ぼくが学んできたのはまずは母国語の日本語。これはさすがにすらすら話せるし、聞こえるし、書ける。豊前小倉のなまりと東京標準語は分けて話せる。
つぎはやはり英語。中学一年から学んでいるのでかなりできてもよさそうだが、リスニングやスピーキングは惨憺たるものだ。読み書きは時間をかければ受験英語レベルなら頑張ったのでそこそこやれるが、音声となると厳しい。先日のTOEFL-iBTは120点満点中わずか30数点だった。完敗である。TOEICも初回400点を切ってやる気nullになっていたので、この夏は再チャレンジしてみたい。ルーテル教会で半年英会話もやったし、大学院入試でも必須だし、ガッツで行こう。
そして第二外国語のドイツ語。このブログにもえんえん書いてきたが、独検三級まで到達した。三級合格は奇跡にも近いと思ったものだ。でもそれに甘んじてはいない。合格後も一日も欠かさずラジオ講座「まいにちドイツ語」を聞き続けている。いや、毎日というのはちょっとうそ。土日はないし、外泊時はラジオを持って行ってない日もある。
あとちょこっとかじった言語は中国語。東大駒場で一年のとき登録したが、二回しか出席しなかった。それからフランス語。放送大学の面接授業で八コマやったのでまあまあか。
メジャーなのに未踏の言語はスペイン語、ロシア語、アラビア語、朝鮮語など。
語学はぱっとわかってみるみる上達するというようなものではない。地道な努力が必要だ。環境も大きいかなあ。毎日英語でしか会話できないと、否応なしにぺらぺらになるかも。ルーテル教会の英会話教室がそうだった。
語学は目標をもって生涯やっていくべきことのようにも思う。そして、始めるのに、遅すぎることはない。
東大構内への車両入構には許可が必要である。自転車もバイクもすべて有料登録制である。しかも年間契約。バイクでちょっと寄りたいときも、これまでは入構できず、外のお客様用駐輪場にとめてかなりの距離を歩かなくてはならなかった。こっそり入構してとめておくと、あっという間に警告書が貼られ「車両番号を記録しました」とやられてしまう。この三月まではバイクで行くとジプシーのように彷徨わなくてはならなかった。
しかし晴れて東大研究生となった今、堂々と年間登録申請をし、審査が通った。明日からバイクで入構できる。駐輪許可のシールがもらえた。たいへんうれしい。ただし、正門や赤門をくぐるときにはエンジンを切って押して入らねばならない。でももうぼくは内部の人だ。ジプシーから内部の人へ。高々バイク一つについて、身分があるなしでこんなにも違うのだ。
ぼくと特に知り合いでもない人たちがこのページにたどり着いて、閲覧をするというケースがある。インターネットのWorld Wide Webなので当然なのだが、不思議な気分。検索キーワードに何を使っているのか、管理者のぼくは調べられるようになっている。最近多いのがダントツ「関村直人先生」。メジャーな大学教授なので当然だろうか。最近原子力は風当たり強いからなあ。あと「高尾霊園」とか「忌野清志郎」「墓」「区」とか。お墓の位置を探しているようだ。あと「定期」とか「営団」とか鉄道ネタ。意外にも「今日一日」とかで結構たどり着いている。ぼくの今日一日に興味ありますかね。
午前中の自分たちの労使交渉を終えてから、川崎の施設へ。ミーティングの司会ボランティア。過去のことに焦点を絞って話をする。およそ30分くらい自分の話をしてから通所者10人くらいに話してもらう。分かち合って終了。これがわれわれの原点だと思う。いまはいくらか浮き上がって、そこそこ幸せな生活をしているが、過去はみんなこうだったのである。
三時過ぎに終えて、本拠地である荻窪へ向かう。地道な人生。今日は大学へ行かなかった。たまにこういう日もある。本来ずっとこうして生きてきたんだなと思う。
東京六大学野球の春の公式戦が始まった。神宮球場で開幕式と始球式が9:15からあり、初戦のカードは東京大学vs.早稲田大学である。昨年秋は東大が斎藤を攻略し、奇跡的に4vs2で勝った試合があった。今日は応援席に入ろうとすると「開幕日は学生無料」との掲示あり。東大学生に限らないようだったが、学生証提示して無料で入れた。事前に大学の運動会窓口でチケットを買ってあったのだが、それは不要になった。
応援が楽しいのである。歌に次ぐ歌。応援歌が何種類もあり、1回はこの曲、2回はこの曲と決まっている。昨年観戦に行きまくったおかげで、どの曲も全部歌えるのである。もはや野球なんてあまり見てない感じなのだが、応援部のパフォーマンスや呼びかけが楽しい。途中雨が降り出し、持参したカッパを着ての応援。ずぶ濡れになりながらも九回裏まで応援貫徹であった。結果は0vs4だが、二桁得点を持っていかれることの多い東大としては善戦だったと思われる。とくに九回裏2死満塁になったときの応援はエキサイトしていた。一打同点もありうる局面だったし。しかもカウントが2S3Bまで行き、ボール球が来たら一点入る場面だったのだ。しかし残念ながらラストは空振り三振。でも健闘してくれたナインに拍手。
都内では多くのスポットで桜が咲き始めている。相変わらず震災の自粛ムードは今も引っ張っているが、節電対策などはやむを得ないとしても、みんなで落ち込んでいる必要はない。やはりここは前向きに生産活動を高め、できることをやり、明るく生きるしかないのではないか。東大病院の前のベルツ像のある公園とか、高戸橋のあたりの神田川沿いとか、ささやかな花見の席が開かれていた。都内の満開は今日から日曜あたりにかけてであろう。しかし強風にあおられたり花冷えの雨で散ってしまうかもしれない。桜の花ははかないのである。三島由紀夫の小説の中に出てきそうな日本庭園的風景が、あちこちで見られるこの一週間は貴重である。今度の土曜は東京六大学野球の春季リーグの開幕戦でもある。初戦は早稲田と東大戦。雨天の予報が外れることを祈る。
ここのところいろんなことが次々と起こり、目まぐるしい。しかししらふで長年やってきて、本当に良かったと思う。母の体調も良くなったようで、父からの電話によると食事も始められたらしい。集中治療室から出られるのも時間の問題かもしれない。学校のことも仲間との助け合いも私生活も、すべて順調に向かっている。こういうときって本当にあるんだなと思う。祈りは通じるのだった。
いまこのページは東大工学部の研究室のパソコンを使って書いている。会社にいるときは職務専念義務があったので、時間中に私用でPCをなんてことは口が裂けても言えなかった。でもいまは学生生活である。学業中であってもぼくは学費を払っているし会社勤めとは根本的に違うのである。学生は自由の身である。
「正式に」というのは、今日工学部の事務局で、正式な入学手続きをしたのだ。四月一日から晴れて東大の研究生である。図書館で本を借りられるようになったし、生協の加入者証にも「工学部」と入っている。何より学生証(研究生証)が手に入った。
そして指導教授の手厚いはからいにより、研究室も、自分の席も、自由に使えるパソコンもある。ネットにももちろん接続している。Core7の2.93GHzCPU、初めて使うWindows7、そしてうちのモニタの解像度の横三倍×縦二倍は広いと思われるモニタ、さらにハードディスクの容量を見たら900GBくらい空きがある。9GBでも90GBでもない、ほんとうに900GBも空きがあるのだ。目を疑うよ。ネットのスピードも未体験の速さ。Adobe ReaderのアップデートやFirefoxのダウンロードが瞬時に終わっていたのは驚いた。いままでなんて貧相な環境でコンピュータを使っていたのかと思う。すごいぞ国費。ベースは確かに国費だが、授業料月換算でおよそ\30,000は自己負担で払っているので、しっかりモトが取れていると考えたい。ちなみに自宅のPCのCPUはSocket370のCeleron900MHzである。会社で使ってきたパソコンはSLOT2のXEON450MHzであった。聞いたこともないような仕様かもしれない。
しばらくは東大のさまざまなハードウェア仕様を楽しんで過ごすことになろう。20代のときは何も感じなかったんだが、いまはありがたみが痛いほどよくわかる。人生を投げ打ってここにやって来て、正解だったと思う。
実家から連絡が入り、母が倒れたとのことで、小倉に3/30-4/3までのあいだ帰っていた。冠動脈症候群だそうで、いわゆる心筋梗塞と狭心症である。心臓の冠動脈形成術を施し一命をとりとめたとのことだった。しかし腎機能の低下やそれによる肺炎の併発もあり、予断を許さない状況が続いている。肺に水がたまり、それが抜けきらないと呼吸困難になるので、酸素マスクをつけている状況であり、いまだCCU(心臓集中治療室)で治療を受けている。しばらく入院生活に違いない。以前から糖尿病、高血圧などで臥していたこともあり、体力の低下はやむを得なかった。74歳なので一般的にはまだまだ若いのかもしれないが、今回は覚悟を決めて駆けつけることになった。
しかし救急期の処置とその後の治療がうまくいったのであろう。水曜日に駆けつけたときには意識も戻っており、金曜あたりには言葉も出ていた。若干後ろ髪引かれる思いだったが、自分も東京に戻り入学手続きや労使交渉など続けなくてはならない。日曜深夜帰宅して、月曜から通常生活である。
いつ何があってもおかしくないと思う。悔いなく全力で一日を生きていこう。
東京大学から今年の入学式は中止にしたとの通達が出されている。代表者だけが集まって式典を済ませ、一般学生は出席できない。卒業式も代表者だけだったようだ。20数年ぶりの再入学を果たせたのにこれはとても残念である。毎年入学式は日本武道館で行なわれる。千鳥が淵の桜の花が舞い散る中での式典を楽しみにしていたのだが夢はかなわず。
ネットでも各所で取りざたされているようだが、こういう時の自粛ムードは日本全体を沈滞させる。こういうときこそ明るく活発に、いつもどおりやるべきではないのか。節電はともかくとしても、工夫のしようはある。
エヴァの中でも、破滅が近づいているときに「花壇に水をまく」話があった。マルティン・ルターも同じようなことを言っていたと思う。リンゴの苗木「世界が明日滅びると知っても、わたしは今日のうちに、リンゴの苗木を植えるだろう」。こういうときだからこそ。
三月の最終週に入った。年度末のいろいろな処理。持ち越し事項も出そうである。睡眠がちょっと足りないかも。ドイツ語のラジオ講座が新しく始まった。またGuten Tag!からやり直しなのが楽しい。一生勉強である。
周年行事はその周年のステップをテーマにするという取り決めで、今年はステップ3である。全員見事にステップ3の話を話し切る。ぜんぜんテーマからそれないのがすごいと思った。ここは原稿なんか要らないのである。原稿を書きたい人はBOX916に投稿してください。生はライブである。目の前にいる人に話すのである。うちは徹底してグループメンバーに話してもらう。だからオープンスピーカーというより、オープンステップミーティングである。
ステップも伝統と同様、経験の蓄積である。いろんなことをやってみて、これがベストかなと思うことを伝える。だからシンプルである。新しい人たちへの希望のメッセージになって欲しい。
● 尾崎です(つくし野) [ご母堂の回復を心より祈ります。 私も母を68歳で亡くし、そのころはまだ酒を飲んでは周りの人に嫌な思いをさせていました..]