土日でありかつ、自分が行く委員会の日程がない日というのは奇跡的である。月に一回あるかないかというところであり、たいていこういう日は仲間と読み合わせに使ったりするんだが、今月はたっぷり休みがあることもあり、ちょっとジャブという感じで、きょうは好きなようにメッセージとミーティングに行ってみた。
何の責任もないメッセージと何の責任もないミーティング。つまり自分が行っても行かなくても、他の人たちには影響がないということである。これが非常に気楽なのだ。自分の側はもちろん仲間の話を聞いたことによって精神が変化するんだけどね。責任がない…というと語弊があるかもしれないが、つまり、どんなことをするのにも、そこには愛の手が存在するからであり、助けを求められたら責任を果たす必要があるからである。
きっと一日家にいたら自家中毒していただろう、と思う。ほんとうに一人ではどうにもならないのである。この無力さ加減が、自分の行動の原動力というか、バネになっている気がする。
きょうはやけに注目を浴びているように思えた。実際そうだったのかもしれない。集会室に入ってくる人が、みんなわたしを見るなり「おおっ」と声を上げた。足が震えているおんなまでいたぞ。ふだん能面のような顔をしてやってくる女が笑ったりなんかして。
そして縁あって、自分が司会をすることになった。step12の後半だ。ステップを使って生きていくという話。これはもうまさに自分のこの一週間、この一ヶ月、そしてこの三ヶ月のテーマであった。
立ち止まっては振り返り、そして顔を上げて前に進む。引っかかったら点検して、仲間と話し合う。もうこれしかないのである。
ちょっとその後、辛口の評価も受けて意気消沈しそうにもなったが、なんのその。わたしの人生はわたしが生きているのであった。四・五年周期で変化していくね。
六月・七月と怒涛のような忙しさだったが、八月に入ってやっと夏休みである。長い長い夏休みが取れるのは、私立専門学校教員ならではと言える。春は二輪免許の取得にいそしんだが、この夏はどうしてやろう。まずはやりたいことをみんなやってやろうか。