グループメンバー17名中15名の出席があった。破竹の勢いだ。この少なくとも自分の知っている約十年間の中で、もっとも質・量ともに豊かな時期ではなかろうか。当然のことながら議題はほとんど終わらず。そしてメンバーのみすこし残って延長。それでも議事は大量に積み残し。
必要なものは与えられるのだと思う。自分を含め、自分の周りも、みんなそうなのだと思う。
「やるべきこと」とも言う。優先順位で直近のものから少しずつ片付けていく。休みに入ったので楽にこなせると思っていたが、動かないと動けないものだ。動いていると動けるし、チャンスは逃さず活用できるのだが、いつでもできると思うと、いつまでもやれない。根っから怠け者だ。そのくせ、済ませていないと思うと、たんこぶのように邪魔で、気になってしょうがない。やれば終わるのにね。いやはや。
三鷹→西立川→立川と動き、午後は月島→明大前と、都内をほとんど横断した形になった。自分にできるサービスは何か。たくさんやることはあるのである。いろんな衝動やマイナスの感情を鎮めるのに、これは効果がある。
学校の授業自体の仕事はすでに7月の最終木曜で終わっているのに、それ以降今日まで殺人的な忙しさであった。導かれているのかもしれない。
明日からすこし落ち着きそう。平日は株と為替をまた開始しつつ、夏休みの生産的な計画を立てよう。
というわけで、月・火・水と朝ラッシュ時に小竹向原、池袋、雑司が谷で混雑具合を確認してみた。
急行電車はまあ普通の混み具合である。朝の電車としては空いているほうかな、という程度。小竹向原には副都心線と有楽町線が一緒に入ってくるが、やはり有楽町線は満員である。ただ、東武東上線和光市から直通で入ってくる電車と、西武池袋線練馬から入ってくる電車だと、和光市からの電車のほうが混んでいるようだ。
そして池袋での副都心線ホームでは、各駅停車でやってきた人たちの大半がここで降りて急行に乗り換えている。池袋・新宿三丁目間で各駅停車は急行の通過を待つからである。道理で納得がいく。ぼくが初日見て驚愕した空き加減は、もっとも空いている区間だけ乗っているからなのだった。しかももともとの電車が練馬から入ってきた西武線直通の空いているやつだったのだ。
それにしても山手線の地獄のような混み具合を考えたら、池袋から新宿や渋谷方面に行くこの副都心線の通勤のラクさは特筆すべきであろう。でもきっと徐々に知られていって、長い経過のうちに均等になってしまうのかもしれないが。
広島で犠牲になった人たちの冥福を祈る。原発賛成なのに原爆反対?と思われるかもしれない。ぼくはきわめて自然な主張をしているつもりである。戦争はいけない。ただそれだけ。
原子爆弾の二発目は小倉に落ちず長崎に落ちた。だからぼくは生まれてきた。昭和20年の夏、8歳だったぼくの母は小倉の中心地で生活していたからだ。アメリカの軍用機は小倉に向かっていたが、天候が悪かったので長崎に標的を変えたのである。
蝉の鳴く夏になると繰り返しこのことを考える。戦争が終わってから68年である。日本はもう戦争をしないでほしい。尖閣諸島や国後島を取られそうになったらどうする?そんなときこそ社民党や共産党に知恵を貸してもらおう。