そう、忙殺されて流されているときによく思うことだが、きょうやるべきことは今日やろう!ということである。また今度、もいいのだが、あれが残っている、これが残っている、と思うとそれを記憶していなくてはいけないストレスによって、頭の回転が鈍ってくるように思う。忘れても大したことないような事柄ならいいのだが、大切なことならさっさとやってしまおう。政治的な思惑などがあって納期を早めてはいけないようなことなら、先にやっておいて、ただ単に納めるのを遅らせればいいだけのことである。
逆にいうと、明日以降にやるべきことであれば、先回しして今日やらない。きりがないからである。早く終わって余裕ができたら、素直に喜びゆっくり休もう。あるいは余った時間で好きなことをやったり、ヒマなときに死ぬほどできていた「昼寝」とか、久々にやってもいいかもしれない。
放送大学の入学式だった。実は二度目。こないだ書いたっけか……。14年前に入学してたんだが、中退っていうか休学してて、今年突如4年次に復活。最短あと一年で卒業なんだが、たらたらやってけば六年くらいいられるらしい。あー勉強したい、っていうのが本音。卒業まで40単位くらいなんだけど、わざと必修・専門残しつつ、しばらくいようかななんて。ドイツ語とかフランス語とか、その辺の街の語学学校行ったら、どれだけ月謝取られるかわかんないもんね。
というわけで、ちょうどタイミングよくテアトル新宿で「実録・連合赤軍〜あさま山荘への道」が上映されているので見に行った。
感想・壮絶だった。とくに山岳ベースでのリンチ。えんえんとこれでもかってくらい。フィクションならまだしも、これくらいのバイオレンスはありがちな展開だが、これみんな実話だと思うと背筋が震えるよ。気絶するまで殴られたり、凍死するまで縛られてたり、むしろ拷問だね。
前半の記録映像は、社学同とか全学連とかの安保闘争や大学紛争の場面だった。大衆運動のところは確かにシンパシーを感じたが、後半は暴力であった。
ラスト数十分の山荘に立てこもるところは、それでも人道的に思えたよ。リンチの主導者だった森や永田に比べて、山荘での坂口の言動は理にかなっていたように思う。(そのように監督が描写したからなのかもしれないが)
共産主義化も軍隊的になってくるとこうなるということを示したものなのかもしれない。もう何十年も経っていることではあるが、中国だって文化大革命を実現したわけだし、日本でもそういうことは起こりうるわけだ。まあアメリカが黙って見ているわけではないとは思うけど。
ぼくは労働組合の活動をしているのだが、きのう、ある大きな集会で次々と活動家が挨拶をしているのを聞いていて、はたと「自分は左翼活動をしているのだ」といまさらながら強く気がついた。無自覚だったわけでもないし、戦争に賛成したつもりもない。でも労働運動が左翼の一翼を担っていることについて、深く考えてこなかったように思う。
昨日の集会では、国労執行委員長や、共産党、社民党、民社党の国会議員、そしてとどめを刺されたのは、あの有名な女傑、辛淑玉さんが講演をしたのだ。話はとても過激だった。昭和40年代の「世界同時革命」が待望されていた空気がよくわかった気がする。
実家の両親は昭和40年代のいろいろな事件、たとえばあさま山荘・日本赤軍テルアビブ空港乱射事件・よど号ハイジャックの話題が出るたびに「バカだよねぇ」とよくつぶやいていた。でも父は労働者の味方である日本社会党にいつも投票していたし、かなり長いことわが家の新聞は朝日新聞だった。
ぼくは選挙権が与えられた最初の参議院選挙では日本社会党に投票した。ちょうど中曽根首相の総評解体、国労つぶしの時期だった。その反動で土井たか子の委員長就任、マドンナブーム、社会党の圧勝があった。平成元年である。一方で赤尾敏の辻演説にも興味があった。アメリカが嫌いだっただけかもしれない。中曽根康弘は見た目はかっこいいと思っていた。国鉄分割民営化にそんな裏の意味があるなんて知らなかったのだ。
その後自民党が野党に下り、細川首相の大連立。ぼくが組合活動を始めたのはこの頃だ。あまり右とか左とかよくわからなかったのだけれど、単に労務担当の役職者とそりが合わず、反抗していたのだ。そこに分会のオルグが入ってきた。当然ながら組合加入。
それからずっとまあいろんなことがあったのだが、現在は分会長に至っている。そのうちここにも経緯を明らかに書くかもしれない。後戻りはできない気がする。
三月後半、毎日朝6:00からの放送大学授業を視聴していた。体のリズムは朝方になり、非常に爽快なのだが、夜その分早く眠れるとは限らない。当然これまでどおりミーティングにも行くし、仲間とお茶を飲んで帰ってくることもある。じわじわ睡眠不足が続いていた。しかし、今日は朝から何も予定がなく、いつも通り6:00からの中国文学講座を聞いてから、午前中は睡眠。12:00すぎまで寝てしまった。でもご飯の回数が減るのはあまりよくない気がする。勉強もいいが、健康第一としたい。
先日書いたとおり、二軒目の購入日。○○○万円を現金支払い。前回の東村山の物件より高い上、今回は手付けもなしで一括だった。年収より100万円くらい高い金額である。オーナーチェンジなので、やはり生活は何も変わらない。でもこれでさすがに預金残高はかなり少なくなった。現金預金、定期預金、個人年金積立、共済積立金など、含み資産はいくらかあるのだが、どれも実質利回りは1〜2%である。不動産に回しておくと、年利10%以上で回るのだから、断然有利と思っての運用だ。有価証券類に手出しして痛い目にあったのは、実は貴重な経験になったのかもしれない。
全労済から共済の更新通知が来たので気がついた。今月末で二輪免許取得から、まる一年である。CBX125は乗りやすい。でもちょっとまだ寒い季節。彼岸を過ぎて、そろそろ春の木の芽時である。日中なら気持ちよく走れるようになってきた。気温10度を切らなくなったら、夜の外出にも復活したいところ。バッテリーはときどき充電したりして、まだ何とか持っている。二万円の純正バッテリーは買わなくて正解だった。
次はやはり自動車生活かなとか思っている。都内では車は維持費がかかりすぎるのだ。駐車場のために月三万円もかけられない。都下のマンションの賃借人が引っ越したら、自分がそこに住む予定。そしたらライフスタイルが変化するかも。そして車を買って、多摩の人となるのだろうか。
そうそう、二軒目の投資マンションを購入予定。今度は板橋だ。23区なのでそれなりの家賃が入ってくるだろう。
でも自分はまだ賃貸に住んでいるのがなんかもどかしい。あまり深く考えずにこの一月に契約更新してしまったし。でも新宿区内で管理費込み月六万円は相場よりはるかに安いよ。駅から徒歩三分だし。便利さはお金で買えるのである。
最近はいろんなことが一つの線でつながってきている気がしている。お金も時間も人間関係も、自分の気づくはるか以前から、こうして準備されてきていたのだという感じ。われわれは幸せになれる権利があるのだ。
17日、18日と、依頼されて連続してミーティングの司会をさせてもらった。毎度気になるのは、全員回したいところ。それだけはいつも祈るのだが、そうなるとは限らない。時間の配慮ができない人が必ず何人かいるのである。全員回らなくてもいいという考え方もあるようだが、ぼくはそうは思わない。平等に、とまでは思わないまでも、何人かが独占していいという気はしないのである。人数が少ないにもかかわらず回りきらないときには、とてもやりきれない思いがする。でもまあ自己中心が主症状の病気なのだから、当たり前ととらえてもいいのかもしれないが。
職場学校の卒業式であった。年々学生は減っている。しかし、きちんと最後までやり遂げた皆さんのラストセレモニーである。新宿京王プラザ。一流のホテルで一日過ごすのは何かセレブになったような錯覚がして気持ちいい。あのじゅうたんとか照明がよいのかなあとか、いろいろ考えてしまう。貧乏グセが子どもの頃からしっかり身についているので、そろそろ直したいところだ。
アルコールの出る席は原則欠席なので、毎度パーティーは中座している。昼間飲むと、けっこう回るんだよね。危険な場所からは離れて、隣の都庁食堂で、ひとり遅い昼食。あっさりと今日も一日が終わる。
貧乏グセから脱するために、投機以外のいろんなマネー書を読んでいるのだけれど、財布に金をかけたほうが良いとどの本にも書いてある。あまり意識をしていなかったが、ぼくの使っている財布は、小銭入れがTDKのPCカードのおまけ(タダ)、札入れがラッフルで当たった布袋(これもタダ)。タダ尽くしである。過去も思い返してみるに、もらい物の財布を何年も使っては捨て、をくり返していた。ここで意を決して、ちゃんとした財布を買いに出かけたのだが、デパートで売ってるようなものはみんな高い。1万円〜2万円。シャネルやブルガリの品をみたら、なんと9万円! タダから9万円はいくらなんでも飛び過ぎだ。それでも1〜2万円で、大して価値のあるように思えない、バーバリーやKENZOの財布を買うべきなのだろうか。価値がないと思っているあたり、貧乏グセなのかもしれない。うーん、決断できないままである。
そこで、母校のブランドショップに行ってみた。これなら買ってよかったと思うかも、という期待。本郷の赤門入ってすぐ横にコミュニケーションセンターというのがあって、小物を売っているのである。革財布見たら1万5千円前後。店員さんに聞いてみたら「銀座の和光で特注なんですよ、名入れもしますよ」と、きれいなお姉さんが微笑む。信用してもよさそうだ。ということで注文。名入れに一ヶ月かかるそうだ。しかも有料。でも貧乏グセを直す投資と思うことにする。先払いで17,650円。品物が来る一ヵ月後をじっくり待とう。