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奇跡の今日一日

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2011-05-08(Sun) [長年日記]

_ 連休最終日

昨日までの寒さが嘘のような好天気。ひとりバイクを飛ばして神宮球場へ。東大・明大戦。客席に試合開始四十分前から入っていたが、すでにすごい盛り上がり。応援部の力なのは間違いない。

2時間ばかり応援し続けるが、八回ウラまで見て0vs2だった。移動の時間が迫り、九回を残して退場。後でWebを見たら九回表に明治から2点入れられて0vs4で負けていた。残念。今回も満塁残塁あり。惜しいところだ。

_ 大学院説明会スタート

東京大学の大学院入試は8月から9月に集中している。したがって逆算すると6月ごろから願書受付、5月はその説明会シーズンである。今日はその封切りとも言えるスタート。まずは新領域創成科学研究科の環境系専攻の入試説明会であった。来年定年退職となる岩田修一先生は、ぼくのいた核燃料工学研究室の教授であった。しかし先生の退官と同時にその研究室が来年はなくなると判明。知ってる先生のいない大学院となる。柏キャンパスまでわざわざ行く必然性もなくなるわけだ。

しかしまあともかく資料を受け取り検討しよう。本郷の工学系研究科が本命だが、併願可能で理工系のものは積極的にチャレンジしてみよう。

全講義を英語で行なうという、ハードルが高くノイローゼになりそうな専攻もあるらしい。国内留学ですな。


2011-05-07(Sat) [長年日記]

_ ラスト近づく

けだるい朝。こういう朝を味わうのは30代の頃以来だったろうか。仲間からの電話の着信で起きる。といっても10時を過ぎているのだ。仲間の声はとても元気でこちらはけだるい気分だが、なんとかテンションを合わせる。まあ相手も察知しているが。

あいにくの雨が続く。でも暑かったらもっと体力を使っていたかもしれない。天候が悪いくらいのほうがゆったりできる。予定していた神宮観戦はパスし、屋内巡回の一日にする。池袋のサンシャインシティへ。両親が上京してきたときに水族館へ連れて行った覚えがあった。展望台からは霧に霞んだはるか都下が見渡せる。高速道路と高層マンションが印象的。やはり緑地が目につく。都心の霊園や公園は貴重な資源かもしれない。あとカラオケやって、仲間と会って懇談。連休がもうすぐ終わる。


2011-05-06(Fri) [長年日記]

_ 上野不忍之池(しのばずのいけ)

本郷の東京大学の裏手を東大病院から降りていき、根津と湯島のあいだを坂を下ると上野公園の外苑に至る。広大な不忍之池が眼下に広がる。広い池にはボートのりば。ボートをこぐのは修学旅行と思われる女子高生たち、定年退職後に時間を持て余していると思われる初老の男性、30代くらいのカップル。連休の合間とはいえ、平日の昼間にいる人たちはちょっと事情がある人たちである。

都心の一等地にこれだけの空間が拡がっているのは不思議な感じだ。上野は恩賜公園なので国有地なのだろう。もとより東大のキャンパスもそうなのだが、そのおかげで緑や水がふんだんに触れられるのは良いことなのかもしれない。

_ 学科ガイダンス

入学した学科のガイダンスに参加する。20年以上前に授業を受けた先生たちが次々と現れる。開始前に席を立って挨拶に行くが、研究室が違うとあまり憶えておられないようだった。自分も長いこと教員をやってきたので、何年も前の教室の一生徒を記憶していないのは仕方がないとも言える。

やはり学部学生の皆さんは若いねー。21〜24くらいなのだから当然か。2まわりくらい違うのだから当然だろう。彼らの中に混じってこれから授業を受けたり研究をしていくのは、なかなか骨が折れることかもしれないと思うこのごろ。

_ 佐野へ

栃木県の佐野へ。2003年の後期地域代表だったときに、宇都宮で広報フォーラムを開いた。その当時の旧知の仲間が佐野で会場を開いている。厄除け大師のある町。JR関東のバスで王子から直行した。職場の前(明治通り)をいつもこのバスが行き来するのを就業時間や昼休みに見ていた。いつか乗って旅に出たいと思っていたものだ。

佐野バスターミナルから駅までかなり離れていることに到着してから気づく。時間設定がギリギリだったため、会場には遅れて到着。しかしながらベーシックでグループの一体性が感じられる良い雰囲気であった。

終了後ファミレスで会食。来し方行く末を思う話題。小一時間話して仲間から暗い国道を栃木駅まで送ってもらう。東北本線を赤羽まで南下し帰宅。たぶん上りで直通する最終電車ではなかったか。次が大宮行き最終だったし。自宅には深夜一時ごろ到着。長い長い一日だった。


2011-05-05(Thu) [長年日記]

_ つくばと柏

茨城県と千葉県近辺。国立の研究所や学術機関が軒を連ねる。幕張やお台場などの最近の人工的都市計画は、こちらをモデルに作られているのかもしれない。すこし離れた場所に行くと鬱蒼と木が茂り、林の中の小道を進んでいるように感じる。長野県や山梨県の感じ、あるいは清瀬のあたりの国立施設が連なっているあたりの感じにも似ている。

東海村もそうだったが、このあたりにくると自動車が必要だと感じる。四輪運転ブランク20年以上。今から始めても遅くはないと思うが。

柏の葉キャンパスにまで来ていながら、東大の新キャンパスには入れる時間もなく東京に戻る。しかし北千住からそれほど離れていないこともわかった。またの機会を。


2011-05-04(Wed) [長年日記]

_ シャツ新調

アズキ色ストライプのシャツを買う。連休に備え靴も買った。見た目や気分は重要なことである。古いものを捨てていく勇気も欲しい。こういうことがきっかけで部屋の中にある何年も使っていないガラクタを捨てられることがよくあるのだ。仲間がシャツを昨日買っているのを見たのも大きかったかもしれない。幸福の連鎖。自分もあやかりたい。仲間たちにも広げたいものである。


2011-05-03(Tue) [長年日記]

_ 水もしたたる良い男

雨の予報には気づかずに今朝家をバイクで出た。日中仲間とステッププログラムの分かち合い。またこれで一人完了。充実感で一杯だ。明日また点検をする。きょうは四時過ぎに終了。

少し雨が降っている。井草から中野までわずかな距離だ。バイク置いて電車で行くか。でも夜はやむかもしれない。少し葛藤したが小雨なので、20分くらいですっ飛ばせば移動できるだろう……と考えたのが運のツキである。

早稲田通りをひたすら東進。だんだん雨足が強くなる。やばいなあ。するとほんの数分で一気に本降り。なすすべもなくずぶ濡れである。逃げようがない。あーあ。このまま中野のミーティングに出たら風邪引くと思い、自宅へ進路変更。そしたらすごい豪雨である。なすすべもなく……が続く。からだごと三四郎池に飛び込んだような状態で自宅到着。速攻で裸になりお湯シャワー浴びる。死にそうだった。ベランダに干してあった洗濯物もずぶ濡れ。しかも風で飛ばされて土間にぐっしょりと落ちているTシャツ。

こんな日もある。全身でかばったかばんの中のビッグブックは一滴も濡れていない。奇跡的だ。ぼくのソーバーは安定かもしれない。

_ 清志郎三回忌

あの偉大なロッカーが亡くなってから丸二年で三回忌である。永遠にぼくらの中で生きるあの歌声。考えてみたらあのときから一人カラオケに走るようになったんだよなあ、とか。カラ館のJOY SOUNDよりも第一興商のDAMのほうがRCサクセションや忌野清志郎の選曲は多い。たぶんカラ鉄が最多である。昭和57年ごろリリースされたアルバム「OK」の中のOh!Babyとかが最近のお気に入りである。「一緒に暮らそう、ぼくと二人で、ふさわしい家を、探して住もう」。あまり書くとJASRACに怒られそうなのでやめておく。

病気から復活した2008年の武道館ライブに行かなかったことが、いまも心残りである。時計の針は不可逆進行である。後悔先に立たずじゃ。やりたいことをやるんだよ。願ってきたことはみんな実現する。キヨシローが教えてくれたのだ。


2011-05-01(Sun) [長年日記]

_ 対、慶應戦

二日続けて六大学野球。昨日は1vs4、今日は1vs7で連敗。しかし連日一点が入っている。この得点時の東大応援席の異様な盛り上がりが楽しいのだ。きょうは強風に煽られ、旗が倒れそうな勢いだった。

昨日の初戦は、いきなり一回表にスリーランホームランとか打たれて、敗退ムード濃厚だったが、ヒットの数は東大のほうが多かった。二死満塁のチャンスもあったが残塁が多くて効率悪し。紫外線が強く、日焼けしてしまった。

今日は今日でなかなか得点できないまま中盤まで。慶應側満塁のピンチを無得点で抑えた好投のイニングもあったが、全体的に押され気味だった。

いつもインスタントの紙製メガホンが配られるのだが、この週末にプラスティックメガホンを購入。だんだん本格化している。神宮球場の地理も少しわかってきた。また行こう。

_ 多忙感

ふだんそうでもないのに、メールや電話や重なるときというのはあるものである。この土日の夜はけっこう激しかった。昼間はのんきに野球観戦するほどヒマだったのに不思議である。

仲間とお茶飲みながらメールもチェックし電話も受け、返信してたらまた次のメールが入っていてあららと思っていたらまた電話が入る…みたいな。電話してる間は話中になってたりして待ってた相手がまたかけてくる、とか。そんな状態ですな。森田さん大人気の夜がときどきある。でもメール出して待ってる側はそんなことわかりようもないので一時間も二時間も待ってて、なんか怒らせるようなこと書いたかな…とか妄想を呼ぶこともあるらしい。そんなことありませんので、ゆるしてねみなさん。


2011-04-29(Fri) [長年日記]

_ ゴールデンウィーク

連休に入った。朝顔の種を植木鉢に植えた。芽が出るかなあ。この春は自分の身辺も含め、いろんなことが実っている。ちょっと心配なのは母の体調や手助けしている仲間たちのことだが、それも概ね順調な方向に向かおうとしているのでよしとしよう。学業や仕事はこれからである。工学部の授業開始が連休明けからなので、このゴールデンウィークはぼくにとっては年末年始のようなものだ。

暖かくなってきたので、いままで部屋干ししていた洗濯物を、ベランダ干しとする。冬は屋内で暖房に当てていたほうが早く乾いたのだ。でももう外のほうが良く乾く季節になった。花粉が大量に飛んでいるのを感じるが、アレルギー反応もないし問題なかろう。

休日休暇が続いていても、仲間との予定がたくさんあって、たいてい平日より忙しい生活である。この春の退職に至るまでの数年間、出勤日数のようなものが徐々に減っていったのは良かったかもしれない。一気に常勤から毎日が日曜日になったら危険な行動に結びつきがちだ。「お父さんは日中は全神経を張り詰めている、夜は夜で忙しい」とかそんな文章があったように思う。やることがあるのはいいことだが、張り詰めるほどでもない、そういう感じが理想である。

今朝植えた朝顔の種は、二年前に中野のホームセンターで買った種からの第三世代である。いわばグランドスポンシー。芽が出たら報告します。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

尾崎です(つくし野) [おはようございます。全てが順調、ポジティブスパイラル。そして、心穏やかに過ごされている様子がWebで感じ取れて、こち..]


2011-04-28(Thu) [長年日記]

_ 英会話など英語学習

大学の研究生になってすこし頭を悩ませているのが英語学習である。大学院入試にも必須。そして何年か経ったら世界を飛び回らないといけない(かもしれない)自分としては、いまのレベルでは不足なのである。

工学部のスペシャルイングリッシュレッスンというのがある。しかしこれは中級以上である。東京大学の現役学生に混じって学ぶにはちょっとつらそうだ。でも今度レベル測定の説明会がある。ちょっと背伸びして参加予定。無理そうならやめる。

上述のレッスンは実は外部の英会話学校が東大に出前講師を派遣して、昼休みに英会話をやらせるというものである。ベルリッツ、日米会話学院、アテネフランセ、トフルゼミナールなどが入っている。となればその制度に乗らなくても、直接その学校に行って初級から受けるというのもいいかもしれない。今朝御茶ノ水のアテネフランセへ行って資料をもらい、説明会の日時なども聞いた。これも選択肢。

あと東大へ来ている留学生と毎週決まった曜日にランチを食べながら会話するというプログラムもある。これも工学部の公式プログラムである。もちろん単位はつかないが貴重な経験になるかもしれない。

2010年秋〜2011年冬まで本郷のルーテル教会で参加した中級前英会話。中級前とはプレ中級のこと。中級と呼ぶにはおこがましいが、初級でもないという感じ。その時間内は日本語禁止というルールだった。これもよかった。でもあまりカリキュラムにはなっていない。クリスチャンならなおよかったが、キリスト教の話はやはりよくわからない。

そう、いろいろ選択肢があるのだ。さらに今は離職したためハローワークの離職者訓練も受けられる。英会話主体というより「貿易事務」の訓練の名目でときどき募集されるようである。しかしこれは週五日で平日毎日となるので、学業に支障が出る。うーん、悩ましい。あと授業料の20%が国から支給される教育訓練給付制度も有名だが、全体的に授業料高めの講座が多い。週二回くらいがちょうどいいんだけどね。

最近は英会話学校も多角経営が進んでいて、英会話カフェとかもあるようだ。

五月中に一通り試してみようかなと思う。さらにTOEICやTOEFLも再チャレンジしよう。そのまま八月の大学院入試シーズンに突入である。


2011-04-26(Tue) [長年日記]

_ チェルノブイリ原発事故

ウクライナで起きたあの事故から今日でちょうど25年。ぼくは東京暮らしを始めてちょうど1年経ったころで、留年して一年生をもう一度始めたばかりの頃だった。日本でも反原発のブームが起こる。広瀬隆、田中三彦、そして敬愛する忌野清志郎、などなど皆さん活動されていた。東芝、日立、三菱と原発プラントに機器納入している重工業メーカーと電力会社、半官半民の原子力関連企業がそれを抑えにかかるが、社会現象になる勢いの反原発運動は止まらなかった。チェルノブイリ事故は放射性物質を死ぬほど撒き散らしたし、実際死者が出て、動物の奇形も発生した。環境中に溢れ出た放射性物質は、今回の福島原発の比ではない。炉心溶融が起こり圧力容器そのものが爆発しているのだから、建屋の水素爆発(化学燃焼)とは根本的に違うのだ。

ぼくはそんな中で事故の翌年である昭和62年秋、進学振り分け制度の中、工学部原子力工学科に進学することが内定したのだ。なんという逆風。その後2年半は徹底的に原子力発電とその構成要素の燃料棒の材料研究、そして卒業論文を指導してもらい書き上げる。さらに九州電力玄海原子力発電所に就職。反原発ブームが巻き起こる中、推進一直線である。

そして今もまた似たような状況かもしれない。東日本震災の起こる四日前に工学部研究生に内定し、原子力研究に戻ることを決意。そして福島原発事故の連日の報道。事態は収束しつつあるが、統一地方選などでも原発政策は選挙の争点となっている。左派活動を続けてきた自分が原子力に携わり、原発推進派の政治家に次々と投票している。世の中の逆を行く。まあだからこそ自分の存在意義があるのかもと思う。

_ 駒場のシステム

本郷の毎日に少し飽き、今日は駒場で一日を過ごそうと計画。副都心線で渋谷に出てから、東急デパート本店方面に出る。芸能人や有名人がたくさん住んでいる高級住宅街松濤(しょうとう)を抜け、山手通りを横切り、井の頭線のガードをくぐって駒場商店街にくだり、再度階段を上って教養学部旧矢内原門から駒場キャンパスに入構する。

駒場で学内コンピュータシステムのアカウントを受け取って、情報管理棟で自習。初めて使うiMac。これまたすごく速くてびっくり。いまどきの東大生どもはこんな快適な環境を使っていたのか。初めてだけどiMacって表向きはGUIでもベースはUNIXシステムだなあ。RedHatLinuxやKondaraでX11R6を設定していろんなGUIスキンをコンピュータにかぶせてMacもどきをやって遊びまくっていた1998〜2004くらいを思い出す。ちゃんとバーチャルWindowsも乗っかっている。でもGUIシステムが整備されていれば、ぜんぜんWindowsなんて必要ないかも。メーラもブラウザも聞いたこともないようなアプリだが、これはこれで未知の気分で楽しい。ブラウザのフォントが微妙にジャギーが見えてる明朝体だったりして、ホントにTrueTypeかよ?みたいなのがいかにもUNIXな風情である。最小化、最大化、killのボタンがWindowsみたいに「必ず右上」でなくて、左にあったりして惑わせる。ツールボックスって置きたいところに置けばいいのかって、新たな発見。

コンピュータを使い尽くして一休みしてから、あの20数年来の喫茶店に行く。ここのところ月一回ペースで来訪。きょうはすごく混んでいた。昼食時をずらして行ったほうがよいかもしれない。

駒場の一般教養科目に興味があるのだが、専門課程からは履修できないらしい。単位が取れなくてもいいから駒場の科目を少しだけ聴講だけさせてもらおうかな、なんて考えるこのごろ。


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