手に入っているものの価値は見えなくなるし、いまだ掴んでいないものは欲しくて仕方がない。こういう病的な考え方というのはずっと長く改善し続けて行かないと、変化しないんだろうね。そして、人の姿を見ていると、誤解に誤解を重ね、まるで表面しか見てない自分。話を直接してみたりすると誤解だということにも気づけるのにね。
興味の無いものは興味が無い。まともな生き方を熱望するあまり、無理にまともになろうとしていたところもあったのである。だが、日々の生活がタイトになってくると、もう、そんな無理などしようとも思わなくなってくる。欲しくないものはいらない。それだけである。そして、人が持っているように見えるものは妙に欲しい。そんな強欲の果て。
つまるところ、人生でこれがいちばん大切なのかもしれない。今年の冬は風邪が三度もぶり返している。インフルエンザなら世間から遮断して、病気の息の根を止めて、治療に専念……というシナリオに乗れるのだが、それもできず、だらだらと仕事とかミーティングとか続けている始末。しかしこんな半病人みたいなときでも、きちんと服を着て病院に行くと熱は下がるしのどの腫れも引く。医者からは「そんなにひどくないですね」と言われ「昨夜や今朝は熱もあったし喉も痛かったんですが」と答える繰り返し。自宅にこもっているとむしろ悪化するのである。
寒風吹きすさぶ中歩き回る必要はないが、必要な仕事をしに出かけ、行くべきところへ行き、仲間の手助けをして帰ってくれば、これが健康への近道であろう。
2008年度と2007年度の還付申告をし、めでたく還付額が振り込まれた。申請は全額通ったようである。2008年度の戻りが18,500円、2007年度の戻りが11,100円である。面倒がらずにもっと前からやっておけば、あと数万円は戻ってきただろう。気づいたときこそ還付のスタートだ。
不動産所得は初年度はとても大きな経費、つまり不動産取得税や仲介手数料を差し引けば赤字になる。黒字になっても青色申告控除額がある。複式簿記での損益計算書を出せば65万円の控除だ。
ときどき一人カラオケをやるようになったということを以前書いたが、いまもときどき平日昼間に時間があいたときなど出かけている。Joy Sound Systemの「うたスキ」がなかなか秀逸。あらかじめレパートリーを登録できるし、キーも合わせておける。だんだん登録曲数が増えてきた。ぼくの場合は70年代後半から80年代までが大部分だが、とくに13〜17歳くらいのときに流行した曲はすみずみまでよく覚えている。土曜の昼の民放FM「歌謡ベスト10」(コーセー化粧品提供)や、テレビの「ザ・ベストテン」(TBS)が全盛だった頃である。
しかし残念ながら90年代になると、ぐっとレパートリーが減る。だんだんテレビを見なくなったのと、バンド活動で歌謡曲への興味が減退したからかもしれない。でも「星降る街角」とかは今も歌える。(「星降る街角」ってなんと昭和52年。もっと新しいと思っていた。ショック!)
カラオケ店は料金体系やサービスがさまざまであることを最近知るようになった。夜は値段が跳ね上がる。一人なら昼間の利用だろう。歌舞伎町はたぶんいちばん安く上がる。最近は動画の録画もできてネットで公開なんてこともその場でできるので恐るべしである。
公共政策大学院のセミナーに参加。麻布の岩崎小彌太ホールにて。海の中にはマンガン鉱床やコバルトが眠っている。先日の地球環境化学の授業でもこのあたりが話題となっていた。あと海の底に二酸化炭素を吹き込んで閉じ込め、石油を押し出すととともに地球温暖化を抑制しようというプロジェクトもある。みな億単位、兆単位の事業。国家海事プロジェクトだ。
広尾の都立中央図書館に寄る。登記簿上の地番が掲載されているブルーマップが置いてある。都内のものが全部そろっているので法務局で確認しなくてもよく、便利だ。今度入居するマンションの地番図を一枚25円で複写。
ここは貸し出しはなく、閲覧だけの図書館。その代わり施設が充実しているし、子供が走り回っていないので快適である。本の状態もよく、書き込みなどはあり得ないくらい。不動産投資を始めた2007年くらいから、ブルーマップ目当てによく通った。東京都の資料も充実している。都民なら一度は行っておきたい。
久しぶりに山口宇部空港を使って、JALのマイル利用で旅行。家内の実家の墓地が旧小郡(新山口)にあるので墓参り。空港からレンタカーを使う。そのあと秋吉台と秋芳洞に行く。中学1年のとき以来だと思うが、巨大な洞窟に驚愕する。地下水がこんこんと湧き出て石灰岩の洞窟を侵食している。奥のエレベータで秋吉台のカルスト台地に出る。そして戻って下関へ。
下関は中国地方の西の端だが、北九州からすぐなのでよく来た場所である。ふく刺しを食べたが高い値段が気になってしょうがない。一泊して九州に渡る。国道の関門トンネルは一般道だが有料で、普通車通行料150円。渡るとすぐに門司港の町である。
裏門司を通って小倉南区へ。父が倒れる前に一緒に寄ったうどん屋の横を通る。そして実家へ。小雨が降っていた。授業料免除の書類などを取りに区役所の出張所へ向かう。古くからのスーパーが経営を変えて今もある。二階に昔ゲーセンがあり、中学生のころにパックマンやインベーダをやりに通ったところだ。
小倉の鍛治町で最終泊。安くて古いやたら室数の多いホテル。なんと313室もある。会議室もあるのでラウンドアップやフォーラムなどでも使えそう。駐車場対応がちょっとよくないのが残念。翌朝起きてふたたび山口宇部空港へ。
ここのところジェットスターやピーチで成田ばかり使っていたので、羽田利用は本当に久しぶりだった。JALはLCCより座席が快適なのもよくわかった。タダでコーヒーが出る幸せ。音楽も楽しく、充実した旅になった。