埼玉県の北である本庄の町に行く。勉強会の講師のような役を頼まれたからである。ひと様にあれこれ教えて差し上げるほどのものが自分に備わっているのかどうかわからないが、呼ばれるうちが華であろう。なるべく断わらないようにはしている。
団体の伝統に関する経験の分かち合いであった。通常は書籍の中に紹介されているアメリカの経験談を輪読してから、個人の経験を分かち合うのが標準スタイルであるが、今回は講師のような立場である。説明と解釈を加える基調講演みたいなものを二時間、午後は質疑応答に答えたり分科会で皆さんの意見を賜ったりした。
教員経験がとても役に立つと思う。明確にカテゴリー分けする。できるだけ明言する。大きな声ではっきりと。自信がないときこそはっきりと!(笑)。なんか弁論部とか政治演説みたいだ。しかし説得というのはそういうものだと思う。ぼくの経験はこうなのだから、それをはっきり伝える責任がある。
心地よい疲労感の中で仲間とドライブがてら帰途につく。大宮でレンタカー返して終了。いつか都内でこういうことが企画できたらと思う。
大学生には夏休みだけでなく、変則的ではあるが秋休みもある。小中高校生はおそらく今日から授業が始まっているであろう。
この秋休みの合間を縫って、巡検のガイダンス、定期試験の一部、レポート提出期限、キャンパスツアーのアルバイト、体験活動(木曽観測所)、巡検(富士山)などがある。東京六大学野球の秋の神宮も始まるので行っておきたい。最終週は平日五日間丸ごと富士山への登山を含む巡検でちょっときついかもしれない。しかし、ここのところ平日は授業がないのでかなり楽である。空いてる日はだいたい大学図書館に入りびたりである。最近は地図や地形図を眺めて暮らし、宇宙のことや地球のことをよく考えている。木曽の活動のあとに少し長野近辺を旅行してみる予定。
いっけん無駄にも思えるこの長い休みだが、生きることを学ぶ月間なのかもしれない。もともとぼくには仲間へのサービスがあるので、時間がありあまることはそんなにない。先日は神谷町にも呼ばれて行くことができた。他の人たちとともに生きるのはすばらしい経験である。
幻の路線である西武安比奈線を見に行く。旅客営業はしていない。昔貨物列車が走っていたそうである。西武鉄道の新宿線の南大塚駅から分かれている。「廃線」ではない。休止されているだけらしい。見事にレールが残っている。休止から40年は経っているようだ。立ち入り禁止箇所も多いがレールにさわれる場所もある。町の中、住宅地、田や畑の中、森の中、河川敷と、レールは続いていた。架線柱もほとんど残っている。素晴らしい景観。いつか川越的場まで旅客営業して、高速バス乗り場と南大塚駅を結んでほしいものだ。
三年四か月前、有名ロッカーが亡くなった日に偶然買った自転車が、ついにパンクした。安い自転車は寿命が短いなあ、と思う。しかし修理すれば延命する。チューブを傷めないようにパンク後輪を浮かせて持ち上げながら、春日のオリンピックに自転車を運んだ。東大構内から約1km。疲れた。
診断してもらったら、タイヤには問題なく、虫ゴムの劣化であった。前にも同じことがあった気が…。798円で修復完了。自分で修理できたかも。
最近また思うところあって、施設や病院へのメッセージを再開している。先週の立川に続き、今日は大泉のクリニックへ。底つきの頃の話をする。ミーティングでの話し方に慣れてしまい、短くまとめすぎたかもしれない。しかし20年くらい前の苦しんでいたころの記憶がよみがえる。あれを忘れてはいけない。忘れるわけにはいかないのだ。苦しみの経験は、ぼくたちの財産である。
二年ぶりにお寺での勉強会に参加した。成田空港からスカイマークの格安便を利用。今や航空は片道1万円を切る時代。日暮里から成田までの京成スカイアクセスに2400円も払っている場合ではないかもしれない。鹿児島空港からレンタカーを借りて、南泉院まで約一時間である。
「伝統」の勉強会のラストに間に合う。末席で聴講する。翌日は「概念」と「広報」の勉強会である。講師はスポンサーである。久しぶりにまとまった話を聞かせていただいた。一昨年はグランドスポンサーと行ったのだった。ぼくの体の中に消化されてきた「伝統」や「概念」は先行くこれらのメンバーたちから引き継いだものだ。スタンダードでジェネラルな流儀を引き継いでいるつもりでいる。ジェネラル過ぎると原理的になり衝突も生みやすくなるが、あまりに現実優先だと引き継ぐべき大切な原理が失われてしまう。現場で百戦錬磨してきたスポンサーやグランドスポンサーの実践的・論理的帰結が、今回のお話のようになっているのだと思う。自分も原理や現場で感じたことを次の世代に伝える責任があるのである。
勉強会の合間にお寺の食事、住職さんのお説教、そして温泉など。朝のお説教は人生や食べ物や、しつけやお金のことを深く考えさせられるものであった。
「食事中にテレビをつけない」大賛成である。うちにはテレビがないんです、と手を挙げて叫びたいくらいに同感だったが、黙って話を聞くのも大人の所作。でもぼくにはビルマの子どもたちに奉仕ができるほどのエネルギーはない。非行少年の教育もできない。教誨師は職業とはいえ大変な仕事である。
亜熱帯の雨の中、レンタカーを空港に返して再び関東に戻る。特急料金をケチってみたら成田の遠さを実感。しかしながら充実した週末であった。
休暇である。たまには学業を休んで日帰りの旅に出る。青春18きっぷを使うとあと四回が義務となってしまうので、一日の使いきりでJRの休日おでかけパスを購入。昔のホリデーパスである。神奈川だと小田原から、千葉は成東、栃木は小山、群馬は本庄早稲田まで使える。以前甲府まで往復するときに大月までの有効区間を利用するだけでも元が取れた。おとくな切符である。
まずは海が見たい。東京湾ではさびしいと思い、相模湾へ向かう。江ノ島か逗子かと思ったが、赤羽から乗った湘南新宿ラインがたまたま逗子行きだったので逗子へ向かう。
平日の午前中だが夏休み期間である。逗子駅の近辺は、髪を染めたお兄さんお姉さんであふれかえっていた。大学生や高校生のリゾートか。選択ミスであった。しかしここまできたのだからなんとしても天皇のリゾートである葉山までは行きたい。しかし逗子駅からはかなりあるようだ。そこでカーシェアリングを利用してみる。
逗子駅前からタイムズプラスで車を借りて出発。近距離なので一時間半と思ったが、出てみたらひどい渋滞である。まったく進まない。しかも道が狭い。すれ違いもやっとな道路。海水浴で逗子マリーナに向かうお兄さんお姉さんたちが浮き輪を持って車道を歩いている。あーこれではだめだ。
しかし忍耐しながらトンネルを二つくぐって葉山御用邸前までは行ってみる。うっそうと茂った防風林が見えた。奥はもちろんセキュリティの中。早々に引き返しタイムズステーションに車を返す。一時間で退散。カーシェアは800円ですむ。タクシーより安かったと思おう。
気を取り直して逗子から横須賀線快速電車で東京湾を一周。東京駅を経由して直通で総武本線、内房線へ。木更津に向かう。春の巡検以来である。
木更津からローカル線の久留里線に乗り換えである。木更津に着くときに草むした線路が見える。たぶんこれは廃止線で、その逆側に久留里線の分岐があるに違いない…と予測していたが、なんとこの草むしたレールが久留里線であった。雑草が線路を覆っている。というか線路が雑草の中に埋もれている。脱輪しないのか。
ディーゼルカーに乗り込み、久留里線で山奥へ登っていった。奥へ奥へと進んでいく。相変わらず雑草が刈り取られていない単線。鉄道冥利に尽きる路線である。
久留里駅で大半が降りるが、さらに列車はディーゼルの激しいエンジン音とともに終点へ向かう。終点は上総亀山駅。改札も何もない無人駅。注意しながら見ていたが、この久留里線は有人駅は始発の木更津以外にはなかったのではないのか。車内で車掌が「切符をお持ちですか?」と尋ねてきた。関東にいながらにして、まるでここは九州や中国地方の山間部の駅のようだ。
ふたたび久留里線を木更津まで戻ったあたりで日が暮れてくる。時間がなくて栃木や群馬には行けず。板橋で妻と合流して食事して帰宅。ミニトリップであった。
今月はじめに巡検から帰ってきて、夏休みとなった。授業がない。しかし毎日まったく同じ時間に大学へ行く。そして図書館で自学自習。山ほど本を読んでいる。持ち込みパソコンでときどきFacebookもチェック。ソーシャルコミュニケーションは時間を使ってしまうので用心したほうがよい。パソコンを使う時間は少なめにして、なるべく本などを読む。昨年の研究生の期間がちょうどこんな感じの毎日だった。
ぼくはいったい何を求めてふたたび東京大学に戻ってきたのだろうかと、足元をじっくり見ながらそう思う。たくさんの選択肢の中から理学部を選びサイエンスを志すことにした。理科か文科か、それが問題だ。それでも語学は必要だし、文章も書きたい。けっきょく論理と筋道ということでいうと、サイエンスほど一貫した世界はないということだ。
高校二年くらいから24歳くらいまで長い時間をかけて数学や物理の訓練をしたことは無駄にできないと思う。就職してから紆余曲折があり、数理からは離れていた。かなりのブランクがあったが、必死でやれば元の水準まで取り戻すのにそれほど苦労しないこともわかった。それどころか、微積分は面白いことだらけである。
理学部に学士入学してから四ヵ月半が経過した。超過密とも言える理学部地球惑星科学のカリキュラム。三年次はとくに毎日実習が続くし、経験者は口を揃えて「三年はきついっすよね」と言う。しかしなんとか乗り切れた。授業も試験もレポートも手を抜かなかった。でも完全主義には陥らない。人間の思考には限界があるからだ。
三年夏学期(2012年前期)のカリキュラムをこなした現時点での興味はGIS(地理情報システム)や気候変動である。地質、地層や化石・岩石などへの興味はこれから開発途上という気がする。大昔の層序年代を学ぶのもおもしろかった。
九月には少し残された定期試験とレポートがあり、なかばには東大の木曽観測所で体験活動、そして下旬は富士山で巡検である。
九月が終わって十月になるとまた通常の授業、冬学期(2012年後期)が始まる。後期は半分以上が駒場キャンパスの二年次の授業を選択することになる。卒業のためには、必修科目になっている駒場の講義が週に三回あるからだ。駒場に授業で通うのは新鮮である。昭和60年の理科一類入学を思い出す。大いに若返りそう。
ミュージシャンの小椋佳氏も、銀行員をやめて法学部に学士入学したのは50歳のときだったと聞く。この人の存在は大変影響を受けた。先行くお手本となる先駆者はとても大切である。ぼくはぜんぜんあれほどの名士ではなく小物だが、思い立ったときにやり直せればそれでよいと思う。もちろん支えてくれる周りの人間があってのことだけれど。
こうして少し時間の余裕があると来し方行く末を見ることができる。時間がないと心が滅ぶ。時間乞食になってはいけない。目の前にはこれから生きる何十年という歳月が横たわっている。できることはいくらでもある。そしてくつろぐ時間、楽しむ時間も有り余るほどある。ひとつずつ前進である。
東京大学のオープンキャンパスが開催された。去年は震災の影響もあり12月に開かれたが、今年は盛夏の開催。ぼくは今回は東大の学生として主催者側に回る。高校生を対象としたキャンパスツアー(大学案内)の要員として、ジュニアTA扱いで時給をもらいながら働いた。超久しぶりの労働! 労働しちゃったよ。
8:30より受け付け準備。9:30から整理券配布なのだが時間前から長蛇の列ができる。列を作るコーンなどを準備する前に、もうお客さんが勝手に並び始めるのであった。
担当ツアーは10:00、11:30、13:00、14:15の四回であった。それぞれ一時間弱、東京大学の構内を案内して差し上げる。安田講堂、赤門、総合図書館、三四郎池など、スポットごとに知っていることをしゃべりまくる。何回もしゃべっているうちにますます記憶が堅固になっていく。もうねえ、東大のことなら何でも聞いてよ…な状態。エンドルフィン出まくりな覚醒状態で一日終了。
参加してくれた高校生の皆さんには、是非とも東京大学に入学してきてほしい。
所属団体の日本40周年記念集会実行委員会に参加。企画方針骨子やアンケート調査などが議題。開催までまだ二年以上あるが、まだ会場選定前だし、決まっていないことが多い。少しもめる場面もあり。
ぼくは過去の周年行事にかかわってきたが、今回はあまり口出ししない方針。周知方法で意見を求められたので、そのときだけ発言。
帰りに理事と少し話。この20年あまりの歴史を考える。ぼくの経験もその中の一部であると認識。ぼくにできる役目は多分ぼくに固有のことと思われる。誰もわざわざ衝突や対抗を望んでいるわけではない。ぼくにしてもそうだ。まわりはそのように見ていないかもしれないが…。
イベントを契機に皆が一つの目標のもとにまとまれる効果を期待している。
夏休み中の集中科目で地球惑星環境学野外調査IIに参加してきた。調査箇所は千葉県の九十九里浜(匝瑳市)と館山近郊(千倉と平磯)である。五泊六日の日程だった。地質分野がI、地理分野がこのII(地形調査)、鉱物分野がIIIである。
九十九里から千倉にかけて、千葉県の太平洋側は、元禄地震と関東大震災で海岸付近の土地が隆起して、海岸線が海側に進行したらしい。地震以前には海だったところが陸になったのだ。それを調査する実習である。
炎天下を押してひたすら露頭の見学と測量を繰り返した。連日気温35度を越える中、忍耐強く測量を続けた。
夜は勉強会、そして飲み会。もちろん自分はソフトドリンクのみ。学生合宿というのはこういうものなのだろう。研修所の食事の量が半端ではない。自分も20代前半はこんな感じだったかもしれない。世代はむしろ先生寄り。でも知識はまだまだ現役の学生以下である。
この調査結果を用いてまた後期の必修授業で解析があるらしい。しかしこれで正課の授業はしばらくお休みである。待望の夏休みになって、好きなように勉強ができる。図書館入りびたりが楽しそう。
他学部聴講のうち農学部の森林政策学の最終授業だった。平常点(出席点+毎回の小テスト)のみの集計で、試験を受けなくても自分は「優」がつくと通告される。気分はいいが、やはり最後まできちんと履修したいと思う。
この前期、四月から今月までだいたいの曜日は午前中1、2限は座学、午後は実習だったが、ほとんど無遅刻無欠席だった。出席率は99%を超えていたのではなかろうか。木更津の日帰り巡検のときにやむなく他学部聴講の環境システム工学を休んだのと、38度を超える高熱があったときに博物館資料保存論を欠席したのみである。一度目の入学のときには考えられない進歩だ。しかし、今の身の回りのクラスメイトたちを見ていると、そんな人たちはゴロゴロいる。きちんとしている人たちに囲まれていると、自分もそのようになっていくということだろう。
農学部の森林資源環境専攻は、一度は志望しようかと考えていた専攻なので、授業はとても充実していた。後期もできたら農学部科目を取りたいと思っている。