来週バイクで、埼玉の嵐山への遠乗りを計画しているのだが、きょうは予行演習のつもりで川越まで行ってみた。地図で見ると嵐山のちょうど半分くらいである。国道254を一直線である。
土曜の午後のせいか、ゆきはやたらに渋滞していた。走ったりとまったりがあわただしい。ミッション練習に最適である。そういや教習所では「渋滞」練習とか「信号先頭」練習とかはやらないね。これらこそ実践に役立つというか必修にしてよいようなケースである。ぜひ検討して欲しい。上り坂の渋滞なんて、マニュアルクラッチバイクには、熟練が必要だよ。
渋滞していたが都内からゆきは約2時間、帰りは空いてて1時間半であった。これなら嵐山までは3〜4時間程度で行けそうだ。中型なら高速を使う手もあるが、125ccなのでその選択肢はなし。天気と風さえ厳しくなければ、何とかなりそうだ。
川越のミーティングは、古いメンバーがいて存在感が大きかった。この会場初めてです、と言ったら、ワンデーメダルはもらった?などと聞かれ、ちょっと考えて「あー、もちろんもらっています」と答えてみる。ふつうこういう時って「いえ、もう十何年ソーバーいただいてます」とか、はっきり言うのがいいのでしょうか。おしえて、エロい人。
2004年より業務日が大幅に減って週3日の出勤になったのだが、他の曜日に日当のない労働組合活動があるので、ぼくの一週間は実質3.5〜4.5日くらいの仕事があることになる。それでもフルタイム労働者に比べたら自由のきく部分はあるのだが、いろいろと有事の際には土日も使うし「副業」(これも賃金はない)で仲間と遠征したりするし、けっこう忙しくなるのである。今週はほぼフルタイムに近い一週間であった。しかしいろんなことに整理がついてきた。収まるところに収まるのだろうし、それは自分の計画というよりも、天にいる方の計画に沿って進んでいるのだと思う。そういった考え方があるというのにはほんとうに救われる。コントロールの及ばないことについてはお任せするしかない。ただし、自分のできることを放棄してよいという意味ではないので、そこが難しいところである。
心も体も目一杯であったが、この土日で少しエンジンを暖気して、また来週に備えよう。
きょうはちょっと気持ちに余裕があったが、なお時間的スケジュールはびっしりなままである。CBX125が気持ちいい。今度また画像でもアップします。ナンバーはキリ版になった(xx00)。00で終わるなんて百人に一人だよ。黄色からピンクになって昇格したというかんじ。
やっと仕事が中休みになると思いきや、明日は朝から晩まで労組の活動でびっしりである。サービス活動がちょっとお休み状態。でもまあ流れはきっとらせん状に上昇するだろう。いつだってそうだったし。
きょうはツカえていたことを少し抜かせてもらい、テーマそっちのけで話をさせてもらった。そしたら後のみんな、なぜか話が長いんだ。自分に責任あるような気がしてくる。でもあんまりほんとは関係ないんだよね。
日々、いろんなことを進行しているわけだが、自分のなすべきことがたっぷりある。あっという間に時間が流れ、あっという間に夜になる。なすべきことは全部は終わっていないが、それでもぼくは十分働いたと思う。こういうのをいわゆる「幸福」と呼ぶのかもしれない。
夜は仲間とともに十数年前を振り返る時間も確保できている。なんかきょうはその道31年のメンバーからチョコレートもらっちゃったりするし、東中野の日本閣横の地獄の傾斜で、エンストせずに坂道発進に成功もした。少し難を言えば、最近外食が松屋ばかりだ。たまには五百円以上のものが食いたいね。
小さなことに満足できると、水準が下がるようで、穏やかで緩やかな一日がとてもうれしい。ちょっとしたことで笑いたくなるし、そうなってくるともうこれは神様の計画か??みたいに思えてくる。やるべきことの数々が「与えられている」と感じられるし、もう人を裁く必要もなくなってくる。自分が幸せだからだ。そうするとどんどん幸せの循環が始まっていくようだ。
五月後半から猛烈に忙しい日が続き、体を休めるべき休日も風邪で寝込んでいたりしたので、けっきょく何の隙間もなく時間だけが過ぎ去っていく。無為無策ではなかったのだが、パンチを受けまくり、思うような対応もできずに無力感と共に週末を迎えた。まあ自分のできることはやっているわけだし、こんなときに仲間の手助けというのも次元が違う気もするのだが、それでも教科書に書いてある通り「何もかもうまくいかないときにでも、この方法(他の仲間を助けること)はあなた自身の役に立つ」だっけ? 本当にそのようなのである。
ホンダのCBX125カスタムに決めた。ネット時代は情報の質とすばやさで即決できる。ショップで実物も見て、現金払いをした。今度はせめて年単位で乗りたい。標識をまた取り直して、保険手続きである。実車が確保できたところで、梅雨入りかい。タイミング悪いが、これも神様の計画である。三月の免許取得以来、神様の計画はでこぼこ道だが、それでも前に進めているようなので、これはこれでよしとしよう。
調査、会議、ビラ、団交、の四つである。これらなしに運動はありえない。そして、組合員の団結がどこまでできるかがカギである。
あっという間の一週間だった。何が起きたかさえ憶えていないような、感覚にとらわれる。自分の時間があまりない感じ。
でもいいこともあったし、ややこしいこともあったし、生きているという感じはしている。無力や有力を交互に感じながら。
こんなタイミングでよいことも悪いことも次々と降りかかってくる。うーん、ミーティングで話すべきだったか……。乗り切れているのでよしとするか。
金・土と二日ほど寝込んでいた。でもすこし復活。ここにいろいろ書けないくらい、五月後半は怒涛のようだったよ。そして六月に入り、またいろいろ勃発する予感。
あー、バイクは早くも廃車としました。スプロケット全磨耗。チェーンベルト疲弊。スポークばらばら。バイク歴30年超の修理屋のおじさんが「こんなの怖くて乗れない」と溜め息をついたほど。乗り続けていたら死ぬ予感がしたので、処分しました。現在125ccを物色中。安物買いのゼニ失いだった経験。
今週もよく働き、よく食べ、よく仲間と過ごした。生きているという感じがする。きょうなんて自転車で高円寺まで行っちゃったもんね。明日は丸々一日休めそうである。残念ながらバイクは一週間以上修理中であるが。
働くことでいろいろと助かっているのかもしれないと思うことがよくある。助け合いかもね。
振込みではない。振り込まれている。すごいねー。ブルジョワだ>自分。遠隔地のマンションのオーナーチェンジで、晴れてサラリーマン大家となったのである。昨日、初めての家賃が振り込まれた。まだ経費の回収段階に過ぎないのだが、たとえわずかな額でも、働いてもいないのに「数万円」が口座に振り込まれているのはうれしい。
株や為替みたいに余計な工夫をしなくても、ずっと振り込まれ続けるのだ。あー安心。最初っからこうしておけばよかったね。