年末一時金支払い日。このご時世だし、欲しいものもないので、ほとんど貯金にまわる。考えてみたら今年から奨学金の返還がもうないので(昨年で全額終わった)、その分は楽になった。あと、年末調整とかわずかだけどある。
ややこしいトラブルは起こしたくないなぁ。そのためにはステップとタイミングと誠実さだろうなぁ。TPOをわきまえることの重要さは承認出版物にもあったし。
仲間が買ったらしい。やわらかそう。住環境の改善も再来年あたりかなぁ。今はとにかく物を減らしたいです。
喫茶店。相性のよい仲間とだと、あまり長い感じもしない。でも帰り道は寒かったです(笑)。
この寒さの、坂道をころげ落ちるような急転直下な勢いはなんなのでしょう。初のコート着用の出勤となりました。しかも東京は積雪。いつもなら数分余裕で着くところを、足元がたどたどしかったせいか、定時ぴったりのタイムカードになってしまいました(8:45と打刻)。
こんなときに限って当該の労働委員会だったりするし。ずぶずぶの靴下。賢明にも替えの靴下まで持参していたというのに、忙しくて履き替える暇もなく、結局白の乾いた靴下持ち帰り(笑)。ビニール袋すら持参してたのにね。
役員らと組合のことを打ち合わせして、丸の内線で直帰。駅から地上に出たらまた雪が降ってて寒。あぅあぅな感じ。今日はもう二度出は不可能。炊飯機のスイッチを入れる。
さて、今度時間があったらじっくりやろうとつねづね考えていたことは何だろうか。建設的な考えが浮かぶ。そうだ、掃除! 掃除しなくちゃ。他人のうちなんて掃除してる場合じゃない。自分ちの掃除。エアコンの前に棚とか衣類とかが迫ってるし、ゴミが多いんだよなぁ。油断するとゴミの山になるのがとても嫌。で、掃除。年末だしね。
全部やろう、なんて殊勝な考えで始めると、ココロザシ半ばで苦痛の海となる。足腰立たなくなるまでやっちゃうからねぇ。サルかい。猿に失礼かも。週が始まったばかりだし、あんまり飛ばさないほうが…。ということで、三段ボックス(本棚と言っている)とその上にある物だけ、とりあえずすべて出して、捨てる物と再びしまうものに選別。きょうはこれだけ。でもかなりの物がある。
結局20Lのポリ袋二つを動員して、それぞれ可燃・不燃として、どちらもいっぱいになったらやめる。そして…。
CD・ソフトの箱・古いチラシ・関心のなくなったアニメ関係など、あっという間に選別できた。いま雪道の中、ゴミ集積所に置いてきたとこです。ふー。21:00。あとは捨てないものを三段ボックスに収納して終わり。すっきりしたせいか、妙にエアコンが効きまくる。これだけでも進捗ですな。
結局きょうの不要品処分と大掃除は、ミニじゅうたん爆撃程度となった。それにしても処分って気持ちいい。すっきりする上に、なんかひょっとしたらエンドルフィン(脳内快楽物質)でも分泌されてんじゃないか…と思うくらいだ。掃除されると水路が開けて、対象(神とかモノ)と自分が直通になった感じがする。step4,5の秘蹟とそっくりだ。つねに棚卸と資産と負債のチェックが必要だというのも腑に落ちる。
時間厳守で22:00には手を止めた。邪魔なモノが部屋にいくつか残ったが、明日以降また手をつけよう。
ついに冬本番となったみたい。小雨。午前は高円寺へ。
といっても、自分の部屋はいつまでもあと回しで、教会の大掃除。できる範囲でやっていく。あっという間。昼過ぎで終わり。別に「貢献」を競うわけではない…とか頭の中で考えてる。春先の掃除のときは地域委員会の日とバッティングしてて来れなかったなぁ、とか。
帰りに東中野駅前のスーパー「ライフ」に寄って買物。大根半切り\45〜\70。価格が落ち着いた。ライフの帰りはいつも明大中野の前のJR跨線橋を渡って帰る。中野の丸井のビルかはるか彼方に見える。ここに住んでそろそろ二年半。
営団地下鉄がミニモニのパスネットカードを発売してると聞き、朝中野坂上の定期券売場のおねーさんに聞いてみたら、「売り切れました」とのこと。ううむ、人気があるのか。ミニモニもモー娘も、詳しいことはよくわからんが、地下鉄の駅貼にある映画のポスター見て、「かわいいな」と思っただけ。こいつらまだ10代なんだなぁ。どうも気になる。ライフの本屋で「小学×年生」とかが並んでる本陳列棚に「ミニモニ。カフェへおいでよ!」という魅力的なメイキング写真集が置かれているのを発見。買うか…。ちょっと恥ずかしい。レジを見る。ここもおねーさんだ。ううむ。書店を一めぐりする。また陳列棚の前にいる自分。あうぅ。えい、買っちゃえ。買っちゃいました。
っていうんだね。アイドルってハマりやすいんで気をつけねば(笑)。いまだに南野陽子には関心が行くしなぁ。
それにしても20歳近くの年齢差だと、これは犯罪的なのでは?とか思っちゃいますね。ののたんかぁ。
月島へ。きょうで最終だ。来年は他の仲間と担当が変わる。ご挨拶だけして終了。
新宿に移動していつもの仲間と食事。こんなとこに横綱屋があったとは。
帰宅。部屋の中ってあたたかい。このまま今夜は眠れそう。おやすみなさい。
密度の濃い一週間でした。金曜日はこういうふうに、いつも感謝できるといいんだけどね。忙しいけどあまり心は亡びてない気がする。したくないことはやってないからかも。
グループでは、仲間の一周年のお祝いでした。真っ先に心に浮かんだのは、自分の一周年のときのあの奇跡的な変化と、とにかく受け入れてくれていた仲間、仲間、仲間。終わりであり、始まりであったと言えます。
最初に着実に身の回りにクサビを打って、プログラムの基礎を作るのは大切なことだと今も思えます。今もやはりおろそかにはできませんね。
高円寺の喫茶店「poem」で毎度のお茶。今日のサブテーマは「わたしがアバラを傷めたとき」だったかも。当時はケガや病気は「勲章」のごとく思ってました。狂っていたんだね。
きょうは半日有給休暇を使って、一日行動の一部に参加した。朝から裁判所。からだに悪いなぁ。不当解雇撤回を求めて起こされた提訴。傍聴を終えて、即、霞ヶ関デモに参加。冬の雨で寒い上、傘もほとんど役に立たず、ずぶ濡れでした。
他の人々はそのまま埼玉県庁へ申し入れに出かけたが、自分は仕事に復帰。午後は賃金カットの組合外出扱いとしました。
夜も続きで代々木でデモ・集会が行われたのだけど、こちらは断わって高円寺へ。歩き回って、ちょっと腰が痛いです。腐ったような色になった白靴下は処分。
高円寺ではグループの会議。来年上半期の役割決定だったのだけど、つぎつぎに奇跡のように決まっていく。ここ数年、うちのグループでは「やる人がいない」という状況は皆無。再任もほとんどない。3,4年経ってからのいわば「循環任」はあるけどね。
先日ここに「不平等」という主旨のことを書いたが、訂正したい気分である。すなわち、神のもとには平等かもしれん…、というのが最近の結論。やった人は享受し、やらぬ人は掴めない、ということ。なにも組合や役割の話だけではない。全分野にあまねく働いている原理かもしれない。
狭い切口だけで見るとたしかに不平等が露呈するけど、総合して考えると、神様は均等に配分してくださっているのかもしれないと感じる。
これもちょっとした自分の中での今のテーマ。依存と罪悪感は一枚のコインの裏表かなぁ。罪悪を感じながらそれをやってしまうというのは、病気の症状としか言いようがない。わかってて、やる。健康な精神の人から見ると「狂気の沙汰」と見えるようですね(笑)。
でも自分はこれが好きだったのかもしれない、そして今も好きかも。でも消したいかも。消したいエネルギーがマイナスの強力な力を生み、結果的にそれがパワーとなり昇華される。わけわかりませんかね(笑)。現時点で自分の棚卸しすると、こうなります。
恐れもそれ自体は悪いことではない…という理屈にほっとする。使い方次第だし、エネルギーの源。でもせめてプラスのエネルギーに突き動かされたいなぁ。そのほうが少なくとも自由な感じかも。
「愛」なんてへどが出そうな言葉だったんだけどなぁ。あと「仲間」とか「協力」とかもね。それくらい自分は自己中心で、健全な感情は持っていなかったみたい。「みたい」というのは自発的に気づいたんではなく、仲間の話をいろいろ聞くに及んで、ひょっとしたら自分もかも、と気づいたから。
いまはでも、この愛と共感なくしては、なんの幸せ感もない。信頼の中で生きていたい。あと、言ってることとやってることを、できる限り合致させたい。口ではいやんと言ってもからだはひーひー言ってる、みたいな。下品なたとえですんません。
ああ、これでいいのだ、過不足ありませんって感じ。もらいました。いろいろ。無形のもの。
話す順番がもはや来ないか、とか、手を上げるタイムもないか、とか、ちょっと困る瞬間もたしかにあったけど、ハイヤーパワーはすべて仕組んでいるのでした。
「ひきこもりたい」という自身のありのままの感情を受け入れないがために具合の悪かった数日でした。共感がスタートみたい。
連絡協議会なのだけど、役員会が月一回ある。きょうは年末ということもあり、講師を招いて学習会も。こうして活動を続けていて、ほんとに自分のためになってるのか…と思うことがよくある。何もやらない人と平等に賃金などが支払われているのも何だかなぁ。いろいろわかってくるのは確かに進捗感はあるけどね。
中小企業で小数組合立ち上げて、外部と横断的に連帯してやっていくには、苦労も多いし、そもそも大企業の御用組合とは根本的に生き残りの理屈が違う。「民主的に」なんていうのも、幻想と裏表の甘い汁だな、と思う。
いろいろ忙しくて溜りに溜っていたことが、ほぼこの三日くらいで次々にカタがついた。不思議と「完了」が続いている。12月になったせいもあるのかなぁ。最後まで先延ばしになっているのは、部屋の掃除と不要品の処分だったりする。なんとかしたいなぁ。
仲間に土曜日本をもらって、一篇だけ、読んだ。そういやほんっとに読書をしなくなった。過去、あれだけ本に囲まれ、図書館に通い、神保町に往復していた自分なんだけどねぇ。最近読んだのと言えば、10年ぶりくらいで二度読みしたサリンジャーの「フラニーとゾーイー」。その前は、うーん…。12の概念とか(笑)。
忍耐力を養っていきたい。毎日が忍耐だと最近思う。無意味に金を使わない忍耐とか、間食をしない忍耐とか。就業時間も忍耐だし、会議も忍耐、人の話をただ黙って聞くのも。
いやなことも嫌なりに受け入れ、効果がないようなことも続けてみるという途方もない退屈。退屈でもそれに耐える力。やる気になれないときの、やる気とか。思い通りにならないのは、必ず感謝に通じる。
非常に社会的で活動的な一日ではあったが、霊的な貯金はやはり一日24時間で枯渇するね。耐える力はついてきたように思うが、軌道修正は独りでは決してできない。その証拠に文章が次から次に書ける。妄想と説明が亢進する。そろそろ疲れてきたなぁ。こういうときは早く寝るに限る。いろんなもの(形状のない物も含む)が欲しくなるし、これで十分だという感覚から程遠くなる。そして注入されるのが、酔えるさまざまな魔法のパワーだったのだ。いまは注入も投入もできないけど。
午前中からの会議、出てきました。3ヶ月ごとの長岡。来年は他の仲間と交代になる。そろそろ下地ができて、信頼関係もぼちぼちで、ちょっとくらいこちらも無理言ったりできるなぁ…ってとこで輪番制。うまくできてるね。イベント開催の準備以来、だいたい3年強の行き来でした。これからは一人のメンバーとしてセミナーとかで立ち寄りたいです。
仲間と昼食。チャーシューがよく煮込まれて溶けそうでうまかった。混んでたけどよかったです。駅から近いし。
長岡グループの会場。和室なのがちょっとおしりに厳しい(笑)。でも原点に戻れる。これまで自分が都内でしてきた話を、ほとんど知らない仲間ばかりというのが、不思議と心地よく、より正直になれる気がする。こっちでも別に、正直は正直にやってるんだけどね。微妙な裸加減。また機会あったら行きます。
「あさひ」がなくなったんだね。帰りに乗ったのが、偶然初期型の緑帯・丸目の車両だった。上越新幹線開通20周年らしい。田中元首相ってすごい政治力だなぁ。
朝、日の出前に出かけ、夜、日没後に帰ってきた。昼間の東中野を知らず、な一日だった。朝発見した道端のゲロが、夜もそのまま放置されている。誰のものかは一切わからんが。
サービス活動で一日つぶすと、ふだんより体はしんどいはずなのに、夜には充実感。これだからやめられなくなるんだね。でも、人に説明しようとしたときに初めて、自分が何も知らないことに気づく、何たる逆説。自分のイメージしてるとおりのことばをただ並べても、伝わるときと伝わらないときがあるようです。でもきょうは背丈どおりの話ができたと思います。やった部分しか、話ってできないね。当然か。
● junk [加護ちゃんのパパは34歳(汗]