日ごろのミーティングはとても大切だ。これがなくてはやはり生きることができない。いま一つフタが開き切れていない気もするが、休み続きなので今はしばらくやむを得ないのかもしれない。
校長から原稿が届き、テキスト入力する。Web公開用のものだが、チェックしてもらうのに、うちにはFAXがないため、コンビニから送った。一枚50円もかかる。いい商売してんなぁ。でも他にないからしかたない。
チェックが済んだらhtml化だ。公式業務は久しぶりだった。
というわけで、ものすごい勢いで「ノルウェイの森」読了だ。なんとも言えぬ読後感。後悔とか悲観とか、なんかそんな一枚舌で書きにくい。作中でたびたび登場人物が語っているとおり「うまく表現できない」のだ。あまり書くとネタバレになるのでやめておくが、自殺をモチーフにするのは過去の自分を見ているようで、なんともよろしくない。自殺を美化するのは社会的損失だと思う今日この頃。
もっと軽く恋愛していいのかもしれないなあと思う。軽快なタッチなので、それが薄っぺらさを演出するのであろう。簡単にセックスするし、簡単に酒を飲む。中国で大人気なのはこれが原因か? でもたしかに村上春樹にしかない引き込む力、今回も感じた。
14年くらい前に途中まで読んでやめた「ねじまき鳥…」を再度読むべきか、それともほかの作家のものに移るべきかちょっと悩む。時間は有限だからだ。
二年ぶりにお寺での勉強会に参加した。成田空港からスカイマークの格安便を利用。今や航空は片道1万円を切る時代。日暮里から成田までの京成スカイアクセスに2400円も払っている場合ではないかもしれない。鹿児島空港からレンタカーを借りて、南泉院まで約一時間である。
「伝統」の勉強会のラストに間に合う。末席で聴講する。翌日は「概念」と「広報」の勉強会である。講師はスポンサーである。久しぶりにまとまった話を聞かせていただいた。一昨年はグランドスポンサーと行ったのだった。ぼくの体の中に消化されてきた「伝統」や「概念」は先行くこれらのメンバーたちから引き継いだものだ。スタンダードでジェネラルな流儀を引き継いでいるつもりでいる。ジェネラル過ぎると原理的になり衝突も生みやすくなるが、あまりに現実優先だと引き継ぐべき大切な原理が失われてしまう。現場で百戦錬磨してきたスポンサーやグランドスポンサーの実践的・論理的帰結が、今回のお話のようになっているのだと思う。自分も原理や現場で感じたことを次の世代に伝える責任があるのである。
勉強会の合間にお寺の食事、住職さんのお説教、そして温泉など。朝のお説教は人生や食べ物や、しつけやお金のことを深く考えさせられるものであった。
「食事中にテレビをつけない」大賛成である。うちにはテレビがないんです、と手を挙げて叫びたいくらいに同感だったが、黙って話を聞くのも大人の所作。でもぼくにはビルマの子どもたちに奉仕ができるほどのエネルギーはない。非行少年の教育もできない。教誨師は職業とはいえ大変な仕事である。
亜熱帯の雨の中、レンタカーを空港に返して再び関東に戻る。特急料金をケチってみたら成田の遠さを実感。しかしながら充実した週末であった。