少しずつ、どう振舞えばいいのかとか、ここで何を言えばいいのかとか、自然に気がつくようになってきた。それには、この一年少々の経験と、対話したメンバーとのやりとり、苦楽を味わったことが、非常に大きく作用しているように思う。
そして、言ったことは、確実に実行していかなくてはいけないと、思うようになってきた。信頼されているという感じもつかめてきた。そのあたりがとてもうれしい。
最近、文化的欲求などが高まっているかも。各種欲求、同時拡大か??
鷲田小彌太やレヴィストロースなどを読む。ついでに渡部昇一とか、微積分の雑学とか。図書館に入りびたりであった。借りてきてしまうと「読書しなければ」の観念が、生活を侵食してしまうので、その場で読んで本棚に返した。それが一番である。
地理や歴史も、久しぶりにめくってみると面白い。とくに自分は狭小な視野に固定しやすいタイプなので、まったく自分の専門に関係ないものを探して回ると、とくに刺激が高まるようである。北海道に支庁があんなにたくさんあるなんて知らなかったよ。サハリンに鉄道が走っているなんてことも、知らなかったです。
しつこく続ける。
ちなみに、昨夜のタイトル「選択本願念仏集」は、法然上人のほうの著書であるので、念のため。
親鸞聖人のほうの思想は「善人なほもて往生を遂ぐ。いはんや悪人をや」というのが有名だね。悪人正機説である。しかしながらこれは悪事を勧める造悪論ではない。善人は、善行をしようという計らいがあるから、自力の高慢に陥りやすいということである。たいてい善いことをしているときというのは、調子に乗りやすい。それどころか、善いことをしていない人を裁いたり、善いことをするように命令したりする始末。それがおかしいと親鸞聖人は申されていたようだ。
われわれの為そうとする善悪など、地上の芥子粒のような範囲の、ちっぽけな善悪である。それに比べると「阿弥陀仏の本願」は大きな慈悲である。阿弥陀仏は、われわれ人間が考えることすらできないほど、大きなふところをもった、一切衆生を救ってくれる存在である。
3月に、父親と京都の(西)本願寺に行くことになった。今から少し楽しみなのである。
同名のタイトルで、今も元気なおじさんロッカー・忌野清志郎のエッセイがあった。あるいは、「日々の泡」という小説もある。こちらは、たしか肺気腫か何かの恋人の余生と、ともに生きるような話だった。
ともかく、日々の泡立ち。あぶく銭を稼いでいるのではないけれども、欲望と、名声や名誉、そして、いろいろな損得勘定を天秤にかけながら、わたしは生きているのである。敢えてやはりここでは「人々は…」などとは言うまい。自分のことで精一杯という自覚を持って生きたい。
吉本隆明の「今を生きる親鸞」を図書館から借りて、一週間くらい少しずつ読んでいる。煩悩具足である。何もできない庶民であっても、念仏だけで救われるというのは、すばらしい思想である。ところで、念仏は、週に何回くらいしたらよいのでしょうか。多ければ多いほどいいのでしょうか。それとも量より質ですか。軌道修正ですか。念仏できない、のどの病気の人は救われないのでしょうか。仲間と喫茶店に行くことで念仏代わりにしている人は?? それとも定期的に念仏すればいいですか。汲めども尽きぬ、疑問の数々。
よいことを自力でしようとしたら「自力作善」という高慢になる。結局みんな阿弥陀仏まかせという感じがする。でもそれは、寝て待っていればよいというわけではないようだ。念仏は必要なようである。
熱中時代に出ていた、あのお姉さんだ。ずいぶんとお姉さんだと思っていたが、実はわたしと7歳しか違わないらしい。7歳「も」か。(ここらへんわたしの感覚はおかしいらしいので、あえて正当化すまい。よく「キヨシさんストライクゾーン広すぎ」と言われる。)。
というのは、昨年末に「Active」という写真集が出ていたらしいのだ。これもまた奇遇なことに芸能生活30周年と銘打っている。ナンノに続き、あなたもかよ。Amazonとかで調べてみると「大胆グラマラスショット」なんていうキャッチコピーすら帯に踊っているし。あー、悩まし杉。
朝、目を覚まし、電車に乗って仕事に行く。すぐに授業時間。教室に行って、学生のみなさんとともに数時間。昼食、そして、また仕事。終わると労働組合。飲みに行く人たちと別れ、仲間とのミーティングへ。帰宅。だいたい21:00〜22:00。ネット少しやり、急ぎの仕事を少々片付け、眠るまで。
ずっとこの繰り返しだったし、これからもそうであろう。
最近は仕事のない日も平日にあるし、週に一回くらいはミーティングに行かない日もある。しかし、その分はサービスで埋められているから、大差はない。とにかくやっぱり、たくさんの人たちに支えられているという感じがする。
飛び上がったようなことは、何もする必要はないのだった。自然と与えられるものだ。
今年最終。ちょっとした星のめぐり合わせで、司会をさせてもらうことになった。伝統12。読み合わせで30分。分かち合い1時間。あまり長話せず、とにかく、みんなにしゃべってもらおうと努力。
ふだんあまり来ない人とかも、たくさん来ていた。年末進行である。
西武線の定期券も今日で期限切れ。六ヶ月定期で磁気券なので、かなり疲弊している。よく働いてもらった。
今は休暇期間なので、比較的よく動くからJRの定期券も一ヶ月買っている。これが一般の人とは逆なところなのだろうが、仕事が始まるまではこのJRの定期だけで過ごすつもり。
仲間の招請を受けて、メッセージの分かち合いなのだった。まあ、オープンスピーカーのようなものだったが。新幹線より飛行機のほうが安いので、往復とも伊丹空港利用。今回は役割は紹介されこそすれ、役割上行ったわけではないので全額自費負担である。それもなにかとても気楽である要因だった。まったく役割の話はしなくて済んだし。
帰りに羽田で夕飯。オムライスを食べたのだが、セルフサービスで、誰も掃除をしてないみたいで、食べ物が床にぼろぼろ散らかっている。すごく汚い。王将並み。これでオムライス700円は高いね。関西でお好み焼きでも食べてきたほうがよかったな。
年内はもう遠出はなさそう。体の調子を整えていきたい。