月に一度、仲間と個人的に基本テキストの読み合わせをしている。きょうは昼前に出かけ、予定通り歴史書みたいなやつをすこし。そして昼食をはさんで、基本テキストの二度目。
じっくり仲間とプログラムのことを話し合う…という初期の目的が達成される上に、今まであまり気がつかなかった点をフィードバックつきで話し合える。相手が不特定ではないので、あれこれ気を揉まずともすむ。
その上いつもお昼をご馳走になり、きょうは手土産までもらってしまった。うれしい。
なんといっても、いまは自分独りで生きる必要はない…という安心感。輪の中の一員という感じに感動する。考えていたより、ハードルは低かったのかも、なんて思う。
きょうから当分冬休み。職場に行かなくてよいというのがちょっとうれしい。かなりうれしい。でも社会に参加してないという感じが早くも襲ってくるね。
さっそくシーツを洗濯した。恥ずかしいけど何ヵ月ぶりかわからない。外はよく晴れていて乾燥しているし、太陽に晒され寒風になびいている。夕方には乾きそう。
資源ゴミのラストが明日出せるので、段ボールを潰して縛ったりしよう。縛る紐も買ってきた。
目の前のあまりやりたくない物事が迫ってくると、掃除の意欲が湧く。今に始まったことではなく、学生のときに顕著であった。定期試験が迫ってくるとよく掃除をしていたのである。現実逃避とも言う。
この年末としてはきょうは二回目の大掃除である。段ボールはすべて処分。こないだ仲間が家に来たとき、玄関先で引っかかってしまっていた靴置きも処分。そもそも何年も履いてない靴を埃まみれになった上でなお保存しとく理由はないことに気づいたの。
玄関を塞いでいた無意味な綾波レイのかけじくも処分。いつかBOOK OFFに売り飛ばそうと積んでいたマンガ類もゴミに。BOOK OFFまで持っていく労力を賃金換算しても、売上はきっとそれに満たないと判断してのこと。モノを大切にするという呪縛というか道徳みたいな方向とは引き裂かれるんだけどね。
ああ、まだ一時半だ。もうすこしいろいろできるなぁ。自分がいま逃避したいものって一体なんなのだろう。
自グループの最後のミーティングであった。昼間あったかかったので油断して薄着で行ってしまったことを後悔。コートがいるなぁ。
一時間半、会場で過ごし、こし方・行く末のことなどを思う。思えば1995年の新年の幕開けあたりから、ぐいっと方向が変わったのだった。変えてくれたのは神様かもしれない。仲間の話を聞きながらそう感じている。
アフターを喫茶店で過ごす。来る予定の仲間が来ないので心配していたら、PHSを落として大騒ぎだったみたい。見つかったと連絡が入る。すこしほっとしていたらもう時間。仲間の車に乗せてもらう。薄着だったのでとても助かった。
昼間掃除したおかげで、家のドアを開けた瞬間、だいぶ印象が違う。引っ越してきたばかりのときを思い出す。壁が見えてる広さが違うとこころまで広くなれるような気がしてくる。
些事を遺漏なく片付け、今年も仕事納め。自分がこれまで使ってきたフロッピードライブが実は3mode対応のハードウェアだったことをいまさらながら発見。ドライバを入れてみたらPC98シリーズの1.25MBフォーマットのディスクがちゃんと読めた。驚き。
総務関係者が二人とも休んでいる。年内に玄関前に据え付けるはずの門松が来ない。誰も連絡先がわからず。結局事務長が玄関に張り紙して帰った。「代金は寿司屋に預けておく」は珍しいね。
そして仕事が終わり。夜のミーティングまで三時間もある。この寒さの中、自宅に帰ってしまうと、出るのに強い意志がいる。そこで営団地下鉄の乗り継ぎをして遊ぶ。乗り継ぎ指定駅(新御茶ノ水・淡路町など)は改札を出てから30分以内に改札を入れば、運賃は上乗せされないのである。結局、大手町・新御茶ノ水・仲御徒町・三越前・九段下の五駅で乗り継ぎ。スタート高田馬場でラスト神楽坂だったが、最大キロ程の190円で済む。合法的な鉄道遊びである。冬は地下があったかいし、山手線一周より楽しいよ。
自分としては今年最後。step4。終わって喫茶店。サシだ。ミーティングがあると、人間になれるね。まったく、なんか、過不足無し。人生いつもこういう風にいけばいいんだけどなぁ。
あ、と気がついたら年内の不燃ゴミの回収がもう終わっちゃってる。不覚であった。可燃と資源はまだ出せる。カレンダーの都合上、次の不燃ゴミの日は1/7(火)だ。駅やコンビニまで捨てに行くのも、なんか公衆道徳の逆なでみたいで、いやーんな感じ。素直にゴミとともに年を越すか。
きょうはなんか気分的に忙しくて詰まっている感じであった。夜仲間の中で話をしてみてやはり確信するのは、自分の身を守ろうとする本能が強いかなということ。本能それ自体は何も悪くない。問題は人と人との本能のぶつかり合いなのだ。それに尽きる。
明日はでも14:45で定時。土曜出勤勤務時間なのだ。仕事納めはいつもそう。ここのところ年末年始にあまり有給休暇を取らなくなった。学生もいないしガチャガチャしてないので、日中職場が過ごしやすいのである。
先週は金曜寝込んでいたこともあり、一週間ぶりのグループミーティングだった。伝統。他のグループで話した伝統は、テーマに沿っていたが批判的で、あまり自分の話が出て来ず、解説+具合の悪さという、あまり状態のよくないミーティングだった。でもこれが不思議と自分のグループだと、話はあまり沿ってないものの、自分の話の要素が圧倒的に多くなり、解説は少なく、終わったあともいつもの感じで帰れるのである。伝統はグループの杖と呼ばれるが、効果も自グループだとやはりよいみたい。他のグループでも同じようにやれればいいだけの話なんだけどね。気負いが余計なのかも。
…をインターネットで振込。きょうは年末年始のための現金も銀行で下ろす。混んでたねぇ、やはり。定期無しときっぷの都合上、夕方目白のUFJ銀行に。目白駅がきれいに完成していた。
といっても仕事はあるの。表題は夜の話。いつも行ってる神楽坂の教会が、さすがにイブは使えないみたい。そして吉祥寺も年末年始の休み期間に入っている。お昼、仲間から「今夜はどこ行くの?」というメールももらったんだけど、気温もかなり下がってるし、連休明けの労働はすこししんどかった。休みだ。大根もしらすもない。ハムも米も秒読みに入っているので、スーパーでたっぷり買物。米5kgはやっぱし重い。ひーひー言いながら家に向かう。
惣菜コーナーは鳥だらけであった。クリスマスって一体どのくらいの鶏が食われてるのだろうか。自分もついついリトルマーメイドでフライドチキンを買ってしまった。もともと鳥カラ好きなんだけど、こうしてみんなで鳥を食べる日ってなんか変。
これこそが幸せの原点であると見た。平凡には忍耐もいる。変化しないことへの忍耐・刺激のないことへの忍耐。退屈という意味でもあるけど、待つのは努力でもあるみたい。
問題が起きないというのは、なんと幸せなことであろうか。健康なこと・帰る家があること・働く場所のあること・そしてささやかな自分の役割があること。そうなってくると、もう「適正に評価されたい」だなんてことは、どうでもよくなってくるね。
みんな仲間が教えてくれたのだ。「大事なことはみんな猫に教わった」というのが昔あったけど、猫も平凡な生活に忍耐してるよね。ときどきサカってうるさいときもあるけど。
そして明日はクリスマスなんだが、今年最後の賃金支払い日でもある。年末調整でちょこっとだけふだんより身入りが多いかな。
今年の暮れはおそろしいほど用事が入ってないぞ。多忙の極みを先週までですべて済ませた感じもある。もう委員会もないしイベントもない。年越しを青梅の山奥で仲間と過ごすのみ。もぎとった「暇」という感じ。そして明日の朝も鳥肉を食べるのだった。笹身の梅しそ。
九州で本場のラーメンを食う暇がなかった。そこできょうは新宿にわざわざ出て、桂花に入る。うーん、何年ぶりだろう。それでもやっぱり東京風にアレンジされてるような感じは否めない。九州の本当のとんこつの臭さはあの「犬の下半身」のようなにおい。関東ではまだお目にかかったことがない。
食べ終わってふらふらしていたら仲間から電話。そこで遊んでもらうことに決定。新宿に呼び出してしまう。タカノフルーツパーラーでケーキ。ハルクのピーカンに寄る。そしてみたけ行きの切符購入。最後は自宅に呼ぶ。相手が女だったらここで目的達成!!ってとこでしょうか。男だからそうはならないね。
上板橋へバスで北上。異様にしっこが近い。交番で小便させてもらう。初体験。鍵が閉まらない構造のトイレだった。意味がきっとあるのだろう。
会場入り。久しぶりのミーティングでした。帰りは池袋でうどん。うどん流行ってるらしいね。うまー。きょうは食ってばっかりだったかも。明日からまた仕事。
しんどい小倉行きであった。家族の病気はまっ盛りであったし、自分もこの中で育ってきたのだと思った。
具体的な話もいろいろとあったが、わたしとしては聞いておくだけにとどめた。ほかに何もできないからである。
最近の自分のテーマでもあるが「忍耐」の一言だなぁ。人生はみんなそうなのか。
前後がこんなに激しい労働だったのに…とか関係なく、日々の仕事はやってくる。定例の授業、講師料の締め日、モデムの回収、今日も忙しかった。おまけに昼休みは他校で組合の情宣。団結ガンバローをぶっつけアドリブでやることに。風邪で声が枯れていたので、ちょっとハスキーでよかったかも。
明日から二泊で小倉に帰省。バースデー割引を使うのだ。各航空会社片道一回分しか使えないので、行きはJAL・帰りはJASです。日曜の夜に東京へ戻って参ります。
明日は午前中は仕事に出るの。なんでこんなによく働くようになったかなぁ>自分。社会的責任は軽視(「仕事は二の次」とも)と言い続けてはいるけど、実際は言い聞かせているだけなのだろうか。仲間の中では言葉のままだけど、職場ではよく「いや、森田さんは働いてるでしょ」と言われることもある。お世辞半分かも知れんが。ま、自分のことは自分ではよくわからないということに尽きるね。
仲間と餃子の話をしたら、餃子が食べたくなった。落合のそばのローソンで餃子購入。うまー。明日の朝のためのごはんまで食べてしまった。また炊くか…。
自宅に帰るといつも一瞬で親からマジックをかけられてしまうのだ。ただの食い潰しの人となってしまう。動けないし、喋らないし、笑わないのである。まーしょうがないか、育った環境だし。行くたびに、自分の病気は偶然発生したのではない…と確信を持つのだ。でもまあ、親孝行と思って行ってきます。
職場のネットワークが正常に稼働している。安心感。追われていないという感じ。
でも、ここまで自分が骨折って、一体なんになるのか…という疑問が湧いてくる。それこそ自分がいなくなったらどうなるのかという話。きっとWebもサーバーも外注して、プロバイダのレンタルサーバーで独自ドメインとかになるんだろうね。そしてわたしの苦労など誰もまったく感じることすらなく…ってどうも自己憐憫モードから抜け切ってないなぁ。
きょうもすこし時間外になった。ほかのことだったんだけどね。この自分が病み上がりにしかも三日も続けて残業だなんて、明日はまた雪でも降るんじゃなかろうか。
忘れてはならないことは、自分は病的な人間だということ。働くのはたしかにそれ自体決して悪いことではないけど、労働は麻薬でもあり、そして自分は「がんばらない」を実現し続けないとソーバーな(しらふの・正気の)精神状態は維持できないということなのであった。一般の人にはたまの怒りや、コンプレックスをバネに頑張るのも、それはそれでエネルギーの源だが、自分の場合は毒に変わるということなのだ。
…に行けた。それはそれで問題の種もあったけど、これではじめてよしという気がする。高円寺から東中野まであっという間。次はまた来週の水曜だ。
わー、もう日付変わってるじゃん。病み上がりでいきなり終電まで残業。Bフレッツのルーター設定がうまく行かず。なんか春のDSLのときもそうだったなぁ。
でも神様の助けか、異様に暖かい夜道だった。初夏の夜のようだったよ。ちょっと雨に濡れてしまった。
きのうに引続き、きょうもルーター設定で一日を過ごした。でも結果が出せたのでよしとしよう。
要約すると格安ブロードバンドルーターのカスタマイズ幅の狭さに尽きる。ほとんどが自動設定で、このIPはこのポートとしてNATして出したい、とか、この経路はこう指定したいとか、そういった幅があまりないのである。結果的に偶然の設定手順により解決したのだが、安物買いは結局労働時間をいたずらに費やして、わたし自身の人件費もトータルで考えたら、高い買物になったかもしれぬ。
風邪も小康状態、Bフレッツ導入の設定作業も無事終わり、神楽坂に行けた。木曜の築地以来だ。
日々の棚卸しダイジェスト、そして仲間とお茶してほとんど言語化できたと思う。体調をおもんばかってくれて、短時間で切り上げ。風邪引いてる人がもうひとり。
寒い夜に戻っているので、きょうも中野からバスに乗ってしまった。これくらいは自分に許して上げよう。
● junk [早!(笑)]