グループメンバー17名中15名の出席があった。破竹の勢いだ。この少なくとも自分の知っている約十年間の中で、もっとも質・量ともに豊かな時期ではなかろうか。当然のことながら議題はほとんど終わらず。そしてメンバーのみすこし残って延長。それでも議事は大量に積み残し。
必要なものは与えられるのだと思う。自分を含め、自分の周りも、みんなそうなのだと思う。
「やるべきこと」とも言う。優先順位で直近のものから少しずつ片付けていく。休みに入ったので楽にこなせると思っていたが、動かないと動けないものだ。動いていると動けるし、チャンスは逃さず活用できるのだが、いつでもできると思うと、いつまでもやれない。根っから怠け者だ。そのくせ、済ませていないと思うと、たんこぶのように邪魔で、気になってしょうがない。やれば終わるのにね。いやはや。
三鷹→西立川→立川と動き、午後は月島→明大前と、都内をほとんど横断した形になった。自分にできるサービスは何か。たくさんやることはあるのである。いろんな衝動やマイナスの感情を鎮めるのに、これは効果がある。
学校の授業自体の仕事はすでに7月の最終木曜で終わっているのに、それ以降今日まで殺人的な忙しさであった。導かれているのかもしれない。
明日からすこし落ち着きそう。平日は株と為替をまた開始しつつ、夏休みの生産的な計画を立てよう。
広島で犠牲になった人たちの冥福を祈る。原発賛成なのに原爆反対?と思われるかもしれない。ぼくはきわめて自然な主張をしているつもりである。戦争はいけない。ただそれだけ。
原子爆弾の二発目は小倉に落ちず長崎に落ちた。だからぼくは生まれてきた。昭和20年の夏、8歳だったぼくの母は小倉の中心地で生活していたからだ。アメリカの軍用機は小倉に向かっていたが、天候が悪かったので長崎に標的を変えたのである。
蝉の鳴く夏になると繰り返しこのことを考える。戦争が終わってから68年である。日本はもう戦争をしないでほしい。尖閣諸島や国後島を取られそうになったらどうする?そんなときこそ社民党や共産党に知恵を貸してもらおう。