しばらく208〜211で平準化していた価格だった日本航空株が216円近くまで一気に上がってきた。300円くらいまで待って大儲け……という計画ではあったが、あまり欲張らず、ここでいったん全部売却。あーすごい。かなり突っ込んでたせいか、家賃一か月分くらい軽く儲かってしまった。働かないでこんなに利益を得ていいんだろうか。しかるに世の中で同じだけ損している人がいるということなんだろね。
ピークは19:50頃だったみたいだが、すこし早めに会場に行っていたので濡れずに助かった。ていうか、傘すら持っていかなかった大ボケぶりなのだが、帰りはすっかり止んでいて、まったく濡れずに済んだ。ラッキーだったといえよう。
格好や髪の色を変えたというだけでやたらと警察関係からチェックを受けるようになってしまったのは、ここに書いたとおりである。ビラ配りのお姉さんもやたら愛想がよい。逆に、あまり声をかけてこなくなったのが歌舞伎町の客引きである。キャバクラや風俗関係だと思うが、ぼくの顔をみるなりたいてい目をそらす。金髪だからなのか。トラブルを引き起こすトラブルメーカーと見られているのか、それとも金持ってなさそうに見えるのか、どっちかだろう。ネクタイして歩いていると大人気だったのが、嘘みたいだ。
投資の世界でよく引き合いに出されるこの概念、いまの君がまさにそれじゃないかね。
たくさんの喜びや快楽を得ようとすると、危険はつき物。欲深さから自由になり、べつになにもほしくないと思っている人には常に安全が保障されている。
誰だってローリスク、ハイリターンを求めるけど、それがかなわないのは世間の道理である。自分だけ例外でいたいという勝手な妄想もバツ。手に入れるものが多いと、その中にはどくろのマークもあるのだった。あー、身に沁みる。薬も沁みる。
91年から93年くらいにかけて、とても地面の下をもぐっているような生活をしていたのだが、非生産的な短編小説を書いたり、詩というかアフォリズムというか、とにかく「狂った社会」に警鐘を鳴らすべく、たくさん文章を書いていた。最終的にはバインダーノートに27冊くらいあったのだが、しらふになって数ヶ月したときに、こんなものを抱えていては新しい人生の邪魔になると思い、みんなゴミとして捨ててしまった。
短編小説は友達に読んでもらったり、ある作家の自宅マンションを突き止めてそこのポストに入れてきたりしたのだが、そんなことをしても何になるのか、だいたい自分の意図がよくわからない。狂った人が狂った文章を書いたとしても、せいぜい狂った人が絶賛する程度で、社会にはまず受け入れられないだろう。
作家になりたいという妄想も、ほとんど火が消えてきた。いろんな人たちが文章を書くときに、最初の動機はただもう単に「これを書かずにいられようか?」というような、子供のようなエネルギーだと聞く。
きょうは下落合で、鉄道警察と名乗る人に呼び止められ、「このひとを知らないか?」と、何か犯罪者と思われる人の写真を見せられた。「知らない」と言うと、すぐに解放されたが、金髪にしていたり猛禽類(ホスト)的服装をしていると、やたら警官が近づいてくるなぁ。ひとは見た目がほとんどということか。そんなふうな題名の新書がベストセラーになる時代だし。
三鷹→西立川→立川と動き、午後は月島→明大前と、都内をほとんど横断した形になった。自分にできるサービスは何か。たくさんやることはあるのである。いろんな衝動やマイナスの感情を鎮めるのに、これは効果がある。
学校の授業自体の仕事はすでに7月の最終木曜で終わっているのに、それ以降今日まで殺人的な忙しさであった。導かれているのかもしれない。
明日からすこし落ち着きそう。平日は株と為替をまた開始しつつ、夏休みの生産的な計画を立てよう。
いろいろとあったが、ここでひとつ仕切り直すしかないようだ。きょうはとてもそれを感じるようなことがあったのである。
自分のことは気が済むまで今回やってみた。それが重要だったのかもしれない。そしてやはり最後に出てきたのは、ステップ7だった。ときが満ちたという感じもした。そしてそれはやはり、遅すぎたのだった。いまさら逆転のできない現実。そしてそれは絶望的な事実なのではなく、たくさんの代替策がぼくには待っているということだった。
今日のミーティングでは、会場にいるみんなに、すべて信頼を預けて、ありのままを話せたように思う。こうやって、生きていけば、生きていくことができるのである。
この夏休みは為替と株に翻弄されながら、ときを過ごすのだろうか。まあ今のところ儲かっているからいいようなものの、負けが始まったら、時間の使い方として、すごく後悔しそうだね。でもまあいろいろとやることもあるし、まあどの夏もそうだけど、職場に出て行く仕事がないというだけであって、他のサイクルはふだんとそう変わらないのであろう。
きょうはやけに注目を浴びているように思えた。実際そうだったのかもしれない。集会室に入ってくる人が、みんなわたしを見るなり「おおっ」と声を上げた。足が震えているおんなまでいたぞ。ふだん能面のような顔をしてやってくる女が笑ったりなんかして。
そして縁あって、自分が司会をすることになった。step12の後半だ。ステップを使って生きていくという話。これはもうまさに自分のこの一週間、この一ヶ月、そしてこの三ヶ月のテーマであった。
立ち止まっては振り返り、そして顔を上げて前に進む。引っかかったら点検して、仲間と話し合う。もうこれしかないのである。
ちょっとその後、辛口の評価も受けて意気消沈しそうにもなったが、なんのその。わたしの人生はわたしが生きているのであった。四・五年周期で変化していくね。
そう、ぼくには、生きる力が必要だ。今日のいて座はなんと12位(最下位)だったが、そんなことはかまいはしない。藤沢の約束もゲット! 仕事のアポ取りもひとつゲット! ゲットに続くゲット。行った先で何が起こるかわからんが、とにかくやってみてそれから考えよう。このプログラムは、与えられた物事に対して正面から取り組むよう、示唆されている。回避するものなど何もないよ。あるとしたら、それはまだ8,9が済んでいないからだ。
梅雨明けも目前に迫っているし、日航株や日テレ株もこれからうなぎ登りであろう。それはちょいと別の問題か…)w。ぼくの生命力も、いまスタートラインに立ち、これから前進すると思う。