地区でのメッセージで清瀬へ。多摩はもともと気候が厳しい上、きょうはとくに冬の雨。帰りは仲間の車に乗せてもらって楽だった。だが、日頃暮らすには、少々不便でも、町中よりはよいかもしれない。
やりおおせたように思う。組合もやりおおせた。でも自分のプログラムはどうだったか。ここのところ調子が悪い。でもきょうも仲間の話の中にたくさんの答えがあった。
満足できるものばかりではないが、不完全ながらでも「それでも日々は過ぎて行く」という感じ。すべてではなくとも、必要な範囲で生きているという感じ。
寒い二月も、もうあと一日。きのうあまりにも暖かかったのできょうはコートを着ないで出かけたら、またまたひどい目にあった。こういうのが今年は多いです。暑さ寒さも彼岸までというから、もう少しの辛抱だね。
手に入っているものの価値は見えなくなるし、いまだ掴んでいないものは欲しくて仕方がない。こういう病的な考え方というのはずっと長く改善し続けて行かないと、変化しないんだろうね。そして、人の姿を見ていると、誤解に誤解を重ね、まるで表面しか見てない自分。話を直接してみたりすると誤解だということにも気づけるのにね。
興味の無いものは興味が無い。まともな生き方を熱望するあまり、無理にまともになろうとしていたところもあったのである。だが、日々の生活がタイトになってくると、もう、そんな無理などしようとも思わなくなってくる。欲しくないものはいらない。それだけである。そして、人が持っているように見えるものは妙に欲しい。そんな強欲の果て。
ここでやはり復活せねば…と思った。忙しいのは、評議員をやってるからなのではない。たしかに「苛酷な」役割ではあるけど、わたしが思い通りに時間をマネージメントできていないのは、おもに「仕事」と「組合」なのである。過去の自分のようにそれらを「取るに足らぬ」と断言することはもうできない。相応の責任が伴っていることであり、それなりの報酬も受けているからである。そしてここが重要なことなのだが、報酬は金銭だけとは限らない。そしてそれらはわたしの都合に関係なくやってくる。当然だ。わたし個人がやっているわけではなく、組織としてやっていることだからだ。だからわたしが「合わせる」ことになる。だからわたしがほかのものを「犠牲にする」ことになる。それで成り立っているのだから、当然なのだ。犠牲にしない人もいる。それはそれで、他人のことだから知らない。関知しないのだ。
それにひきかえ地区委員の役割も評議員の役割も、自分のプログラムを犠牲にしてまでのことは要求されなかったのである。個人の活動なので、自分がやるかやらないかなのだ。他のことを犠牲にするなんていう余地はそこにはない。それ自体が最優先事項だからだ。与え続けていかなくては、われわれは死を迎える。サービス活動はけっして免除されることはない。どんな小さな形をとるとしても、目的は一つだからである。
おそらく理事になってもそうだと思われる。三つのレガシーはきちんと三角形に形どられているのだ。それぞれが互いの足を引っ張ることはなさそうだし、これまでもそうだったみたい。忙しくて、できない、ということはない。忙しいのでできないということを言ってみたいだけなのだ。忙しくないのだ。忙しいと言えば忙しくもなるが、寝る間も惜しんでという程でもない。たしかに「30分も時間があれば速攻で寝る」ということはあっても、時間は作れるのである。自由な時間が一日に2時間(22:00〜24:00)しかなくても、まるまる一日なにも無い日でも、自分のできる仕事の量はたいして変わらない。すくなくとも自分の場合はそうみたい。何かの原因で「忙しい」と言わざるを得ないようなときというのは、バランスが崩れているだけみたいである。
そしてやはり言えることは、このプログラムは土台が必要だということ。その土台とは定期的にミーティングに出るということのようだ。「定期的」という言葉は実に自分の都合の良いように使えるので注意したほうがよいようだ。他の人たちがそれを使っているとき、どのように都合良く使っているかが、ほんとに良くわかる。土台が無いとベースがなくなっていく。もともとおかしいわけだから、さらにおかしくなる。そして自分の間違いに気づいて元に戻るという段取りなのである。しのごの言わずに「毎日出る」。それでいいみたい。出れなくてもいいが、毎日出るのだ。すごい矛盾。でもこれでわたしは続いてきた。
この二週あまり死にそうであった。プログラムをなめているとこういう目に合うようだ。理解者はいつも周りにいたのである。そして正当な評価もいつも降り注いでいた。集会・委員会・報告会・委員会と、みつどもえ・よつどもえになりながら続く流転の役割であったが、つねに伴走者がいて、つねに話し合いができていたということに気がつけなかったのだ。そして常にフリコは戻されていたのである。徒労に終わっているようでいて、実は次々に霊的な息吹は注がれていたのだ。
日曜にフルで動いた翌日月曜の仕事は、やはりオーバーヒート。ぐずぐずと考えてなくて、さっと午後から帰ってしまう…というのも手だなぁ。きょうは結局最後まで仕事して、メッセージも行って、という普通の日となった。
書類作りしたり。これは仕事のうちに入るのだろうか。扶養控除や年末調整の書類は就業時間中にやることも許されるようだが、確定申告は微妙なところ。還付税額もバカにならないですよ。収入の一割を、有無を言わさず源泉徴収するのって、国民をなめてるとしか言いようがない。経費ゼロで生きているという前提なんだもんなぁ。それよりも、贅沢してる人たちから税金巻き上げるべきだと思うよ。二十万円稼いだ人から二万円持って行くんじゃなくて、二十万円使った人から二万円持って行くのが、正しい税収。したがって、消費税10%も賛成します。その分、所得税を大幅減税です。
ここんところ、またしんどい日が続いています。コーナー更新見合わせも選択肢の一つとして浮上。
副議長選出など。きょうはなんかほとんど自分の席に座ってなかった気がする。ゼネラルサービスのぜんまい。
地区委員会へ行って、先週の評議会報告第一弾。きびしい質疑応答もあった。冬の雨、そしてきょうは雪の降る場面も。
家に帰ってきて、一日の疲れを思う。そして明日は仕事。仕事が邪魔。この二週間くらい、仕事が邪魔でしかたないのだ。でもまあ我々のサービス活動は、副業なのだとマニュアルにも書いてある。だから不満など言えた義理ではないね。
やめ続けている。まるまる四日が経過した。24*4=96時間。まもなく100時間を突破。でも、へんな目標や達成を考えても、への役にも立たない。「今日一日」やめるのみ。そしてまた明日。
評議会が終わって、初の休日です。からだと頭を休めることに、きょうは専念します。明日(関東甲信越地域集会)のための仕事はもう終わっていて、仲間の協力に感謝しております。
来週からはまた遠出したりとかが始まるんだけど、それはそれでまた、別の領域へのエネルギーの消化という感じ。ゼネラルはゼネラルで、ローカルはまた別で…ってこういうことかも。
ほんっとに何もしない休日でした。いかの唐揚げ買いに行ったくらい。さあ、明日は集会。
● ami16 [ツッコミじゃないですが風邪っす、昼間よく寝たのであんまり眠くならないっす。]
● junk [リンク元が面白いねぇ 女子校の更衣室はまだしも「1000円カット 久里浜」は笑いました]