お彼岸でもある。春の足音を心待ちにしてきたこの数週、しかしながら気温もいま一つ上がらず、まだ冬が続くばかり。木の芽どきに突入しないので、自他ともに狂っていかないのは良いことではあるが…。
明日は祖母の命日であるが(1975没)、実家には墓がないし、納骨も京都に移動したという話である。墓参りは母方にはできるのだが、昨年・一昨年とこちらは斎事が続いたので、ちょっとしばらくはいいや。
ミーティングにはいったものの、ほとんど言語化のないまま帰宅。先週もたしかそんなこと言ってた自分であった。喫茶店行ってもたぶんあまり言語化できぬのは変わらない気がしたのでそのまま帰宅することにした。21:30には東中野についていた。
腰の状態もすこし復活してきた。これなら教習も再開できそうだ。傷害保険の通院給付金が降りるともっとうれしいが、外科医の話ではそう簡単には給付されないらしい。「腰椎椎間板症」だそうである。もうそんなに若くないのだから、ムリはせずにやっていこう。
病み上がり一発で第二段階のみきわめに合格した。よかった。あまり欲を出さずに臨んだのが良かったと思う。
そして土曜日に卒業検定だ。これは所内での技能試験なので、最後の関門となる。こちらも平常心でいこう。それにパスすれば外部試験場での学科試験を受けて終わりである。あともう少しだ。
築地本願寺で先祖のお参り。西大谷でお願いしたように、特別に読経もできるようだが、他の人たちの読経依頼を聞くにとどめ、聖堂で時間を過ごす。
しかしなぜかこういうときに限って、立て続けに三本電話が入る。聖堂から出たり入ったりして対応。聖堂の外の駐車場で暖かい春の日差しを浴びながら、電話の相手の話をゆっくり聞く。これは自分に与えられた役割であると思う。
小一時間過ごして、午後になり荻窪へ移動。お彼岸の連休に時間が取れるときはやはりお寺で過ごしたいものだ。22日は祖母の命日でもある。本来京都に行きたいところだが、昨年行っているし、しばらくは東京で過ごそう。