あと授業もほんの少しだ。自分がやっている授業も、受けている側の授業も。ぼくにはまだまだたくさんやることがあるという感じがする。寝る時間がとても貴重。
ここ数日、ネットなどの天気予報やニュースでは「大雨洪水警報」だの「局地的豪雨」だのと警告され、降水確率も50〜70%で推移していた。厳重に靴も変え、自転車はなるべく手放し、大型のこうもり傘を携えて暑い中汗をかきながら仕事に行くのだが、まったく雨が降らない。たしかにYahoo!天気などで雨雲の動きを見てみると、東京都心部だけ見事に雨雲をすり抜けている。逆に外されてずぶ濡れになってしまうよりはまだマシなのだが、傘が毎日重荷である。
生まれて初めて沖縄に行った。あらかじめ刷り込まれていたあらゆるイメージ、たとえば熱帯の蒸し暑さ、激しく繰り広げられる左翼運動、草むらから飛び出してくる獰猛なハブやマムシ、傍若無人な米兵たち、など。これらはすべて想像上の産物であった。沖縄といっても、ただ単にちょっと暑い日本の土地であった。
しかしながら、町並みはやはり少し違っていた。一戸一戸にシーサーがいたり同じく魔除けの「石敢當」があった。田舎の山の中腹には巨大な墓地がある。観光地ではあるがしっかりと歴史の刻まれた首里の城跡。平和記念公園に残った戦没者碑は圧巻だった。ここは地上戦の行なわれたところだったのだ。
仲間との分かち合いはいつもの通り。九州のメンバーもそうだが、むしろ関東のメンバーが多かった印象である。観光と保養に専念できた気がする。帰りの航空機が大幅に遅れて航空会社にクレームをつける場面もあったが、総じて楽しい四日間だった。
今年の冬に買った投資用マンションが来月空室になりそうとの連絡が仲介業者より入った。ときわ台の物件である。所得税や管理手数料の節減のためにも、自分が引っ越して入居してしまうか。今のところにはもう五年になるし。引越の多いぼくにしては割と長く住んだほうだったと思う。
今学期の授業や試験がすべて終わったところで新展開というのもいいかもしれない。
生まれて初めてのフランス語だ。放送大学の面接授業で受講。簡単な日常会話の練習が続く。ジュマペールとか、ジュスイとか、ブゼットとか、初めて聞く言葉の乱立だ。学生のときは第二外国語にドイツ語を選択したので、まったく勝手が違う。読まない子音が大杉栄(笑)。それにしても新鮮な驚きの連続である。
いろんな文化の違いも先生から聞かされる。法定の労働条件の差には愕然とした(法定有給休暇が年五週間とか……)。ここまで労働者が守られているなら、赤化の必要はもはやないかもね。その代わり消費税20%らしい。進歩の国は違うなあ。でも国王や王妃をギロチンにかけて、命がけで国内改革を勝ち取った国なのだと思う。
言語を学ぶだけでも、いろんな社会の差を見せつけられるのだった。
関東も梅雨入りした。雨続きである。仕事は農業ではないので、耕すわけではないが、晴れれば働き、雨なら勉励し、というように生きていきたい。最近あまり休日に積極的に遠くまで出かけることがなくなったが、今月くらいからまた少しずつ予定が入っている。群馬での勉強。初の沖縄。七月は試験もあるし。
読みたかった本もだいたい読んだ。図書館で本を借りることはすこし差し控えている。義務になると途端に面白さが半減するからだ。読み終わった本をアマゾンで売りまくる。ブックオフよりはるかに高く売れる。もちろん梱包や発送の手間はかかるが、個別に発送していることなのでたぶん大切に読んでいただけるのではないか、と期待もできる。
最近「蟹工船」が一大ブームらしい。虐げられた労働者が多くなってきたからであろう。左が盛り上がる時代が、目の前まで来ているのかもしれない。
いろいろあって忙しかったが、なんとかピークを越えた気がする。何がどうしたというわけではないのだが、直感的にそんな感じなのである。いよいよ六月にも入ったことだし、ついでに梅雨入りしたみたいだし、しばらく祝日はないし、なんか絶望的なくらい仕事どっぷり(笑)。だからなんか諦められたというか、楽になるのはそういうときである。あきらめる=明ら・める、ということらしく、自分の分相応な能力までで、天井をついて、「もはやここまで」と知るわけなのだ。
そうなっちゃえばあとは楽だね。どうせいつかは死ぬ、とか、ずっと贅沢しても多分金は使いきれない、とか、そう考えるとこの世はなぜかパラダイスである。うーん、逆説的だなぁ。でも吹っ切れるときってだいたいそんな感じなのだ。先月新目白通りでバイクの事故を見てしまってから、ちょっとまた人生観変化したかも。あと、いろいろ諦念の材料が一杯あるしね。諦めきったところで、つぎはもう笑うしかない、ていうか。
ここんとこずっと、仕事、ミーティング、プログラム、組合活動、勉強、で、あと体力なにも残ってない感じ。これがちょうど「過不足ない」感じでいいんだと思う。お金使う暇がないしね。あーなんか、評議員だった5,6年前に似てるねすごく。寝る前の一時間くらいに、一日のすべてのパワーが消耗できて、バッテリーがちょうどなくなるような感覚。
もちろんやんなきゃいけないことは山積してるんだけど、あいた日にやるしかないね。でもあいた日には寝て過ごしたりしちゃうんだなこれが。でもそれでちょうどいいのかも。
仲間の色紙を持ってこの一週間、王子、要町、中野、月島、原宿と、ふだんあまりコースに入っていない会場を巡回した。久しぶりに会った仲間も多い。やり直している仲間の姿は、身につまされるメッセージである。
最近、仕事もまあまあ楽しいと思う日々。やることがあるというのは、いいことなのである。ただ、自分のコントロールの及ぶ範囲でということではあるが。きょうなんか残業しちゃったもんね。残業代はすでにつかないのだが、こんなのはぼくには年に一回か二回。労働運動活動家はそう簡単に時間外労働などしないのである。さらにサービス残業などもってのほかなのだ。
きょうは仕事が済んでから中野へ。仲間の色紙を持って歩くと、毎週のベースがどこにあるのかということを改めて感じさせられる。決めたところを回ったほうがいいと他の人にはアドバイスしておきながら、果たして自分はどうなのか……が問われている気がする。火曜はベースが決まっていない。中野や八幡山が比較的多かったと思うが、その都度変えているのである。