_ 今月からまた職を得て、東大工学部で働くこととなった。今回は週四回の非常勤職員だけど「技術スタッフとして」働けるので、やっと自分のやってきたことが役に立つかもしれないと思う。遠回りしたし、どこまで続けられるのかわからないけど、内部の人たちとまたつながることができてほっとしている。仕事はきちんとやっていきたいし、新しい人生がいつも目の前に現れてきて、日々チャレンジの積み重ねだ。
_ きょうは亡き祖母の誕生日。1902(明治35)年生まれだから、もし生きていれば120歳。でもそんなに人間は長く生きられない。だからちょうどいいのかもしれない。死は転生とも言えると思うが、自分の意識が消え去った後、一体どこのフェイズに再生するのだろうか。物質の粒子は四散してしまっても、どこからともなく波動が再生されるようなイメージだと思うのだが、これは東洋的すぎる発想だろうか。
まだ私は56歳だが、人生百年時代が迫っているらしい。ほんとうにそんなに長く生きられるのだろうか。しかし身の回りの70代の人たちがみなさんとても元気なので、ひょっとしたら自分も元気でいられるのかもしれないと思ってしまう。少し腰は痛くなってくるし老眼も進んでいるけど、野球の試合二連戦ぐらいは神宮で見ることができているし、駅から徒歩25分くらいなら余裕で歩けるよ。
本を読む気力が少しずつ弱体化しているのが気になるところ。でも慶應通信は続けられているし、四半期ごとに微々たる量だが単位を取って積み重ねている。悲願の「文学部」はいつか卒業できるのだろうか。ロシア文学の単位くらいはしっかり取っておきたい。フランス文学や科学哲学の単位が取れたのは自信につながっている。
仕事をもっとしていったほうがいいのかもしれないが、軟弱な労働者でしかないんだよね。ワーク・ライフバランスを取っていきたいが、収入の伴わない仕事ばかりしている感じ。まだまだ人生は長く続くかもしれない。でも仏教的見地から言うと、生きる命の長さははかないのだ。
_ 東京大学の短時間有期雇用職員の任期が3/31で終了した。また自由の身である。なんの縛りもない55歳。人生とは何か考える絶好の機会。しかしやることはいっぱいあるんだけど。そのうちのどれかが職業になってくれたりするとちょうどいいかも。
_ 1997年9月17日に入会し、実に23年以上使い続けてきたプロバイダを解約することになった。ADSLサービスが終了するためである。光回線にすることを決めたのだが、福岡ソフトバンクホークスのファンになってしまったので、軽薄にもソフトバンク光に申し込んでしまった。したがって古いホームページコンテンツが消えてしまう。このブログからも画像などへリンクを多数張っていたのだが、リンク切れになる。修復するか、それとも何か全面移行するか。
_ 私は新型コロナウィルス流行の直前である2019年10月に慶應義塾の通信教育課程に入学した。秋入学だったので最初の半年はレポートと試験のみのいわゆる「テキスト学習」だったので、コロナ禍の影響はほとんどなかった。2020年1月の定期試験も三田校舎で通常通り受験できた。しかし2020年4月からは事情が一変した。4月入学者と合同で行われるはずだった入学式はもちろん延期になった。慶應の通学課程の大学生も入学式は受けられなかったので仕方がないと納得している。そして大きな痛手をこうむったのは、6月以降始まったスクーリングが機能しなくなったことだ。スクーリングは春季、夜間、夏季、秋季と受講が募集されたが、ほとんどがオンラインでの実施となり、しかも定員制で人数枠を超えると抽選で受講資格が与えられるのである。すべてのスクーリングに応募したが、ほとんど抽選漏れだった。夏季のひと枠だけ抽選に当たったが、内容はもちろんオンライン受講。延々とオンデマンドのストリーミングビデオを視聴するというもの。単位は取れたが放送大学のビデオ授業と大差なかった。数ある通信教育の中で慶應義塾を選んだのは、慶應の校舎で慶應の教員から現場で授業を受けられるというメリットがあるからに他ならなかった。そして入学から一年が過ぎ、通学課程の学生とともに入学式がようやく受けられるという段になったが、これもなんとオンライン配信だった。慶應義塾の講堂で対面で受けたかった。入学生の皆さんと一緒に、塾歌や「若き血」を歌いたかった。それも叶わぬまま、いま二年目が進んでいる。
_ わたしが初めて神宮球場に行ったときのことをなかなか思い出さないでいたのだが、古い手帳をめくっていたらその日付がわかった。過去の野球記録はネットに出回っていて、日付とチームがわかるとそのときのゲームの結果も調べられる。
初回は東京六大学野球の東大・早稲田戦、2001年5月5日のものである。2対10で東京大学は大敗しているのだが、一回裏、二回裏で先制していて、2対0で先攻していたのだった。その後残念ながら逆転負けをしている。惜しい試合である。まだ学生席が応援席として一般開放されていなかった頃なので、おそらく内野席で見たのではないかと思われる。その後2010年の9月11日、応援席一般開放のシーズンに二回目の六大学観戦を果たした。東大・慶応戦だが0対15でまたしても大敗である。このかんインターバルがなんと9年4か月である。2010年からは火がついて、ほとんど毎回神宮に足を運んでいる。
2001年の5月15日に、神宮球場でプロ野球を観た記録がある。同僚からチケットがあるので行かないかと誘われた広島・ヤクルト戦だ。彼が広島ファンで応援ということだったのだが、この試合も広島は2対11で大敗している。このプロ野球は小学生の時に小倉球場で観た南海・太平洋戦と巨人・広島戦以来だったかもしれない。こちらもやく25年もインターバルがある。プロの公式戦(一軍)は2001年のこのゲームから今まで見ていない。二軍はファイターズの鎌ケ谷で最近ちょくちょく行ってるんだけど、今年はコロナが過ぎ去ったらプロ観戦再デビューになるかもしれない。
_ 昨年度の確定申告を終了した。最近e-Taxになって楽になった。今年はなんと源泉徴収票を出さなくてもいいらしい。コピーも要らないのか…と案じていたが、マイナンバーを申告しているので裏で手が回って、国民の個人情報は筒抜けになっているらしいのである。別に隠したいわけでもないので手間が省けていいのであるが、であればいっそのこと銀行口座に振り込まれた家賃収入とか、不動産管理にかかっている仲介業者へ払った手数料とかもみんな筒抜けになっていれば、いちいち確定申告しなくても済むような気がするんだが、それはそれで恐い気もするね。
確定申告をするようになったのは買った不動産を貸しに出して収入が入るようになってからだったと記憶している。ではアマゾンで販売した古書の売り上げを計上したらどうだろうとか、それにかかった費用を経費計上すれば税額が抑えられるとか、いろいろと40代には研究していたのだった。しかし開業した届けを出すと今度は本職を失業したときに雇用保険の基本手当を受けられなくなるらしいと廃業したり、いろいろと試行を繰り返した。サラリーマンをやめて大学に行っていたり、またまた非正規だが大学に勤めたり、純粋な給与所得者ではない生活が続いているので、やっぱり最近も確定申告をしなくてはならないのである。
認定NPOにいくらか少額を献金したり、ユニセフや大学生協や卒業学部に寄付したりしてみてわかったのだが、寄付するとどんどん所得税は控除される。ならば掴んで離さない姿勢で以てたくさん税金持って行かれるよりは、東大野球部とかロシナンテスとか、自分の支持したい団体に寄付をして、控除を受ける方が人間として幸せな気がしてくるのだった。もちろん自分の生活が脅かされない範囲での話だけど。
_ 年末年始は定期券を買わないで過ごしている。職場に行かないからだ。定期がないと強迫的に動かなくて済む。そして自由になれる。動くときにコストがかかることを意識するのが言わば不自由ともいえるが、どんな経路でも選べる自由さは代え難い。定期を買わないと、日々どんどん損するような気もしてくるのだが、経路通り動かない日が一か月に一定日以上あると一概に損でもない。バス特でチケットがどんどんついたり、金額が上がるひとつ前の駅で下車して歩いたりするのも楽しい。近頃では複合一日乗車券も企画されていたりして、墨田区・台東区のコミュニティバスとスカイツリーシャトルと、東武亀戸線と北千住・浅草間の東武電車も乗り降り自由で500円!なんていうのもある。それにしても台東区の100円バスはくねくねとものすごく遠回りをしてくれるので、車窓を楽しむには持って来いかもしれない。
ちなみに自宅から東京大学までの経路は、実におびただしいバリエーションがある。最短時間・最安区間は小村井・北千住・根津なのだが、小村井・押上・大手町・本郷三丁目もあまり変わらないし、都営にしたりメトロにしたりで距離も変わってくる。最混雑をいとわなければ亀戸に出て総武各駅停車で御茶ノ水に出て、それから学バスや丸の内線を使う手もある。南北線東大前は農学部からアクセスがいいのだけれど、自宅から行くのにいろいろ経由しなくてはならない。
なんてことをいろいろ考えたり試してみたりしている間に、研究生・学部生・院生(柏キャンパスだった)・職員の立場変遷もあり、もうすぐ大学での仕事の任期も終わるかもしれない。東大を離れたら慶應での勉強に専念するかもしれず、アルバイトをするのか再就職するのかもまだわからない。定まってないというのはいろいろ可能性もあって楽しいものである。専門学校での仕事から離れてそろそろ9年経って収入は減ったが、気ままに学問の間を逍遥できて、なんとも楽しい毎日である。東京中の電車やバスにも気ままに乗れて、ますます自由な感じである。
_ 本日中曽根康弘元首相が亡くなられたとのことである。お悔やみ申し上げます。大正生まれの自民党の政治家で、とてもパフォーマンスのうまい人だったと思う。非常に影響力の大きい政治家だったので、左右、敵も味方も多かったのではなかったか。
2008年の東京大学ホームカミングデーでゲスト講演され、自分はライブで見、聴くことができた。当時で90歳だっただろうか。お元気だった。政治や経済の分野の話で弁舌を奮う姿を見て、自分もあのように歳を取りたい…と思った。ぼくは労働運動を続けてきたので、内容については是是非非あるが、リーダーとしての資質と姿を見せてくれていたと思う。そしてぼくにとっては、このホームカミングデーに行ったことがその後の自分の学問復帰に結び付いた。中曽根氏の講演を聴いたことは自分の中に大きなインスピレーションを作り出した。
存命のうちに何かまたイベントがあれば参加したいと常々考えていたのだか、それもかなわぬこととなり残念である。また一つ昭和が終わっていく…という感慨である。
_ ぼくは原子力工学科を卒業しているので当然のことながら原発推進派であると公言したい。というか自分がやってきたことを肯定するのは人間だから当然である。そして労組活動も長いことやってきたので、その意味でサヨクとも言えるのである。カタカナでサヨクとしたのは、本物の左翼活動家の人たちに比べたら全然力も根性もないので、端くれにすぎないということである。これも自分が長いことやってきたことだから、肯定するのは当然である。組合活動家の仲間たちからよく言われるのは「なんで森田さん原発賛成なの? 自民党好きなの?」とか、なんとも答えがたい質問である。自民党だって集票したいからか、最近は原発推進とは言わない。代替エネルギーでカバーする、とか廃炉を目標、とかごまかしている感じなのである。原発をはっきりと推進すると言っているのは維新の会くらいだろうか。結局みんな世論がこわい、みんなの支持を得たい、って感じなんですかね。それって大衆迎合主義なんじゃないのかなあ。ポピュリズムですかね。
みんなと違う主張をするのは勇気がいる。下手すると袋叩きにあったりするからね。でも信念は変えられないのですよ。自分の本音が変わる日だってくるかもしれないのだけれど、本音が変わらない以上、人と違っていてもそれは仕方がないですよ。