広島で犠牲になった人たちの冥福を祈る。原発賛成なのに原爆反対?と思われるかもしれない。ぼくはきわめて自然な主張をしているつもりである。戦争はいけない。ただそれだけ。
原子爆弾の二発目は小倉に落ちず長崎に落ちた。だからぼくは生まれてきた。昭和20年の夏、8歳だったぼくの母は小倉の中心地で生活していたからだ。アメリカの軍用機は小倉に向かっていたが、天候が悪かったので長崎に標的を変えたのである。
蝉の鳴く夏になると繰り返しこのことを考える。戦争が終わってから68年である。日本はもう戦争をしないでほしい。尖閣諸島や国後島を取られそうになったらどうする?そんなときこそ社民党や共産党に知恵を貸してもらおう。