トップ 追記

奇跡の今日一日

メールはこちらへ

FaceBook

2002|05|06|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2004|02|04|05|06|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|11|12|
2016|01|02|03|04|05|07|10|12|
2017|01|03|09|

2017-09-04(Mon) 忙しくて…

_ 気づいてみたら半年も飛ばしてしまっていた。フルタイムの仕事に復帰したのは2003年末以来なのである。しかもサービスの役割に戻ってきたこともあり、毎日毎日やることがたくさんあってうれしい悲鳴なのである。睡眠時間は十分確保しているのだけれど、エネルギーが余っていない感じ。忙しがっている人には「ほんとはうれしいくせにー」と言いたくなる。 無職で学生でもない空き期間が半年以上続きそうな勢いだったので、中央仏教学院の通信制まで始めてしまって後悔している。国際協力の委員とか仏教の勉強とか、たいていそのあたりのことは「もっと歳行ってからでもいいんじゃないの」と評する人が多いのが不思議だ。どっちも今すぐ役に立つことだから、なんで老後の楽しみにしなくちゃいけないんだろう。できたら漢字検定準一級や一級突破とか、全国国鉄廃線跡踏破とか、なるべく若いうちにやっておきたいことが山ほどあるんだけど。 でも今度また仕事がなくなったら、たぶんまた大学か何か受験するような気がする。忙しいけど、人生勉強ほど楽しいものはないですよ…。


2017-03-30(Thu) 年度更新

_ 仕事が更新されそうな感じ。四月からも働けそう。


2017-01-12(Thu) バスも使える

_ 自宅と職場の往復に千代田線を使うという話を書いたが、東武鉄道の定期が切れてから都営バスをよく使っている。特に東京の東側の墨田区、江東区、台東区には縦横無尽に都営バスが走っていて、いまのマンションに引っ越してきてからもう間もなく四年になるが、バスの経路を完全に把握するに至っていない。自宅の最寄りバス停の「中居堀」を走るバスだけで三系統あり、押上や亀戸に出るとたぶん10~20系統くらいが発着しており、さらに上野や浅草や錦糸町といったターミナルとなると信じられないくらいの多種類の系統のバスが走っている。

中居堀から上野公園まで一本で行けるのが「上23」系統で、平井と上野松坂屋を結ぶので楽に行ける。ただ上野から農学部まで20分くらい歩く必要がある。あと根津駅と亀戸を結ぶ「上26」系統、これは本数が少ないのが難点だが、谷中や鶯谷、入谷などを通り、言問橋も渡ってくれて風景を見るのに楽しい。

仕事の後にちょっと遠出して杉並区や新宿区まで出るときにバスはちょっと不便。でも時間がたっぷりあるときなら工夫すれば都内のたいていのところには到達できる。しかし22:00台になると一気になくなるので注意が必要である。


2017-01-03(Tue) 短い正月休み

_ たぶん世間的には標準的な長さの年末年始休暇であろう。12/29,30,31. 1/1,2,3の六日間である。木~火なので土日祝日も全部含まれている。官公庁や大手企業もこんなものだろう。サービス業だとかきいれどきなので休んでいられないのかもしれない。

しかしながら自分は長いこと専門学校で働いていたので、正月休みはとても長かった。たいてい12/26くらいから休みに入り、明けの仕事始めは1/6とか1/7あたりであることが普通だったのである。だから、暮れ三日間+正月三が日というのは記録的に短い。本当にあっという間に終わってしまった感じだ。

それに最近五年間は学生の身分だった。大学の授業スケジュールはその専門学校と大して変わらなかったし、研究が中心の院生になると授業なんかほとんど取らないのである。その代わりに年明けが卒論や修論の締め切りになることが多い。そうなるとカレンダーはあまり関係ないし、図書館や町のお店が閉まっていることがかえって不便になるくらいである。

短い休みが今日で終わり、また明日から仕事に行く。行くところがあり、やることがある。でもこれはとても幸せなことだし、人並みに生きられることはなかなか思い立ったからと言って手に入ることではないのである。時間のたっぷりあった時期が過ぎ去ったが、また新しい時間の流れのなかで暮らしていける楽しさがある。


2017-01-01(Sun) カムバック・みたけ山荘

_ 大学院生の二年間はいろいろあってお休みしていたが、今回は復職したし身近な仲間もたくさん来るといううわさも聞きつけて、青梅市御岳山の初詣&宿坊泊りに参加した。二回続いたレンタカーはやめて、西武線経由で電車登山、帰りは青梅特快。

少し早めに午前中家を出て山奥へと向かう。ケーブルカーの滝本駅で仲間と会う。むささび飛んでいるのに会いたいと思いながら登った2013年を思い出した。古生物学のレポートにムササビの絵を書いて提出した記憶。宿坊について一息。みかんを食べてゆったり過ごし、ふだん会っている仲間が次々に到着してくる。自分が古参になっていることはもう別に違和感はない。

食事を食べ過ぎないようにという過剰なコントロールもなく、食べたいままに食べ、カウントダウンに向かう。神社でたき火がなくてちょっとさびしい。真宗門徒だが気にせず柏手を打つ。信仰は自分の中では主義や主張ではない。助けてもらっているハイヤーパワーのそれぞれに感謝しているというだけである。ああ日本人的。

仲間と2:00くらいまで語っていた。いつも夜更かししない自分が、ちょっと珍しいパターンだ。布団に入っても睡眠に入れず、そのままご来光を見に出かけていく。日の出を見に行ったのは七年ぶりくらいかもしれない。いつも寝ていたのだ。朝のお雑煮やリンゴ蒸しを食べて出発。部屋に洋式トイレがあるのがうれしい。

ゆったりまた電車で帰ってくる。地下鉄がすいているし土休日回数券を消費できてまたうれしい。帰ってきて年賀状の返事を少し書く。喪明けだが30枚近く来ていた。つながりは大切にしたい。


2016-12-26(Mon) 根津と千駄木

_ 最近の街歩きブームの中では、谷中と合わせて谷根千と呼ぶのだそうだ。朝通勤のときに北千住から回って千駄木に出て、日本医大の横から根津権現の裏手を登り、地震研究所の下へ出る。テモテ教会を折れると、今年からここの門徒とさせていただいた西教寺に向かう。向かう途中で老舗旅館更新館がある。更新館には18,19歳のとき、東大受験で相部屋に宿泊した。そして通勤の散歩は農学部正門で終わる。坂が多くて狭い道。でも味わいのある下町だ。西教寺にも赤門があるんだよ。東大の赤門と同じく、徳川七代目将軍家斉の娘を嫁にもらった侍が建てたようだ。将軍家の娘をもらう時には朱塗りの門を建てるのが縁起がいいとされたらしい。 きょうは帰り道、言問通りから根津の駅前へ降りて行った。電車には乗らずそのまま谷のどん底をつき、坂を上り始める。谷中と上野桜木の間を抜け、坂を上りきる前に左へ折れると京成本線が地下に潜るトンネルから轟音を立てている。夜の墓地を歩く。霊気が漂っている。東大の動物実験の慰霊塔のようなものが谷中霊園の中にある。抜けて山手線、京浜東北線、高崎線、宇都宮線、常磐線、京成線とたくさんの線路をまたぎ、王子街道へ出る。少し行くと日暮里の駅前である。 1988~1990には本郷の郵便局裏にアパートを借りて住んでいたのだが、今度はまるっきり反対側を通勤で通う道に使っている。


2016-12-10(Sat) アルバイト

_ 大学院を満期で中退してから仏教ジャンキーを続けていたら、あっという間に半年が経ってしまった。いつまでも無職のままでいるわけにもいかず、かといってこの年齢で飛び込みで正社員に採用してもらえるほど世間は甘くはない。じっくりと中途採用のある教育機関を探しながら、とりあえずは時給の生活でもいいから働きたい!ということでいくつかの口を応募し続けてみた。バイトと言っても大学や専門学校とかを重点的に探していたのだけれど、そうすると経理や秘書の仕事が多くて、大学側はたいてい若い女性を求めているのである。しかし男女雇用機会均等法とかがあるため募集要項に「女性に限る」とか「30歳前後を採用」とか気軽に書けないらしい。あるいは逆に「TOEIC800点以上」とかすごいハードルを設定しているのに時給980円とかで、そんなうまい話ないでしょ、採用担当さん!って感じのものが多い。いろいろえり好みしながら折角なので四年間理学部で勉強した地球科学関係の仕事がないかと探していたところ、あるとき海洋深層水を用いた環境保全の講座で技術補佐員を募集しているのが目に留まり、応募したら採用してもらえた。キャンパスは東大の弥生だし、博士号が必要とか英検一級とか研究職レベルのスキルは要求されないようで、さらには、入ってみたらいい人ばかりで、自分は良運に恵まれているなあと感じ入っている。任される仕事がホームページ作りだったり研究室の整備だったり掃除だったりと、自分の得意なことをよく頼まれるので、これも心地よい。あわてて地質ボーリングの肉体労働会社や、夜何時まで働かされるかわからない競争的学習塾に飛びついて就職しないでよかったと思っている。

非常勤で有期雇用のアルバイトだけど、フルタイムパートでまあまあお金ももらえるし、予算がついて仕事の成果を認められれば数年は更新がされる可能性もあるし、良いアルバイトにたどり着けたと思っています。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

刈谷Gひろ [アルコホーリクの45歳の男です。ソーバー5年です。あ 嬉しい報告があって、どっかにぶちまけたいと色々探してここにた..]


2016-10-01(Sat) 札幌再来

_ 久しぶりに北海道へと行った。かかわっている法人の活動の一環に金曜日に参加し、役割の仕事を少し、そして土曜は仲間向けの分かち合いと続いた。大通り公園や道庁のあたりを散策する。結婚で少しご縁ができたものの、生活が関東になっているのでしばらく北海道に来ていなかった。九月の末だが、ホテルで空調を入れたら暖房が入る。そもそも冷房という概念がないのかもしれないと聞いたことがある。10年以上前、夕張や帯広に研修会に来たときも、8月から9月の時期に移動のバスで暖房が入っていたのを思い出す。

なん条なん丁目という条里制の区画と住所がわかりやすい。土地が規格化されている印象にもなるが、あちこち探さないでもタクシーで伝えるときにも間違いようがなくてよい。ミーティングに向かうときも楽だった。古い仲間が消えていない!これは本当はそうであってほしいのだが、5年行っていないとけっこう消えていくのが他の地域である。消えてしまった人を忘却した自分ということなのかもしれないが、今回少なくとも「この人に会えるかな」と思っていた人にはだいたい会えた。

最近弔事などが続き、西日本へ行くことが多かったが、関東はそもそも字の通り東日本なので、東北や北海道は近いことを再認識した。福岡空港より、新千歳空港のほうが、成田発のLCCだとちょっとだけ近いのである。新幹線が札幌まで開通したら、是非とも上野から乗ってみたい。


2016-07-22(Fri) 夏休み

_ 小中学校がこれから夏休みに入る。ぼくの最近は毎日夏休みである。退職してからの五年間は自分自身が学生だったし、退職前の数年も教えている学生がどんどん減って出勤日数もどんどん減っていたので、いつから労働日数が漸減していったのかよくわからない。それにしても45歳での早期退職は、ちょっと早期過ぎた気もする。自分で飛び出したわけではなく、状況的にそうなっていったのでコントロールの及ぶところではなかったのだが。

とにかくけっこう自由に生活している。生活の中心はお寺へのお聴聞とお参り、そして夜のミーティング。会社だけの生活から離脱した人だとこうはいかなかったのではないかと思う。自分には同病の仲間がたくさんいるし、その気になれば役割は山ほど見つかる。70代、80代でも元気に活動している人がたくさんいる組織はすごい。お寺に行くと人生の大先輩がぞろぞろいる。50になったばかりの自分が末っ子の犬のしっぽのようである。

時間があるとあくせくしないで済む。生きることに余裕が出てくるのがうれしい。時間に追われると心が亡びるという。忙殺という字がある通りである。20分、30分余裕をみて動く。ほとんど都営バスの定期券で移動するので、バスの始発から終点まで40分くらい乗っていることが多い。街角を歩く犬や人を窓から眺める。バスの中にはお年寄りがたくさん乗ってくる。年上の方が乗ってくると席を譲る様子がみられ、さらに年上の人が乗ってきてその人がさらに席を譲り、さらにヨレヨレのかたが乗ってきてさらに席が譲られ…というような光景をよく見かける。日本の社会も捨てたものではないと思う。

やっと一つアルバイトの面接までたどりついた。ひょっとしたら決まるかもしれない。なかなか仕事に就けないという仲間の話をよく聞いていて、ひとごとのように思っていたが、実際そのようである。四月から何十と履歴書を出し続けてきたが、なかなか引っかからない。したがって夏休みが続く。

青春18きっぷが発売されて、乗れる時期が来てしまった。結婚以来この切符を使っていなかったが、今年は関西や福岡にたびたび行く用事があるので、何年かぶりのムーンナイトながらとかに乗る予定。24時間あれば東京から福岡まで、各駅停車や快速だけで行けるのだ。こういうチャンスを楽しみながら過ごそう。


2016-07-12(Tue) 舛添さんの辞任について独り言

_ 舛添要一先生はわたしが大学一年に入学したとき教養学部の助教授で、一般教養科目の「政治学」を担当しておられた。フランス政治がご専門で著書「赤いバラは咲いたか」を上梓されたばかりだった。もちろん著書は購入したし、授業も登録した。ご出身の八幡高校はわたしの出た小倉高校と隣の校区で、同郷の親しみもあった。現在もそうだが滑舌がよく、論理明晰で、授業も面白く、とくに当時の外交問題やSDI(戦略的防衛)の話がエキサイティングだった。

いろいろな政治活動を展開されてきた末に東京都知事となった。新党を作ったり自民党に利用されたりで、少し心配はしていたが、ご自身を守る力はじゅうぶんおありだろうから、われわれ一都民、一国民が心配するのは杞憂かもしれないと考えていた。しかしマスコミの包囲網は尋常ではなく、まるでお祭り騒ぎのように批判の集中砲火が始まった。些細な材料を取り上げて袋叩きにしている状況に見えた。気分の悪くなることわざで「川に落ちた犬は叩け」というのがあるが、まさにその通りの様相である。舛添さんは気丈にも「辞任は考えていない」と押し通していたが、マスコミの集団リンチによって退職を余儀なくされた。

わたしは猪瀬さんも舛添さんも優秀な政治家だと思っている。今もそうだ。古くは田中角栄もそうだった。しかし金銭問題でスキャンダルがあるとわかるやいなや、マスコミの徹底的な政治家つぶしは異常な執念を以ておこなわれる。中には「ちょっとやりすぎなんじゃ…」と思っている人も多かったと思われるが、多数が一人をいじめているときに「やめろよ」と声を上げるのはとても勇気がいる。声を上げた者も今度は標的にされるからだ。舛添さんを辞任させることに疑問視する声を上げたのは、堀江貴文くらいだっただろうか。

結局舛添さんは辞任して都庁を去ってしまった。マスコミに徹底的に翻弄されたと思う。クレヨンしんちゃんの本だとか、別荘地に出かけたとか、ファーストクラスを使ったとか、なんだか品のない材料を取り上げて、わざと庶民の反発心を煽る記事を書き立て、他の有名人に「せこい」とか「失望した」とか言わせていたマスコミってなんなのだろう。

わたしは今も恩師である舛添さんを尊敬しているし、その人格的価値は下がっていないと思う。むしろあれだけのバッシングを受けて耐え抜いたことで、強靭な精神力を見せてくれたのだと、強くたたえたいくらいである。逆に舛添さんを批判していた人たちに聞きたい。公私混同も贅沢も、あなたはまったくして来なかったし、いくら地位や権力が手に入ってもあなたは清廉潔白で精進できるとお考えなのですか??と。

ますますマスコミが嫌いになりそうです。


2002|05|06|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2004|02|04|05|06|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|11|12|
2016|01|02|03|04|05|07|10|12|
2017|01|03|09|
トップ 追記

メールはこちらへ

FaceBook