いっしょに春の夜の雨の中、小滝橋から大久保通りまで歩いた。でも気温が一時期よりだいぶ上がっている。桜ももうすぐだなぁ。
きょうは生きているという感じがしたよ。ミーティングも行けなくなりそうだったが、神様の配慮か、結果的に行けた。地獄に落ちずに済みそうである。仲間の話がここ数日、ぐんぐん入ってくる。不思議だ。
きょうは一日、労働組合のことで本当に忙しかった。でもそのことをここに書く必要がない。霊的なことと、物質的なことは別なのだ。わたしはこころの中で起きることに集中していれば良い。そして、できないことは明日に回す。回すしかないからだ。睡眠時間を削ってまでするような「大切な」ことは何もない。
みんな仲間が教えてくれて、みんな仲間が見せてくれる。そして助けてくれる。信じるというのはこういうことだね。
きのうの文章は読み返してみると、まるで「今日を新たに」である。なんかセンセー臭くていかん。真情ではあってもね。
というわけで、平日に戻り、地に足をつける。やるべきことが山積みなのだが、労働時間中はできないのだ。よくもまあたくさんの時間を、労働契約において売り渡しているものだと思う。期間の定めのない雇用なので当然なのだが。ただただ受け入れるのみ。そして定時でさっと出る。きょうは退社時刻が全職員中でトップであった。自分がタイムカードの「出」を「退」に切替えるボタンを押すのである。
業務命令のない、真棉で首を締められるような「雰囲気残業」を八年間に渡ってやらされ続けて来たわたしとしては、いまの職域に変わってからは、命令のない時間外労働は一切していない。ここでも恨みながら生きているなぁ>自分。
帰りに東池袋まで歩いた。雑司ヶ谷霊園の中をつき抜ける。最近、よく斎場や霊園のそばを歩いている。代々幡斎場・堀之内・そして今日の南池袋。斎場とか霊園というともっともらしく格調ありげだが、早い話が火葬場だ。ヤキバ。アキバとはちゃうで。ヤキバ。死の香り。
でもなぜか心落ち着くのだ。静かだからかも。通勤で使っている東西線落合駅も斎場のすぐそばだしなぁ。そして昨日気づいたのだが、過去、送電線のすぐそばに住んでいることが、すくなくとも二度はあった。大電流の真下で暮らしていたのである。そういえば発電所でも暮らしていた。霊気と電気の中の過去だったのか。
最近のわたしには、一ヵ月の中でもっとも楽しみな日だ。地域委員会。平日と同じ時間に起きて、支度をし、地下鉄に乗って月島に向かう。
いま、現に、サービスをするために時間と労力を使っている仲間たちと一緒に話し合う。これなのだ。このためにいまは生きている。内容など実はどうでもいいのである。仲間と共同でいろんなことを行う。そしてそれが平等という感じ。ここに死にかけの執事はいない。
午後も小一時間打合せをしてから喫茶店へ。そして自分の話もじっくり聞いてもらう。わたしは良く生きていきたい。そのためならなんでもする。不当に評価されていることもある。でもサービスは他のレガシーと同じく、奇跡をもたらすのだ。だからやっていきたい。自分のできる限り。障害になるようなものは取り除いていくよりほかない。
夜はミーティングであった。よく仲間の話が入ってくる夜だった。努力をしている仲間は報われるべきである。歩くのが基本である。その努力なしによくなることはない。そう信じている。わたしはそれを続けていく。
お彼岸でもある。春の足音を心待ちにしてきたこの数週、しかしながら気温もいま一つ上がらず、まだ冬が続くばかり。木の芽どきに突入しないので、自他ともに狂っていかないのは良いことではあるが…。
明日は祖母の命日であるが(1975没)、実家には墓がないし、納骨も京都に移動したという話である。墓参りは母方にはできるのだが、昨年・一昨年とこちらは斎事が続いたので、ちょっとしばらくはいいや。
ミーティングにはいったものの、ほとんど言語化のないまま帰宅。先週もたしかそんなこと言ってた自分であった。喫茶店行ってもたぶんあまり言語化できぬのは変わらない気がしたのでそのまま帰宅することにした。21:30には東中野についていた。
きょうは一日券を使った。かなり乗った。もう疲弊するくらいに(笑)。
乗った系統番号。飯64,池86,高71,学02,早81,白61,宿91。
けっこう楽しかったが、寒い中バス停で待たされたり、信じられないくらい長い渋滞に巻き込まれたりすると、やっぱり電車のほうが強いと思う。たまに使うくらいが新鮮でいいかもね。
仲間とサービスの実務わかち合い。火曜は定例になっている。ああ、これだよ、これ。今、生きているという実感。体を血が流れ、体温が上昇。そう。
残すところ、任期は9ヵ月少々だ。まだやることが山のようにある。ありがたいことだ。少しずつ、協力しつつやっていこう。
…です。「他のことがみんなうまくいかなくても、これには効果がある」ではないのか? それを期待しすぎたからかなぁ。期待ほどではなかった。
要するに、みんなと同じなのであった。日々、ばかげたまちがいを繰り返して行くより他ないみたいだ。学んでも学んでも、すっかり忘れて次の一歩。飲まぬのが不思議なくらいだ。毎日ミーティングだ。自分はそんなものである。
仲間と一緒に基本テキストなどを読む、というプログラムを月一で半年くらい続けている。きょうは第一レガシーについて・第六章・第七章(一部)。最近知るようになった「高速step実行プログラム」でもある。もっとライトに、そして何度も繰り返しやるのがコツらしい。
しかし、まあきょうはあまり状態が良くなかったせいか、今一つな感じであった。しかし「調子が悪い」というのは神様の与えてくれるたまものである。何かを変えねばならないというサインだからだ。そしてこの苦しみは、貴重な試金石でもある。
そのまま夕方はミーティングへ行った。喋らせてもらえたんだけど、やはり歯切れワルシ。パスでも良かったかな。帰りは初台からバス。渋64。