「エイプリルフールなこの世界で、エイプリルフールな君と僕…」という歌があった。キヨシローだ。題名がずばり、春うらら。桜が咲いてるねぇ。
隙間なく時間が過ぎていき、そしていま23:30。春眠をむさぼりたい。おやすみ。
年度の大晦日である。学校の募集も今日で〆切であったようだ。担当ではないので詳しくはわからないが。なんか、朝の電車がすげーすいていた。みんな有給休暇消化か?
3/31は戸川純の誕生日だった、たしか。ぼくよりちょっとおねーさんだ。ぼちぼち40か?色気はまだまだあるね。
月曜はよく高田から池袋まで歩く。だいたい30分といったところ。陽気も良いし健康になれるね。きょうは少しコースを変えて、目白の山の手線踏切横を通った。やはり閉まりっぱなし。西武池袋線のヘヤピンカーブの下もくぐれる。そして今どき舗装されていない不思議な西池袋のアパート密集地。なんとなく学生運動の生き残りのアジトっぽい。へんなタテカンのゴミみたいなのが残ってるし。建物によっては家賃が数万は落差があるという気がする。
四月の定期券売場は連日死ぬほど混んでいるというのに、とうとう買い損ねたまま三月が終わる。古い定期を保存してるから自販機で継続定期を買う手もある。しかし営団はその自販機設置駅が八つしかなく、西側はゼロなのだ。新宿・渋谷・池袋にないなんて。
セミナーに参加してきた。結局いつもと同じ仲間と一緒にいたりするのだが、サービス前線の仲間は、自然と集まるようだ。
行きはCOにて作業。帰りもJSOにて会議。そして今しがた帰宅。週末の予言通り、やっとのことで洗濯にこぎつけた。
またもややることが山のように…。すこしずつ生活時間を振り分けながらやってくしかなさそうである。余地はある。
なんか、すげー忙しいよ、最近。隙間の時間が全然ない。ご飯食べるのと、仲間に会うので精一杯って感じ。きのうなんてすごかったよなー。もっと仲間といたかった。
そして明日から超強行スケジュールで大塚・群馬・池袋。びっしり。帰って来てから明大前でも行くか。洗濯をいつするのだ。
余地がないねぇ。でも他人を裁かず、自分を生かし、真面目に生きて行きたいです。
最近よくこのページの検索ワードが「格安理容」とかになっているようだ。きょうは中野で髪を切った。新規開拓。1000円ぽっきり。
通勤定期券を買わないまま、ずるずると回数券などの生活が続いている。路線が固定されずに楽しかったりするのだが、どんどん損をし続けているような気もしてくる。途中下車もあまりできないので、一回一回の乗車に緊張感がある。
定期の路線がないと、各種一日乗車券に手を出したりするのも気楽にできる。都バスや都営地下鉄が500円と安い。バスは会社によってエリアが偏っている。通勤を含めるとなると都か関東バスしか選択肢はない。西武がかろうじてかすめているが、本数も少なく、宿20だけでは使いものにならないのである。
いっしょに春の夜の雨の中、小滝橋から大久保通りまで歩いた。でも気温が一時期よりだいぶ上がっている。桜ももうすぐだなぁ。
きょうは生きているという感じがしたよ。ミーティングも行けなくなりそうだったが、神様の配慮か、結果的に行けた。地獄に落ちずに済みそうである。仲間の話がここ数日、ぐんぐん入ってくる。不思議だ。
きょうは一日、労働組合のことで本当に忙しかった。でもそのことをここに書く必要がない。霊的なことと、物質的なことは別なのだ。わたしはこころの中で起きることに集中していれば良い。そして、できないことは明日に回す。回すしかないからだ。睡眠時間を削ってまでするような「大切な」ことは何もない。
みんな仲間が教えてくれて、みんな仲間が見せてくれる。そして助けてくれる。信じるというのはこういうことだね。
きのうの文章は読み返してみると、まるで「今日を新たに」である。なんかセンセー臭くていかん。真情ではあってもね。
というわけで、平日に戻り、地に足をつける。やるべきことが山積みなのだが、労働時間中はできないのだ。よくもまあたくさんの時間を、労働契約において売り渡しているものだと思う。期間の定めのない雇用なので当然なのだが。ただただ受け入れるのみ。そして定時でさっと出る。きょうは退社時刻が全職員中でトップであった。自分がタイムカードの「出」を「退」に切替えるボタンを押すのである。
業務命令のない、真棉で首を締められるような「雰囲気残業」を八年間に渡ってやらされ続けて来たわたしとしては、いまの職域に変わってからは、命令のない時間外労働は一切していない。ここでも恨みながら生きているなぁ>自分。
帰りに東池袋まで歩いた。雑司ヶ谷霊園の中をつき抜ける。最近、よく斎場や霊園のそばを歩いている。代々幡斎場・堀之内・そして今日の南池袋。斎場とか霊園というともっともらしく格調ありげだが、早い話が火葬場だ。ヤキバ。アキバとはちゃうで。ヤキバ。死の香り。
でもなぜか心落ち着くのだ。静かだからかも。通勤で使っている東西線落合駅も斎場のすぐそばだしなぁ。そして昨日気づいたのだが、過去、送電線のすぐそばに住んでいることが、すくなくとも二度はあった。大電流の真下で暮らしていたのである。そういえば発電所でも暮らしていた。霊気と電気の中の過去だったのか。
最近のわたしには、一ヵ月の中でもっとも楽しみな日だ。地域委員会。平日と同じ時間に起きて、支度をし、地下鉄に乗って月島に向かう。
いま、現に、サービスをするために時間と労力を使っている仲間たちと一緒に話し合う。これなのだ。このためにいまは生きている。内容など実はどうでもいいのである。仲間と共同でいろんなことを行う。そしてそれが平等という感じ。ここに死にかけの執事はいない。
午後も小一時間打合せをしてから喫茶店へ。そして自分の話もじっくり聞いてもらう。わたしは良く生きていきたい。そのためならなんでもする。不当に評価されていることもある。でもサービスは他のレガシーと同じく、奇跡をもたらすのだ。だからやっていきたい。自分のできる限り。障害になるようなものは取り除いていくよりほかない。
夜はミーティングであった。よく仲間の話が入ってくる夜だった。努力をしている仲間は報われるべきである。歩くのが基本である。その努力なしによくなることはない。そう信じている。わたしはそれを続けていく。