あー、忙しかったよ、きょうも。でも在宅だったのでふだんより30分だけ長めに眠らせてもらって、7:30から仕事開始。Webのコンテンツ作りをなんとか11:00にはめどをつけ、外出。清瀬の施設へ直行。13:15〜14:30のメッセージ。終わってから仲間に武蔵関まで送ってもらい、自宅にまたまた直帰。Webの直し、そして、もうひとつトピックスの作成。終了が18:10。アップロードして、今度は歌舞伎町へ。歌舞伎町といっても遊んでるわけじゃないよん。まじめにミーティングなのである。
帰り道を歩いていると、逆から仲間が来て合流。富士そばで鳥ごぼうそば食べて、ようやく一日が終わり。今日も横道にそれようのない一日であった。やっと明日は休めそうである。
きょうは朝からずっと分刻みであった。こういうときに限って、同時にたくさんの依頼が来るのである。三日に分かれて順番に来ればいいものを、終業二時間前になって三つとか。体が五つくらい欲しい一日だった。
夜は仲間の記念すべきミーティング。こんな日にこんなことが重なるなんて、ほんとに不思議なめぐり合わせである。
延ばした仕事は明日またやろう。
きょうなんか特にそうだったが、木曜はどうも夕方近くから分刻みでスケジュールが押し寄せていて、息つく暇もない。日中ではやれないことが多いのであるが、最近はやはりこれが自分に与えられたものなのだと思う。グループ討議では、出すぎず、引っ込みすぎず、言うべきことは105%くらい言っている、そんな感じであった。
みんなと別れてからも次々にメールや電話が飛び込んでくる感じ。珍しく、電車の走行中にも電話を一件つい取ってしまった。空いてたからまあよかったものの、「必要とされている」気持ちよさ。ちょっと注意していたほうがいいのかもしれないね。
土曜は中間施設のセミナーでスピーカーをして、夜は北多摩地区でのミーティング、日曜は朝からまるまる委員会を運営して、夜は城南地区のミーティングであった。最近ではこういう隙間のない土日の過ごし方は少なくなった。でもこうして忙しくしていると、とても充実感がある。
そして、きょうは仕事も休みでサービスも休み。平日の休みというのは割り込みもほとんど入らないし、ゆったり過ごせる。高田馬場でラーメン食べて、本屋に寄ったりして、午後が過ぎていった。高田馬場のラーメン店全店制覇!なんてことを目論んでいるのだが、店の数は半端ではないので、いつになることか。
池袋に出て、サンシャイン60の下や、久々にオタク銀座(アニメやコスプレ店舗が連なっているあたり)をうろうろ。若い女性の客が多いね。いわゆる「腐女子」だ。おたく女というと風采の上がらない化粧っ気もないような子たちをイメージしそうだけど、コミック店舗で立ち読みしてた子たちはみんなそこそこきれいだったよ。男子も「アキバ系」って、すこし偏見まじりに言われる風潮があるけど、アキバを歩いている兄さんたちにしたって、おしゃれな人は多い。
今日のシメは、池袋のクリニックで12番目のステップ活動。やっぱし飲んでた頃のプライマリな話が、自我の収縮に役立つようだ。
25日は賃金の支払われる日である。最近財布のヒモがやけに緩んでいるので、ここらでびしっと元に戻したいね。ケチな生活に戻るということではなく、使う場所には使う!し、必要ないものには使わない!ということだ。
7年前あたりの自分の姿を思い出す機会であった。何一つやりとおせなかった自分のことを振り返ることができた。
仲間の演奏を聴きに行く。二回目だ。曲を少し覚え始める。前回は下北沢、そして今日は渋谷。いずれもぼくの古戦場である。渋谷警察の横も通った。この警察署にはちょいと思い出が……。しらふでこういうことをつらつら考えるのは実に重い。
西立川の中間施設で午後のミーティングの司会、そして夜は池袋のクリニックでグループのメッセージ。一見、他人の助けをしているように見えて、じつは自分自身がこの行動で助かっているのであった。一日の中には確かにひとりで過ごす時間の隙間もあるのだが、まとまっていないため、横道に逸れにくいのだ。もし、夜のプログラムまで何もなかったとしたら、なすすべもなく横道にそれていったことだろう。ま、そうでなくとも、きょうは仲間からよく電話がかかってきたし、近頃はほんとうに新しい仲間たちから助けられていると思うのであった。
年末年始はちょいと茶髪で過ごしたが、冬休みも終わり、明日から仕事である。きょう少し散髪して、秋に使った黒髪戻し剤を髪に塗り黒く戻した。まるで高校生のようだね。
後期の残り授業は1月中旬より2月中旬までのおよそ一ヶ月。エンジンかけて駆け抜けよう。
思わぬ人から年賀状が来たりして、ちょっとうれしい。20枚〜30枚前後だが、楽しみながら作る。そして年が明けても返事を作ったりして、結局この時期まで予備が何枚か必要になる。
松の内も明け、ミーティングも通常に戻り、社会も動き出している。自分はもうすこしスローペースで行くことにする。
西新井大師に厄除けをしてもらいに行った。自主的にこんな神頼みをするなんて、自分も変化したものである。今年は男の後厄で、これを乗り切れればあとはなんとかなりそう……という敷居である。2006年が山あり谷ありで、まあそれはそれで楽しくもあったが危険な山々でもあった。厄払いをしてスタートすれば、何かもうちょっと気楽にやっていけるだろう。護摩焚きといって、すこし献金もしたが、災厄を避けられると思えば安いものだ。
きょうはまずこの大師のお札をいったん自分の部屋に落ち着いて持ち帰ることが大切だと思い、まずは自宅へ。そしてコーヒーで一服。夜は下赤塚の年末年始ミーティングに行くことにしよう。