ぼくは労働組合の活動をしているのだが、きのう、ある大きな集会で次々と活動家が挨拶をしているのを聞いていて、はたと「自分は左翼活動をしているのだ」といまさらながら強く気がついた。無自覚だったわけでもないし、戦争に賛成したつもりもない。でも労働運動が左翼の一翼を担っていることについて、深く考えてこなかったように思う。
昨日の集会では、国労執行委員長や、共産党、社民党、民社党の国会議員、そしてとどめを刺されたのは、あの有名な女傑、辛淑玉さんが講演をしたのだ。話はとても過激だった。昭和40年代の「世界同時革命」が待望されていた空気がよくわかった気がする。
実家の両親は昭和40年代のいろいろな事件、たとえばあさま山荘・日本赤軍テルアビブ空港乱射事件・よど号ハイジャックの話題が出るたびに「バカだよねぇ」とよくつぶやいていた。でも父は労働者の味方である日本社会党にいつも投票していたし、かなり長いことわが家の新聞は朝日新聞だった。
ぼくは選挙権が与えられた最初の参議院選挙では日本社会党に投票した。ちょうど中曽根首相の総評解体、国労つぶしの時期だった。その反動で土井たか子の委員長就任、マドンナブーム、社会党の圧勝があった。平成元年である。一方で赤尾敏の辻演説にも興味があった。アメリカが嫌いだっただけかもしれない。中曽根康弘は見た目はかっこいいと思っていた。国鉄分割民営化にそんな裏の意味があるなんて知らなかったのだ。
その後自民党が野党に下り、細川首相の大連立。ぼくが組合活動を始めたのはこの頃だ。あまり右とか左とかよくわからなかったのだけれど、単に労務担当の役職者とそりが合わず、反抗していたのだ。そこに分会のオルグが入ってきた。当然ながら組合加入。
それからずっとまあいろんなことがあったのだが、現在は分会長に至っている。そのうちここにも経緯を明らかに書くかもしれない。後戻りはできない気がする。