お彼岸でもある。春の足音を心待ちにしてきたこの数週、しかしながら気温もいま一つ上がらず、まだ冬が続くばかり。木の芽どきに突入しないので、自他ともに狂っていかないのは良いことではあるが…。
明日は祖母の命日であるが(1975没)、実家には墓がないし、納骨も京都に移動したという話である。墓参りは母方にはできるのだが、昨年・一昨年とこちらは斎事が続いたので、ちょっとしばらくはいいや。
ミーティングにはいったものの、ほとんど言語化のないまま帰宅。先週もたしかそんなこと言ってた自分であった。喫茶店行ってもたぶんあまり言語化できぬのは変わらない気がしたのでそのまま帰宅することにした。21:30には東中野についていた。
きょうは一日券を使った。かなり乗った。もう疲弊するくらいに(笑)。
乗った系統番号。飯64,池86,高71,学02,早81,白61,宿91。
けっこう楽しかったが、寒い中バス停で待たされたり、信じられないくらい長い渋滞に巻き込まれたりすると、やっぱり電車のほうが強いと思う。たまに使うくらいが新鮮でいいかもね。
仲間とサービスの実務わかち合い。火曜は定例になっている。ああ、これだよ、これ。今、生きているという実感。体を血が流れ、体温が上昇。そう。
残すところ、任期は9ヵ月少々だ。まだやることが山のようにある。ありがたいことだ。少しずつ、協力しつつやっていこう。
…です。「他のことがみんなうまくいかなくても、これには効果がある」ではないのか? それを期待しすぎたからかなぁ。期待ほどではなかった。
要するに、みんなと同じなのであった。日々、ばかげたまちがいを繰り返して行くより他ないみたいだ。学んでも学んでも、すっかり忘れて次の一歩。飲まぬのが不思議なくらいだ。毎日ミーティングだ。自分はそんなものである。
仲間と一緒に基本テキストなどを読む、というプログラムを月一で半年くらい続けている。きょうは第一レガシーについて・第六章・第七章(一部)。最近知るようになった「高速step実行プログラム」でもある。もっとライトに、そして何度も繰り返しやるのがコツらしい。
しかし、まあきょうはあまり状態が良くなかったせいか、今一つな感じであった。しかし「調子が悪い」というのは神様の与えてくれるたまものである。何かを変えねばならないというサインだからだ。そしてこの苦しみは、貴重な試金石でもある。
そのまま夕方はミーティングへ行った。喋らせてもらえたんだけど、やはり歯切れワルシ。パスでも良かったかな。帰りは初台からバス。渋64。
きょうは自分が地獄に落ちる番である。ああ、それにしても何も入っていない日ほど、不自由なことはない。不思議だ。拘束がないほど動けない。
それでも朝はさっさと洗濯をして、シーツまで洗って、10:30にはもう昼飯を食べに外へ出ていた。あれも「洗濯」という儀礼がなければ、きっと外出もできなかったに違いない。
いまごろは大塚で地区委員会が開かれている。新グループがまた誕生という話である。
昨日も今日も西武新宿線を使った。朝は東西線より混んでいる。夕方は野方まで行き、環七沿いに高円寺まで歩いてみた。環七では関東バス・都営バスなどが、びゅんびゅん追い抜いて行った。
夕方、高円寺の宮下湯に突入。今どきは一回400円ですか。13年前でたしか270円だったと思った。注目の体重は2.5kg増。たばこをやめた影響と思われ。
時間がなかったし、言語化できず。お茶も行ったが今一つ。考えてみると、サービスの話をする人が一人も廻りにいないのであった。
ああ、わたしのことかね(笑)。昨日くらいの勢いだとまあまあ、世界に対して挑戦的になっても不思議ではなかったね。いつもの自分だったらこのあたりで「なかったこと」にしたくなって、具体的には「削除」してみたりするんだけど、今回はそれもなし。ありのままでよろしいです。病気なので。ノイローゼだしね。
仲間に支えられているという実感がやっぱり、一人でもいいからほしい。きょうは夕方それがもらえたような気がしたの。それはそれで、とても大切なつながりなのでした。わたしはきっと今、この関係性の中で唯一生きているのだった。それがわかったの。わかったのさ。
苦しいねぇ、生みの苦しみ。謙虚の仮面。正義の放棄。9年毎日歩け。来ない仲間は仲間じゃない。たくさんアフォリズムが埋もれてるなぁ。でもこの中でこそ、いろんなものをもらい、そして手渡して行くことができるのだった。
そして12番目のステップ活動をおろそかにすると、われわれは確実に死ぬのである。ああ、おそろしや。サービス活動は省略できぬ。あいやー。
ミーティングもサービスも、質より量だ。これだけは確かみたいである。
きょうも実は市ヶ谷で会議だったのだ。ああ、ミーティングへ行きたい。行けるのに行かないおまえらー、地獄に落ちるぞー。
こういうのが、いいこちゃんの自分の本音ってとこだね。他罰的で自罰的で、ああ、生きるのつらそう。他人事みたいに言うなよ。
考えてみると(振り返ってみると)、時間的なストレスのほとんど無かったときって、週3,4回のミーティングで、もう十分と思っていたし、土日もどこにも行かなかったね。そんなもんだろうなぁ。
きょうは思ったより寒くなかったので、帰りも楽でした。定期が切れていて、営団回数券で帰宅。ひさびさに中野坂上駅利用。
あまり調子が良くないなぁ。ほとんど他の人々を恨みながら生きているという感じだ。感謝の気持ちもあまり生まれてこない。なぜみんな物質的なものを大切にしすぎるのだろう。すくなくともぼくにはそう見える。
迷い、苦しみ、妥協しながら、今日一日のミーティングを犠牲にする。そうしながら何年も働いてきた。これでみんな平等だなんてなったら浮かばれないよなぁ。これで「あんたは恵まれている」なんて言われたら、それこそ投げ出したくなるよなぁ。神様は正当に配分してくれるはずである。