二日続けて六大学野球。昨日は1vs4、今日は1vs7で連敗。しかし連日一点が入っている。この得点時の東大応援席の異様な盛り上がりが楽しいのだ。きょうは強風に煽られ、旗が倒れそうな勢いだった。
昨日の初戦は、いきなり一回表にスリーランホームランとか打たれて、敗退ムード濃厚だったが、ヒットの数は東大のほうが多かった。二死満塁のチャンスもあったが残塁が多くて効率悪し。紫外線が強く、日焼けしてしまった。
今日は今日でなかなか得点できないまま中盤まで。慶應側満塁のピンチを無得点で抑えた好投のイニングもあったが、全体的に押され気味だった。
いつもインスタントの紙製メガホンが配られるのだが、この週末にプラスティックメガホンを購入。だんだん本格化している。神宮球場の地理も少しわかってきた。また行こう。
ふだんそうでもないのに、メールや電話や重なるときというのはあるものである。この土日の夜はけっこう激しかった。昼間はのんきに野球観戦するほどヒマだったのに不思議である。
仲間とお茶飲みながらメールもチェックし電話も受け、返信してたらまた次のメールが入っていてあららと思っていたらまた電話が入る…みたいな。電話してる間は話中になってたりして待ってた相手がまたかけてくる、とか。そんな状態ですな。森田さん大人気の夜がときどきある。でもメール出して待ってる側はそんなことわかりようもないので一時間も二時間も待ってて、なんか怒らせるようなこと書いたかな…とか妄想を呼ぶこともあるらしい。そんなことありませんので、ゆるしてねみなさん。
連休に入った。朝顔の種を植木鉢に植えた。芽が出るかなあ。この春は自分の身辺も含め、いろんなことが実っている。ちょっと心配なのは母の体調や手助けしている仲間たちのことだが、それも概ね順調な方向に向かおうとしているのでよしとしよう。学業や仕事はこれからである。工学部の授業開始が連休明けからなので、このゴールデンウィークはぼくにとっては年末年始のようなものだ。
暖かくなってきたので、いままで部屋干ししていた洗濯物を、ベランダ干しとする。冬は屋内で暖房に当てていたほうが早く乾いたのだ。でももう外のほうが良く乾く季節になった。花粉が大量に飛んでいるのを感じるが、アレルギー反応もないし問題なかろう。
休日休暇が続いていても、仲間との予定がたくさんあって、たいてい平日より忙しい生活である。この春の退職に至るまでの数年間、出勤日数のようなものが徐々に減っていったのは良かったかもしれない。一気に常勤から毎日が日曜日になったら危険な行動に結びつきがちだ。「お父さんは日中は全神経を張り詰めている、夜は夜で忙しい」とかそんな文章があったように思う。やることがあるのはいいことだが、張り詰めるほどでもない、そういう感じが理想である。
今朝植えた朝顔の種は、二年前に中野のホームセンターで買った種からの第三世代である。いわばグランドスポンシー。芽が出たら報告します。
大学の研究生になってすこし頭を悩ませているのが英語学習である。大学院入試にも必須。そして何年か経ったら世界を飛び回らないといけない(かもしれない)自分としては、いまのレベルでは不足なのである。
工学部のスペシャルイングリッシュレッスンというのがある。しかしこれは中級以上である。東京大学の現役学生に混じって学ぶにはちょっとつらそうだ。でも今度レベル測定の説明会がある。ちょっと背伸びして参加予定。無理そうならやめる。
上述のレッスンは実は外部の英会話学校が東大に出前講師を派遣して、昼休みに英会話をやらせるというものである。ベルリッツ、日米会話学院、アテネフランセ、トフルゼミナールなどが入っている。となればその制度に乗らなくても、直接その学校に行って初級から受けるというのもいいかもしれない。今朝御茶ノ水のアテネフランセへ行って資料をもらい、説明会の日時なども聞いた。これも選択肢。
あと東大へ来ている留学生と毎週決まった曜日にランチを食べながら会話するというプログラムもある。これも工学部の公式プログラムである。もちろん単位はつかないが貴重な経験になるかもしれない。
2010年秋〜2011年冬まで本郷のルーテル教会で参加した中級前英会話。中級前とはプレ中級のこと。中級と呼ぶにはおこがましいが、初級でもないという感じ。その時間内は日本語禁止というルールだった。これもよかった。でもあまりカリキュラムにはなっていない。クリスチャンならなおよかったが、キリスト教の話はやはりよくわからない。
そう、いろいろ選択肢があるのだ。さらに今は離職したためハローワークの離職者訓練も受けられる。英会話主体というより「貿易事務」の訓練の名目でときどき募集されるようである。しかしこれは週五日で平日毎日となるので、学業に支障が出る。うーん、悩ましい。あと授業料の20%が国から支給される教育訓練給付制度も有名だが、全体的に授業料高めの講座が多い。週二回くらいがちょうどいいんだけどね。
最近は英会話学校も多角経営が進んでいて、英会話カフェとかもあるようだ。
五月中に一通り試してみようかなと思う。さらにTOEICやTOEFLも再チャレンジしよう。そのまま八月の大学院入試シーズンに突入である。
ウクライナで起きたあの事故から今日でちょうど25年。ぼくは東京暮らしを始めてちょうど1年経ったころで、留年して一年生をもう一度始めたばかりの頃だった。日本でも反原発のブームが起こる。広瀬隆、田中三彦、そして敬愛する忌野清志郎、などなど皆さん活動されていた。東芝、日立、三菱と原発プラントに機器納入している重工業メーカーと電力会社、半官半民の原子力関連企業がそれを抑えにかかるが、社会現象になる勢いの反原発運動は止まらなかった。チェルノブイリ事故は放射性物質を死ぬほど撒き散らしたし、実際死者が出て、動物の奇形も発生した。環境中に溢れ出た放射性物質は、今回の福島原発の比ではない。炉心溶融が起こり圧力容器そのものが爆発しているのだから、建屋の水素爆発(化学燃焼)とは根本的に違うのだ。
ぼくはそんな中で事故の翌年である昭和62年秋、進学振り分け制度の中、工学部原子力工学科に進学することが内定したのだ。なんという逆風。その後2年半は徹底的に原子力発電とその構成要素の燃料棒の材料研究、そして卒業論文を指導してもらい書き上げる。さらに九州電力玄海原子力発電所に就職。反原発ブームが巻き起こる中、推進一直線である。
そして今もまた似たような状況かもしれない。東日本震災の起こる四日前に工学部研究生に内定し、原子力研究に戻ることを決意。そして福島原発事故の連日の報道。事態は収束しつつあるが、統一地方選などでも原発政策は選挙の争点となっている。左派活動を続けてきた自分が原子力に携わり、原発推進派の政治家に次々と投票している。世の中の逆を行く。まあだからこそ自分の存在意義があるのかもと思う。
本郷の毎日に少し飽き、今日は駒場で一日を過ごそうと計画。副都心線で渋谷に出てから、東急デパート本店方面に出る。芸能人や有名人がたくさん住んでいる高級住宅街松濤(しょうとう)を抜け、山手通りを横切り、井の頭線のガードをくぐって駒場商店街にくだり、再度階段を上って教養学部旧矢内原門から駒場キャンパスに入構する。
駒場で学内コンピュータシステムのアカウントを受け取って、情報管理棟で自習。初めて使うiMac。これまたすごく速くてびっくり。いまどきの東大生どもはこんな快適な環境を使っていたのか。初めてだけどiMacって表向きはGUIでもベースはUNIXシステムだなあ。RedHatLinuxやKondaraでX11R6を設定していろんなGUIスキンをコンピュータにかぶせてMacもどきをやって遊びまくっていた1998〜2004くらいを思い出す。ちゃんとバーチャルWindowsも乗っかっている。でもGUIシステムが整備されていれば、ぜんぜんWindowsなんて必要ないかも。メーラもブラウザも聞いたこともないようなアプリだが、これはこれで未知の気分で楽しい。ブラウザのフォントが微妙にジャギーが見えてる明朝体だったりして、ホントにTrueTypeかよ?みたいなのがいかにもUNIXな風情である。最小化、最大化、killのボタンがWindowsみたいに「必ず右上」でなくて、左にあったりして惑わせる。ツールボックスって置きたいところに置けばいいのかって、新たな発見。
コンピュータを使い尽くして一休みしてから、あの20数年来の喫茶店に行く。ここのところ月一回ペースで来訪。きょうはすごく混んでいた。昼食時をずらして行ったほうがよいかもしれない。
駒場の一般教養科目に興味があるのだが、専門課程からは履修できないらしい。単位が取れなくてもいいから駒場の科目を少しだけ聴講だけさせてもらおうかな、なんて考えるこのごろ。
夜空・五木ひろし/Drive my Car・RCサクセション/カナダからの手紙・平尾昌晃/畑中葉子/Yes-No・オフコース/愛と平和・忌野清志郎/夜空の誓い・HIS/夢の途中・来生たかお/ブルー・ライト・ヨコハマ・いしだあゆみ/チェリーブラッサム・松田聖子/17才・南沙織/仕草・忌野清志郎/倖せさがして・五木ひろし/ごめんよ涙・田原俊彦/恋一夜・工藤静香/君が僕を知っている・RCサクセション/哀歌(エレジー)・平井堅/襟裳岬・森進一/星降る街角・敏いとうとハッピー&ブルー/中の島ブルース・内山田洋とクールファイブ/Romanticが止まらない・C-C-B/LET IT BE・THE BEATLES/不思議なピーチパイ・竹内まりや/冬のリヴィエラ・森進一/岬めぐり・山本コータローとウィークエンド/星空のディスタンス・THE ALFEE/カナダからの手紙・平尾昌晃/畑中葉子
2時間一人で目一杯歌ってこんな感じ。全部記憶していたわけではないよ。うたスキのシステムにWebからログインすると、今日歌った自分の履歴がわかるのだ。すごいシステムだね。前回のも前々回のもずっとわかる。ぼくの昭和ぶりがはっきり出ている。平井堅なんていうのは新しすぎる例外。逆にいしだあゆみは古すぎるかもねー。
まるでカラオケメインの一日のように見えたかもしれないが、朝は選挙(板橋区長・区議会選)とバイク修理。昼は仲間と小一時間昼食、夜はミーティングと、おだやかなしかしちょっと忙しい一日を過ごしたのである。その隙間にちょうど2時間ばかり空白ができたのでカラオケを歌ったまでである。カナダからの手紙を2回も歌っておる。
先月あたりまでは休日も大学の図書館で勉強したりしていたが、ガリ勉過ぎるので最近は休むようにしている。でもまた入学試験が迫ってきたらやるかも。
それにしても暖かくなってきた。また連休が近い。楽しみである。
ハローワークで離職手続き。いろいろとややこしいこともあったのだが、最終的には失業給付の資格がきょう決定した。雇用保険に20年間加入してきたのだ。これがもらえないと痛い。でも無事に決定した。これからは求職活動である。
年齢は大きく違うがスポンサーも退職、自分も退職、各所で退職の和音が響く。離職は新しい人生の始まりである。未来がある。何事も遅すぎることはない。始めようと決めた日がスタートである。
おしのびで北海道へ。ブログに書いたらもうおしのびも何もないんだけど。新千歳空港に降り立つのは、夕張、帯広の各宿泊研修会と、広報のフォーラム以来。道内に到着すると感じるのは、土地の区画の広さである。そして雪の残る広大な枯木の林。どこまでも続く並木という感じなんだよね。
そしてやはり防寒対策が徹底している。電車も地下街も公共の場所にはドア、ドア、ドアである。歌舞伎町の地下街のサブナードみたく、冷気の侵入を防いでいる。歌舞伎町は浮浪者対策だと思うが。
地下鉄の一日乗車券で東西線の端から端へ。アミューズメントスポットをいくつか回る。道端には雪の残り。桜はまだまだ開花していない。春はこれからである。
大学づいている自分にとっては、関心はやはり北海道大学であった。初めて入った北の端の帝大。札幌市の中心地にありながら、なんと広い土地だろう。東大の比ではないこの広さ。学内を縦横に走る広い道の各所にここは何学部、ここは何学部とはっきりとした形で表示されている。親切な案内である。図書館は残念ながら入口が改装中。
仲間が一人で守っている会場へ夜訪れる。もう何ヶ月も新しい仲間は来ていないそうである。いろいろ考えさせられる。毎週何十人も来てみんながしゃべれない都内の自分のところの会場の悩みとは対極をなす。良いとか悪いとかではなく、それぞれの現実だと思う。この会場を守っている仲間は先を行くメンバーだが、2002年の深川で同じときにコンファレンスに出た仲間だ。翌年の後期のときにはこれまた一緒に全体会議の議長にあたった。くじ引きで決まる議長を一緒にやれて、その後のつながりもよりしっかりしたものになった。
ミーティングをあとにし、札幌市内で一泊してまた東京へ。ほかにもいろいろあったがまあこんなところで。
古くから全体サービスの専従をしていただいてきた仲間の最終就業日。その知らせを聞き、新千歳から羽田に戻ってきたその足で駆けつける。最近よくちょっとした花束を買うことが多い。花はやはりメッセージである。感謝、愛情、友情、いろいろ……。
時間的にあまり滞在できなかったが、最後に行けてよかった。自分と個人的に回復の手助けを手伝っていただいている大切な仲間でもある。
偶然だが自分のグループが滅多にない休みの日だったこともあり、前々から行きたかった埼玉西のグループへその仲間と同行。大変盛りだくさんな二日間であった。
きょうは神宮で法政大学との対戦であった。一回表いきなり先制得点、犠飛もあり一挙に2vs0。応援席は狂喜乱舞。見知らぬ人どうし肩を組み東京大学の歌「ただ一つ」を歌いまくる。しかし、ウラに一点入れられ、2回には満塁ホームランまで打たれてしまい、3回、4回、5回と毎回得点を入れられ、結局4vs11で敗退。(http://www.big6.gr.jp/)
でも東大としては四点も入ったのはすごいことだ。前回も5点という猛攻があったし、今年はひょっとしたら勝ち点が発生するかもしれない。
得点が入るたびに「ただ一つ」を歌う。東大には校歌がないので、もともと応援歌であった「ただ一つ」と「大空と」が東京大学の歌として制定されている。「大空と」のほうは歌詞が難解なことで有名。陶冶とか巍巍たりとか蘊奥の窮理とか、歌詞にフリ仮名振ってくれと言いたくなるものばかり。
きょうは少し肌寒かった。風邪大流行の兆し。応援部の主将もきのう40度の熱が出たとブロックで言っていた。でも心が熱ければ跳ね返せるよ、そう絶対に。
きょう持ち歩いていたら、突然の電源切れ。電源インジケータが低、中、高とあり、高の状態だったのにかかわらず、いきなり切れる。バッテリー寿命はいまどきは三年くらいなのだろうか。朝切れて夕方ショップで緊急復帰してもらって、そのあいだに新着メール五件。仕事依頼先や、大切な人のメールや、スポンシーからのメールなど、こういうときに限って大事なものばかり。バッテリー買うより機種変更もしたいところだけど、去年11月に旧機種に戻しているので、五月になったら割引で新機種が買えるのだ。なんとかもう一ヶ月、だましだまし今のを使いたいところ。
電源が入らなくなったときの対策は何もしていなかった。1).AC充電器を持ち歩く、2).電池式充電器を持ち歩く、3).ディーゼル発電機を持ち歩く、4).電話をしない。とかいろいろ。3).は冗談だけど、最近は手回し充電とかあるみたいだよね。津波が襲ってきても電源確保しろ、とか、最近のマスコミの東電&原発叩きは激し過ぎる。
きょうはイライラしながらウィルコムショップで待っていた。番号札持たされて40分待ち。ちょっと怒り気味の自分。仲間の4,5聞いたばかりの自分は怒り大爆発なんてできないのだ。そして充電にさらに30分。なすすべもなくミーティング遅刻。携帯に振り回される一日であった。
● 尾崎です(つくし野) [おはようございます。全てが順調、ポジティブスパイラル。そして、心穏やかに過ごされている様子がWebで感じ取れて、こち..]