山中寮」に泊まった。ぼくが高校生の頃だったか酒に酔った東大生が山中湖にボートを出して転覆し、死者が出たニュースを見た記憶がある。
富士山噴火の考察はともかくとして、新六合目まで登ったわけだが、やはり日本一の山。体力的に無理だったので途中でみんなについていけなくなったが、はるか上に頂上の剣ヶ峰は見えたし、とても感動した。
ここは地球なんだと感じた。スケールがすごい。風。冷たさ。視界の広さ。音がないこと。持ってきたパンの袋がはちきれんばかりに膨張している。気圧が低いのだ。標高2400m~2500mくらいの六合目付近でこうなのだから、上はもっとすごいのだろう。いつかまた捲土重来。
後半は丹沢付近の探索である。おもに河内川の川原を中心に露頭を調査した。古い丹沢層群と新しい足柄層群。プレートのぶつかりと沈み込みでこのあたりは力を受けている。富士山からの古い溶岩流。そして火山灰の堆積。北半球の中緯度地域では風は西から偏西風が吹くので、富士山の火山灰はこのあたり一帯に非常にたくさん積もっているのである。
沢の水はとてもきれいで、川原にはトーナライト、アンフィボライト、クローライトなどのたくさんの変成岩があふれている。その形や粒径を調査する。いろんな構造。何千年も何万年もかけて、これらの石ができていることを知る。先生の説明があまりに明快で驚く。はっきりとすばやく質問に答えられる様子は、知見の多さと質を感じる。あのような研究者になりたいと思う。
河内川の途中で、人が一人やっと渡れるくらいの吊り橋に遭遇。全員順次渡る。歩いていると振動で共振する。手放しでは渡れないスリル。一人だったらどうだったろうなあ。
神縄断層をまたいで層群が一気に変化する。涸れ沢。そしてまたトーナライト。滝が流れるところもある。花崗岩の面構造。現場にたくさんある石たちに圧倒されながら巡検は終了。丹沢荘の食事はこれまでの巡検の中ではトップレベルの豪華さとおいしさだった。そして東名高速を走って東大の本郷キャンパスに到着。
受験を続けていないと英語力が維持できない感じがする。語学とはそういうものだ。夏の間バイク通学になったこともあって、iPodで英語リスニングをする習慣も休止したままになっていた。おそらくスコアは落ちているに違いない。しかし、受験することで契機が維持され、気持ちが持ちこたえるのだ。何もしないと学問は忘却の彼方。少しでもいいから結果を出していきたい。
以前勤めていた日本ジャーナリスト専門学校元校長の細島泉氏のお通夜に参列。88歳。東京帝国大学出身の大先輩でもある。毎日新聞社の取締役をされていたこともあり、関係者が多数参列されていた。
自分がこの学校に勤めていたのは1991~2010年だが、細島校長の在任期間をすべて含んでいる。労使の間でもいろいろなことがあったが、校長が退任されたあともずっと年賀状のやり取りだけは続けさせていただいていた。昨年の年賀状に「一度、六大学野球の応援にでも行きませんか」と一筆添えたばかりであった。実現せずじまいになったことが悔やまれる。
連休の最終日は車で松本に戻り、信州アディクションセミナーに参加。北海道精神保健福祉センター所長の田辺等先生と再会。休憩時間にご挨拶に伺う。簡単な現況報告など。以前理事会などでお世話になったのだ。講演もたいへん示唆深い話ばかりで、ご意見を活用させてもらいたいと感じた。
午後には中座して聖高原へ。くねくねした山道を車で登り、聖湖にたどり着く。夏山のリフトで頂上へ。絶景の長野の山々。野口五郎岳が影に隠れて見えなかったのがちょっとだけ残念。しかし他の2000m,3000m級の山々はすべて見えた。
篠ノ井でレンタカーを返却し、長野から高速バスで東京へ。最終日とあって上信越道と関越は若干渋滞気味。しかし鶴ヶ島Jctからは流れ始め、無事22:00には池袋へ。長く楽しい旅であった。
フォッサマグナの構造線を突っ切り大糸線完全乗車。朝、松本駅を出発して、信濃大町や白馬を経て、南小谷、平岩を抜け、糸魚川にいたる。JR西日本とJR東日本を行き交うところ。新幹線営業が目前の北陸本線に沿い、日本海の絶景を見ながら直江津へ。またこちらで乗り換えて上越高田と妙高に向かう。少し電車が混んでいる。しかし長野はすぐであった。篠ノ井まで抜けて鉄道の旅は終了。レンタカーで上山田温泉に到着する。
上山田で信州そばを食べる。量が多い。でもうまい。お腹がいっぱいになったところで上山田から今度は車で菅平高原へ。日が暮れてくる。木曽の再現だ。つまり光のないところで星空を鑑賞。うまい具合に真っ暗な山中で星を見ることができた。妻と山中でひとしきり。
そして今度は須坂がわへ下山。車だと数10kmもあっという間である。高速道路で更埴まで戻り上山田温泉。気持ちのよい温泉に入り二日目も終了。