今使っている携帯電話の端末がAdvanced W-ZERO(es)という、ミニPDAみたいなものなので、けっこういろんなことができる。コンパクトなWindowsが入っているから、ワードやエクセルのファイルも読めるし、メディアプレーヤも起動する。MP3プレイヤーにもなるのである。外部メディアとしてminiSDカード2GBを装着しているのでかなりたくさんの曲が入る。1MBで一分くらいの長さが録音できるから、ざっと2000分、約32時間の音楽だ。でもそんなにバッテリーが持たないか。
CPUが500MHzくらいということだから、職場で使っているパソコンより速いかも。なんたること。メディアなしでもユーザーメモリが256MBくらいあるとのことだ。すごい時代になったものだ。
ビックカメラに行ってヘッドホンの変換アダプタを480円で購入した。ポイントで買えちゃったのでおまけみたいなものだ。キヨシローの最近の「Sweet Lovin'」とか「旅行」とかを入れて聴いてみる。ちょっとボリュームが足りない気もするが、けっこういい感じだ。
実はワンセグオプションをつけてTVも見られるのである。TV生活をしていないのであまり恩恵にあずかっていないが、安い端末であらゆることが可能なのはすごい。パケットが安いと言うことないんだけどね。
仲間10数名と大泉学園駅前のカラオケの鉄人でカラオケ。年二回の定例フェローシップである。メンツが同じなので、だいたい個々人の選曲傾向がわかってきて楽しい。それにしても長丁場だ。11:00〜18:00の七時間! でもメンバーが多いのでたいして順番が回ってこないのである。
こんなタイミングなので、30代、40代はみんなキヨシロー一色か?と思いきや、全然そんなことはなく、いつも通りである。キヨシローの曲を歌ったのは、ぼくとあと30代のメンバー一人だけであった。
城南地区の仲間の集まりによるバーベキュー大会に参加。キヨシローへの悲しみがまだ覚めぬ中、バイクで出かける。キヨシローの住んでいた自宅マンション前を通過。喪服の報道陣が詰め掛けていた。
東北沢から駒場にかけて、20代の頃によく原付でうろついたところだ。下北沢の裏町。駒場にもいろんな思い出が詰まっている。ここで仲間のフェローシップが行なわれるのはなんとも不思議な感じ。
入れ替わり立ち代わりで100数十人という発表のようだった。焼きそばもたっぷり食べてミーティングして終了。
バースデーミーティングを井荻に移して初の日。自分が司会をさせてもらった。みんなに話してもらいたいのだが、やはり半分くらい残ってしまう。しかし、感謝と喜びに満ちた、よいミーティングだった。意欲と正直さと開かれた心があれば回復できるのである。
終了後数人でお茶。話は尽きないが、きょうはここまで。この連休中ノンストップな感じ。予定はすべて与えられている。
深夜ある仲間からのメールで忌野清志郎が亡くなったと一報あり。58歳は早すぎる。合掌。ぼくの青春のページがひとつ終わった。
高校生のときにアルバム「Blue」を聞いてから人生が変化した。トランジスタラジオや雨上がりの夜空にを聞いて、熱狂した。大学生のときのバンド活動もキヨシローのコピーが中心だったのである。ぼくが就職したのは1990年だが、このときに出た「I like you」や翌年以後の「メンフィス」「Go Go 2,3's」と快調だった。ぼくが渋谷でフォークゲリラを展開した四年間も、キヨシローの曲がほとんどだった。
昨日自転車を買って成増から自宅に戻るときも、鼻歌で「サイクリングブルース」をハミングしながら帰っていたというのに、なんということだろう。この自転車はキヨシローの生まれ変わりかもしれない。
どこにいってもこの話題で持ちきりである。キヨシローの音楽はわれわれの記憶に残り続けるだろう。
西友成増店でシティサイクル購入。7980円。また安物だが今度は日本製だ。26インチなので10インチアップである。車輪が大きい。よく進む。ペダルを踏めば踏むほど前に進む(当たり前かw)。小径車はあんまり進まなかったので。
防犯登録の所轄警察が高島平警察である。都内も端の端。どうせなら埼玉まで渡って買えば戸田とか和光になっていたかもしれない。
機能面でいうと、ダイナモライトが明るくて衝撃的。いままで100円ショップの電池ライトを使っていたが、もう電力は車輪が作ってくれる。単純にうれしい。前にかごもある。ずっと忘れていたような気がするが、これが自転車なんだなあ、と実感。
ミーティングのテーマが「しあわせ」。各人各様の話が飛び出す。物質的なものをあまり求めていないという話がたくさん出る。ほんとなのか、みんな。ぼくはうまいものが食えて、きれいなねーちゃんがそばにいると、しあわせだけどね。まあとてもわかりやすい幸福感かもしれない。
人生が変化し始めたのは十数年前からなのだが、やはりあとからあとからいろんなものが、ついてきたのかもしれない。仲間や時間、仕事や達成、みんな大切なものである。
放送大学でも総合科目で「幸福の社会理論」を選択してみた。第四回は儀礼や呪術のあたりの話。生と死が密接にかかわっている。死ぬ人の表情についても最近よく周りで話題になる。納棺夫日記でも「ひかり」の話が出ていた。不可思議光はほんとうにあるんだろうか。
バイクを直し、自転車を捨て、通勤電車も使わないGWに突入。バイクは駐輪場が確保できないと動けないのと、仲間と駅まで歩いて分かち合えないのが難点である。神経使うから疲れているときは危ないしね。雨や風にも弱い。いっそ車にしたら……とも時々思うが、ますます駐車場のこととか経費のことを思うとそんなに気になれない。
野方や高円寺に出るにはバスが早い。ときわ台→高円寺で20分かからない。ただ、夜の本数が少なく30分待ちなんてことがある。日祝日は21:35発で終わっちゃうしね。
小回りがきいて適当にとめられるし、盗難やいたずらに遭っても大して困らない自転車がいちばん気楽かもしれない。手元からなくなって思う今日この頃。
憲法学習の二日目、天気がいいので多摩学習センター(小平)までバイクで行こうとしてみたら、キースイッチが入らない。バッテリーも充電されてるし、メインヒューズも問題ない。テスターも持ってないのでバイクショップに預けて、見てもらう。イグニッションパネルの故障。接点が腐っていたとのこと。中古はこれだからなあ。
直してもらって8,925円。部品4000円、工賃5000円といったところか。修理のたびにじゃんじゃんお金が出て行く。実家の父はバイクや車を「鉄の金食い箱」と呼んでいた。たしかに経費のかかる遊びである。
そうぼくのバイクは遊びなのだ。危険な遊びだよなあ。保険かければよいというものではない。事故のないように運転したいです。
組合活動の一環ではなく、放送大学の面接授業で憲法の講義を二日間聞く。論点は主に第九条。不戦宣言と非武装である。
軍備のない国は世界にも27か国あるらしい。しかしほとんどが太平洋に浮かぶ小国や、バチカンやモナコなど。日本のように一億人も人口のある大国が軍を持っていないのは常識はずれらしい。殴られても殴り返さない国という認識である。まあ日米安保があるから、攻撃を受けたらアメリカが戦ってくれるという話である。やはり聞けば聞くほど、そんなんでいいのかと思ってしまう。
第一次大戦、第二次大戦から敗戦に至り、平和憲法を持つに至った経緯も客観的に聞いた。マッカーサーの押し付けというステレオタイプな見方も、実はいろいろ論議があるようで、日本の政治家(芦田均、岸信介ら)がかかわっているということも知った。単純に、護憲・改憲の対立議論でもないようだ。
改憲への世論の盛り上がりがまだまだで、自民党は改憲させたいようだが今一歩とのことである。金正日が新潟にミサイルを撃ち込めば、たぶんすぐに日本は憲法改正して、自衛戦争OKの気運が高まるだろう。田母神論文も一挙に受け入れられる土壌になるかも。
先日理事長が話題にしていた「おくりびと」を見て、きょうは講師のかたが脚本を書いたという「ニセ札」を見る。
映画をわざわざ劇場に行って見るということに、以前は抵抗もあったのだ。ビデオやDVDになってから自宅で見るほうが合理的な気もするのだが、見に行くということは、時間や労力をかけるという点において、大きな意味があるのである。メッセージ活動にも通じるものがある。エヴァンゲリオン「まごころを君に」を見たときもそれは感じたからなあ。
おくりびとを見てから当然のように「納棺夫日記」を読んだし、葬祭関連の広告やそういう職業について見る目が変わったように思う。
ニセ札については時代状況は違うが、敗戦間もない時期が時代設定だったこともあり、生活の切実さということでは心に残るものがあった。
それにしても倍賞美津子の加齢ぶり! ちょっとショックだったかも。