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2016-12-26(Mon) 根津と千駄木 [長年日記]

_ 最近の街歩きブームの中では、谷中と合わせて谷根千と呼ぶのだそうだ。朝通勤のときに北千住から回って千駄木に出て、日本医大の横から根津権現の裏手を登り、地震研究所の下へ出る。テモテ教会を折れると、今年からここの門徒とさせていただいた西教寺に向かう。向かう途中で老舗旅館更新館がある。更新館には18,19歳のとき、東大受験で相部屋に宿泊した。そして通勤の散歩は農学部正門で終わる。坂が多くて狭い道。でも味わいのある下町だ。西教寺にも赤門があるんだよ。東大の赤門と同じく、徳川七代目将軍家斉の娘を嫁にもらった侍が建てたようだ。将軍家の娘をもらう時には朱塗りの門を建てるのが縁起がいいとされたらしい。 きょうは帰り道、言問通りから根津の駅前へ降りて行った。電車には乗らずそのまま谷のどん底をつき、坂を上り始める。谷中と上野桜木の間を抜け、坂を上りきる前に左へ折れると京成本線が地下に潜るトンネルから轟音を立てている。夜の墓地を歩く。霊気が漂っている。東大の動物実験の慰霊塔のようなものが谷中霊園の中にある。抜けて山手線、京浜東北線、高崎線、宇都宮線、常磐線、京成線とたくさんの線路をまたぎ、王子街道へ出る。少し行くと日暮里の駅前である。 1988~1990には本郷の郵便局裏にアパートを借りて住んでいたのだが、今度はまるっきり反対側を通勤で通う道に使っている。


2016-12-11(Sun) アルバイト [長年日記]

_ _ 大学院を満期で中退してから仏教ジャンキーを続けていたら、あっという間に半年が経ってしまった。いつまでも無職のままでいるわけにもいかず、かといってこの年齢で飛び込みで正社員に採用してもらえるほど世間は甘くはない。じっくりと中途採用のある教育機関を探しながら、とりあえずは時給の生活でもいいから働きたい!ということでいくつかの口を応募し続けてみた。バイトと言っても大学や専門学校とかを重点的に探していたのだけれど、そうすると経理や秘書の仕事が多くて、大学側はたいてい若い女性を求めているのである。しかし男女雇用機会均等法とかがあるため募集要項に「女性に限る」とか「30歳前後を採用」とか気軽に書けないらしい。あるいは逆に「TOEIC800点以上」とかすごいハードルを設定しているのに時給980円とかで、そんなうまい話ないでしょ、採用担当さん!って感じのものが多い。いろいろえり好みしながら折角なので四年間理学部で勉強した地球科学関係の仕事がないかと探していたところ、あるとき海洋深層水を用いた環境保全の講座で技術補佐員を募集しているのが目に留まり、応募したら採用してもらえた。キャンパスは東大の弥生だし、博士号が必要とか英検一級とか研究職レベルのスキルは要求されないようで、さらには、入ってみたらいい人ばかりで、自分は良運に恵まれているなあと感じ入っている。任される仕事がホームページ作りだったり研究室の整備だったり掃除だったりと、自分の得意なことをよく頼まれるので、これも心地よい。あわてて地質ボーリングの肉体労働会社や、夜何時まで働かされるかわからない競争的学習塾に飛びついて就職しないでよかったと思っている。

非常勤で有期雇用のアルバイトだけど、フルタイムパートでまあまあお金ももらえるし、予算がついて仕事の成果を認められれば数年は更新がされる可能性もあるし、良いアルバイトにたどり着けたと思っています。


2016-10-01(Sat) 札幌再来 [長年日記]

_ 久しぶりに北海道へと行った。かかわっている法人の活動の一環に金曜日に参加し、役割の仕事を少し、そして土曜は仲間向けの分かち合いと続いた。大通り公園や道庁のあたりを散策する。結婚で少しご縁ができたものの、生活が関東になっているのでしばらく北海道に来ていなかった。九月の末だが、ホテルで空調を入れたら暖房が入る。そもそも冷房という概念がないのかもしれないと聞いたことがある。10年以上前、夕張や帯広に研修会に来たときも、8月から9月の時期に移動のバスで暖房が入っていたのを思い出す。

なん条なん丁目という条里制の区画と住所がわかりやすい。土地が規格化されている印象にもなるが、あちこち探さないでもタクシーで伝えるときにも間違いようがなくてよい。ミーティングに向かうときも楽だった。古い仲間が消えていない!これは本当はそうであってほしいのだが、5年行っていないとけっこう消えていくのが他の地域である。消えてしまった人を忘却した自分ということなのかもしれないが、今回少なくとも「この人に会えるかな」と思っていた人にはだいたい会えた。

最近弔事などが続き、西日本へ行くことが多かったが、関東はそもそも字の通り東日本なので、東北や北海道は近いことを再認識した。福岡空港より、新千歳空港のほうが、成田発のLCCだとちょっとだけ近いのである。新幹線が札幌まで開通したら、是非とも上野から乗ってみたい。


2016-07-22(Fri) 夏休み [長年日記]

_ 小中学校がこれから夏休みに入る。ぼくの最近は毎日夏休みである。退職してからの五年間は自分自身が学生だったし、退職前の数年も教えている学生がどんどん減って出勤日数もどんどん減っていたので、いつから労働日数が漸減していったのかよくわからない。それにしても45歳での早期退職は、ちょっと早期過ぎた気もする。自分で飛び出したわけではなく、状況的にそうなっていったのでコントロールの及ぶところではなかったのだが。

とにかくけっこう自由に生活している。生活の中心はお寺へのお聴聞とお参り、そして夜のミーティング。会社だけの生活から離脱した人だとこうはいかなかったのではないかと思う。自分には同病の仲間がたくさんいるし、その気になれば役割は山ほど見つかる。70代、80代でも元気に活動している人がたくさんいる組織はすごい。お寺に行くと人生の大先輩がぞろぞろいる。50になったばかりの自分が末っ子の犬のしっぽのようである。

時間があるとあくせくしないで済む。生きることに余裕が出てくるのがうれしい。時間に追われると心が亡びるという。忙殺という字がある通りである。20分、30分余裕をみて動く。ほとんど都営バスの定期券で移動するので、バスの始発から終点まで40分くらい乗っていることが多い。街角を歩く犬や人を窓から眺める。バスの中にはお年寄りがたくさん乗ってくる。年上の方が乗ってくると席を譲る様子がみられ、さらに年上の人が乗ってきてその人がさらに席を譲り、さらにヨレヨレのかたが乗ってきてさらに席が譲られ…というような光景をよく見かける。日本の社会も捨てたものではないと思う。

やっと一つアルバイトの面接までたどりついた。ひょっとしたら決まるかもしれない。なかなか仕事に就けないという仲間の話をよく聞いていて、ひとごとのように思っていたが、実際そのようである。四月から何十と履歴書を出し続けてきたが、なかなか引っかからない。したがって夏休みが続く。

青春18きっぷが発売されて、乗れる時期が来てしまった。結婚以来この切符を使っていなかったが、今年は関西や福岡にたびたび行く用事があるので、何年かぶりのムーンナイトながらとかに乗る予定。24時間あれば東京から福岡まで、各駅停車や快速だけで行けるのだ。こういうチャンスを楽しみながら過ごそう。


2016-07-12(Tue) 舛添さんの辞任について独り言 [長年日記]

_ 舛添要一先生はわたしが大学一年に入学したとき教養学部の助教授で、一般教養科目の「政治学」を担当しておられた。フランス政治がご専門で著書「赤いバラは咲いたか」を上梓されたばかりだった。もちろん著書は購入したし、授業も登録した。ご出身の八幡高校はわたしの出た小倉高校と隣の校区で、同郷の親しみもあった。現在もそうだが滑舌がよく、論理明晰で、授業も面白く、とくに当時の外交問題やSDI(戦略的防衛)の話がエキサイティングだった。

いろいろな政治活動を展開されてきた末に東京都知事となった。新党を作ったり自民党に利用されたりで、少し心配はしていたが、ご自身を守る力はじゅうぶんおありだろうから、われわれ一都民、一国民が心配するのは杞憂かもしれないと考えていた。しかしマスコミの包囲網は尋常ではなく、まるでお祭り騒ぎのように批判の集中砲火が始まった。些細な材料を取り上げて袋叩きにしている状況に見えた。気分の悪くなることわざで「川に落ちた犬は叩け」というのがあるが、まさにその通りの様相である。舛添さんは気丈にも「辞任は考えていない」と押し通していたが、マスコミの集団リンチによって退職を余儀なくされた。

わたしは猪瀬さんも舛添さんも優秀な政治家だと思っている。今もそうだ。古くは田中角栄もそうだった。しかし金銭問題でスキャンダルがあるとわかるやいなや、マスコミの徹底的な政治家つぶしは異常な執念を以ておこなわれる。中には「ちょっとやりすぎなんじゃ…」と思っている人も多かったと思われるが、多数が一人をいじめているときに「やめろよ」と声を上げるのはとても勇気がいる。声を上げた者も今度は標的にされるからだ。舛添さんを辞任させることに疑問視する声を上げたのは、堀江貴文くらいだっただろうか。

結局舛添さんは辞任して都庁を去ってしまった。マスコミに徹底的に翻弄されたと思う。クレヨンしんちゃんの本だとか、別荘地に出かけたとか、ファーストクラスを使ったとか、なんだか品のない材料を取り上げて、わざと庶民の反発心を煽る記事を書き立て、他の有名人に「せこい」とか「失望した」とか言わせていたマスコミってなんなのだろう。

わたしは今も恩師である舛添さんを尊敬しているし、その人格的価値は下がっていないと思う。むしろあれだけのバッシングを受けて耐え抜いたことで、強靭な精神力を見せてくれたのだと、強くたたえたいくらいである。逆に舛添さんを批判していた人たちに聞きたい。公私混同も贅沢も、あなたはまったくして来なかったし、いくら地位や権力が手に入ってもあなたは清廉潔白で精進できるとお考えなのですか??と。

ますますマスコミが嫌いになりそうです。


2016-05-10(Tue) 四国初訪問ほか [長年日記]

_ 五月の連休に入ってからあちこち旅行をしたのだが、今回の高知のセミナーで初めて四国地方に足を踏み入れることになった。

高知のはりまや橋近くのビジネスホテルに宿泊。全日空の羽田・高知最終便で向かったところ、高知の天候が悪く、なかなか着陸できずにいた。着陸試行全三回、無理なら羽田に引き返すかもしれないとアナウンスあり。着陸態勢に入ると横殴りの強風で機体が激しく揺れるのだった。無理に着陸すると事故が起きたかもしれない。でも最後には天候が回復し、着陸できた。 四国は初めてと書いたが、実は25年くらい前にオーシャン東九フェリーが小倉・徳島・東京を結んでいたので、二泊三日の航路の途中、徳島港に寄港していたことだけはあったのだった。

今回は高知に実際に上陸して、仲間のセミナーに参加した。話もさせてもらったのである。ステップの話を15分くらいしてから、みんなで50分の分かち合いを繰り返す。よくできたシステムだと感心してしまった。必ずすべてのステップをみんなが発言できるように考えられているのである。だから分科会を四つに分けていた。関東でもこういうことをできるといいなと思った。

セミナーが終わって解散してから移動まで時間があったので、高知城と本願寺別院を巡回。南国なせいか鹿児島によく似た町である。九州の県庁所在地都市はだいたい市電が通っていて、その左右に道路が往復していて、中心のアーケード街がある。高知もそのような町だった。

夕方高速バスで高知を後にした。次は松山である。愛媛県ももちろん初めての踏査だ。道後温泉のネオンがまぶしい。街中を通り抜けて松山駅そばのビジネスホテルで宿泊。夜は駅前の温泉に出かけた。手ぶらで570円。安い。パチンコ屋が併設されているのがちょっと品がない気もするが、もとも私に品はないのでちょうど釣り合っていたかもしれない。

松山まで来たのは翌日早めに出て、昼くらいまでには大分に船で渡りたいと思ったからである。松山で一泊して朝は予讃本線に乗車した。四国で初めてのJR線。時刻表で昔からよく目にしていた予讃本線とか土讃本線とか、とにかく旧地名の讃岐の一文字がついている。伊予も今治も宇和島も位置関係がよくわからず、八幡浜に向かうつもりで反対側の今治に向かってしまった。JRの車掌さんに聞いたら逆ですよ、次で乗り換えてくださいと言われ、とんぼ返り。そうしたら松山でちょうど特急宇和海に乗れたので、いいタイミングだったかもしれない。

八幡浜から港まで徒歩。着港の臼杵もJRの駅から歩けるということで、八幡浜・臼杵の航路を選択した。あとは別府航路や、船に乗る時間の最も短い佐賀関航路もあるようだったが、基本はバスよりJRで行ける臼杵航路とした。

二時間半かけて臼杵に到着した。豊後水道を渡って九州に来れるのは不思議な感じであった。四国・本州間は鉄道でつながっているのだし、四国・九州も鉄道や道路でつないだらどうなのだろう。そもそもその前に四国に新幹線を通したらどうなのか。いろんな妄想が広がるのだが、四国をもっと発展させる政策を自民党や民主党の人たちにやってほしいと思うのである。


2016-04-12(Tue) 風邪 [長年日記]

_ 昨日の寒の戻りの中薄着して出かけてしまったところ、風邪でダウン。いろいろとやらなければならないことをすべて先送りすることとし、病院に行って薬をもらって帰ってきた。ジェネリック医薬品ばかりで、四日分の薬をもらって、しめて600円。薬局より安くてうれしい。寝てばかりいる。でもたまには休息か。


2016-03-16(Wed) 大学院中退 [長年日記]

_ いろいろと学んできましたが、この3月いっぱいで東大の大学院を中退します。必修のコロキアムや修士論文の提出ができなかったので修了できませんでした。単位数としては33単位取得しており修士課程の修了単位数30を超えているのがちょっと残念です。

現在就職先を探しながら、空いている時間は仏道に励んだり、この数年なかなかままならなかった自助グループの活動にいそしんでいます。次のステージはどうなるか、楽しみながら探してみたいと思います。


2016-02-08(Mon) ゼネラルサービスカンファレンス(評議会) [長年日記]

_ 役員(理事)を終えたのが2007年末だったので、もう8年が経過した。しかし毎年欠かさずオブザーバーで参加している。理事と評議員が変遷していく様子を見ていると楽しい。それぞれが真剣に物事に向き合っている。自分もそうだったし、これからもずっとそうだろう。

今年もこの熱い3日間が終わった。この3日間のためにサービス活動に身を捧げてきた皆さんに敬意を表したい。そしてこの3日間を受けてこれから地域活動と勧告決議の実施が始まる。伝える責任と実行する責任がついてまわる。


2016-01-29(Fri) 海上保安庁 [長年日記]

_ 東京大学修士課程の学生として最後の履修科目になるだろうと思われる集中講義「自然環境学最前線」の一環で、台場の海上保安庁を訪問した。大学院修了生の案内で半日庁内の業務を学び、測量船「海洋」の船内も見学することができた。国家公務員の試験を受ける学生が最近多いと聞く。年齢制限があるので自分にはもう無理だが、省庁の職員というのも人生としては豊かで素晴らしい経験になるのではないかと思う。

海図を作ったり測量や観測が主たる業務のようだ。国家防衛にも密接に関係する官庁である。見学に訪れた時、中東の官吏とおぼしき人たちが玄関口で記念撮影をしていた。船上の仕事は慣れないと厳しいかもしれない。世の中にまだまだ自分の知らない世界がたくさんある。人生はさらに切り開くことができると感じる。


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