アドエスを購入して使い始めてからちょうど二年。機種代金を月賦で割り引いて実質負担がゼロになる「W-VALUE SELECT」の支払い期間がようやく終わる。二年は長かった。途中で解約したり機種変更すると、割引がキャンセルされ毎月何千円か支払わなければならなくなる「縛り」システムなのだ。キャリアとしては、客を逃さぬすばらしいビジネスモデルに違いない。考えついた企画者には脱帽ものである。
というわけで、今月からは自由の身となったため、機種変更ができる。新機種をまた同じシステムを利用して購入すると、また二年間の縛りがかかる。どうしたものか…。手持ちの旧機種に戻すこともできる。あるいはアキバやネットオークションで白ロムを仕入れて、それを使うこともできる。いろいろ検討している段階が楽しいのだ。
要するに今のアドエスが使いにくいのだ。重くて大きいのが最大の難点。購入時は、スライドしてJISキーボードが出てくるのが画期的と思ったのだが、結局大して使わなかった。折り畳めない、ソフトにバグがある、ボタン一発で留守電にできない、など、使い始めてわかる不便の数々。せっかくCPUもメモリも高性能なのに、惜しいことが多い。ただ、ワンセグユニットでテレビが見られるのは秀逸なので、他に機種変更したら、うちには地デジはないことだし、ミニテレビとしてアドエスには活躍してもらおう。
この11月は東京大学イベントシーズンである。本日は恒例のホームカミングデイ。卒業生を集めて記念集会などを行なうのである。ここのところ三年連続で出席。今回はベンチャービジネスがテーマになり、パネルディスカッションが行なわれた。
安田講堂でのイベントが終了した後、日比谷公会堂に移動して淡青祭が開催される。運動会応援部の三部構成イベントである。一部は吹奏楽、二部はチアリーダー、三部はリーダーによる応援歌など。今年は神宮に五回ほど参加したので、応援部のリーダーたちの顔をほとんどおぼえてしまった。いままであまり関心のなかった歌も歌えるようになってきた。「ただ一つ」「大空と」「足音を高めよ」「嗚呼玉杯に花うけて」など。リーダーの中に、自分と同じ小倉高校出身の学生がいるとわかり、うれしい気分。
音楽、踊り、パフォーマンス、盛りだくさんの内容で、最後は「ただ一つ」を全員で歌って終了。すばらしいイベントだった。
今年でちょうど卒業後20年であり、感慨深い。下旬の飛び石連休では学園祭である「駒場祭」も開催される。
バイクのエンジンがかかりにくい季節になってきた。充電が足りないと思いバッテリーを外し、充電器に接続したら「バチン」と火花が吹いた。プラマイ逆ざししてしまったのである。バッテリーは使えるのだろうか。少なくとも充電器は動かなくなった。過電流で壊れたに違いない。充電器分解してあちこち調べたが直せず。諦めかけたときに、ケーブルにヒューズがついていることを発見。短絡してみたら復活。ヒューズが飛んだだけのようである。再度充電にかける。
そもそもセルスターターだけで、キックがないのがCBX125の弱点である。バッテリー上がりは何回も経験しているが、キックスターターがないのは恐怖である。まあ自動車だってキックスターターはないわけだが、バイクのエンジンがかかるかどうかいつも不安なのは考えもの。そろそろ買い換えでも検討してみようか。
今年の遠隔地巡業シリーズの最終となるだろうか。鹿児島の仲間とともに行動。土曜は山間部の天台寺院で伝統セミナー、日曜は九州の広報セミナーに出席。二日間で少し強行スケジュールだったがすべてこなして帰京できた。メダルのお祝いもしてもらってプラスアルファがうれしい。ホームグループでのお祝いは12月に順延である。
鹿児島県と言っても山の中のお寺はかなり涼しく、自然の中に溶け込んでいる感じだった。移動などはすべて仲間の助けをいただく。夜は県営のスーパー銭湯でくつろぐなど、それなりのリゾート気分。空港の辺りには茶畑が広がっていた。
広報セミナーが行なわれていた会場はかなり大きめのやはり県営施設。放送大学の学習センターも抱えているようだった。地元や離島の関係者も多数集まり盛況であった。
あとは年末までは大きなイベントも入っていない。夏から秋にかけてよく動いた今年だった。
多磨霊園のそばの公園。1994年の冬に原付バイクを買ったとき、よくここの間の東八道路を往復していた。当時の自宅の調布から、通い始めた国分寺の会場との中間にこの野川公園があったためである。府中の自動車免許試験場や、調布の飛行場にも隣接している。東京大学付属の国立天文台も近い。東京の武蔵野と言われるこのあたりには多摩にちなんだ地名が多いが、このあたりだけはなぜか「磨く」ほうの多磨である。最近駅舎がきれいになった武蔵境駅から西武多摩川線に乗って多磨駅へ向かう。以前は「多磨墓地前」という駅だった。墓地というのが縁起が悪いから変えたのかもしれない。そしてさらに南の北多磨駅は今は白糸台と駅名を変えているようだ。駅名を変えるより、京王線武蔵野台駅や南武線の南多摩や府中本町と接続してくれたら格段に利便性が向上すると思うのだがどうだろうか。
ともかく野川公園に着いた。子どもたちとしばらく遊ぶことに専念する。今日はプログラムというより遊びに来たのだ。だから遊ぶ。だるまさんがころんだ、なわとび、ハンカチ落としなど積極的に参加。子どもたちとわあわあ言いながら遊んで、あっという間に時間が過ぎて行く。そして芋煮やカレーうどんなどが振る舞われ、おいしくいただく。また子どもたちと遊ぶ。天候もよく、淡青の晴れた空の下。終了後ホームグループへ。非常に幸せな休日の一日だった。
秋の地域イベントに参加。大学セミナーハウス。あいにくの雨だったが、建物や施設が新しくきれいでびっくりだった。ほとんどミーティング三昧。ファミリー参加も目立っていた。
近場の開催は近年では珍しい。嵐山(埼玉)やよみうりランド(神奈川)の例はあったが、京王線でしかも東京都内は初めてかもしれない。
今月は雨天の日も多くバイクに乗る機会が少なかった。たまに乗ろうとするとバッテリー上がり。業者に売ってしまおうかという気になっているこの頃。
路線バスに乗る機会が多かった。東京圏では、一ヶ月内に乗車したバス代の累計が1000円上がる毎に、ICカード内にチケットがつく。この10月は4000円以上乗り、チケットが四回もついた。ちょっとお得な気分。
前回不合格だったドイツ語検定3級の試験に、来月下旬に再チャレンジ予定。四週間で完成のカリキュラムを謳うテキストを購入し、集中して勉強する毎日である。前置詞、接続詞など弱点がたくさんあることがわかる。しかし、四つの格や男性女性中性名詞などはほぼマスターできている。文全体の流れや枠構造に弱いのだ。そして聞き取りも。単語カード買って表裏に日本語とドイツ語を書き、持ち歩いて電車の中とかで見る。あー、高校生みたい。勉強も家ではなかなかメリハリがつかないので、時間さえあれば図書館に行くようにしている。しかし公立図書館の混雑ぶりと使い勝手の悪さ、マナーの悪い利用者に辟易する。少し遠いが母校の大学に遠征。卒業生はフリーパスなのだ。空いてて広くて、浮浪者はいない(当然か)。国の財産を有効活用しよう。学生のときはほとんど使わなかった。もったいない。ああ赤門。
ドイツ語を勉強すればするほど、なんて難しいのだろう、英語のほうがよほど簡単だよ……と思ってしまう。これがいい感じなのだ。そして同時に英会話を週一回。英語もまた楽しくなるし一石二鳥。TOEICの雪辱もまた果たしたい。
1年ぶりの実家。福岡天神から行橋行きの高速バスで到着。バスを降り立ち、北側に足立山が見える。今年は日本各地いろんなところを旅したが、どこもそれぞれの山々がある。自分のふるさとの山はこの足立山だ。物心ついてから19歳の春まで毎日この山を見て過ごしてきた。形はもちろん少しも変わらないし、よく覚えている。10号バイパスの通る前は、実家の辺りは見渡す限りの田んぼであった。しかし今は激しく自動車が行き交っている。
まる一日を年取った両親と過ごす。病気や死んだ後の話ばかりである。思考は現実化すると言うが、死の話ばかりしていても、長生きするかもしれない。健康維持は何よりも優先であることを思い知る。
帰りもまた北九州空港を利用。今度は電車のある時間に帰れるスターフライヤー便である。最近ほとんどJALやANAに乗っていない。価格競争のおかげである。こちらは10000円越える普通の航空券。タリーズコーヒーのサービスがおいしい。
会合にスピーカー、パネラーとして呼ばれる。二日間にわたり役目は果たしたと思う。先行く仲間のいる安心感。
そして問題は、つねに全国共通であることを思う。伝統を守るには、ときには痛みも必要だという感じがする。
スカイマークのバーゲンチケットで北九州入り。標題は真実である。なんと5800円。今まで9800円とか8800円のチケットは取ったことがあったが、5800円はすごいね。飯田や豊橋あたりまで高速バスを使ってもこれくらいはかかる。
最近の流行の深夜到着便である。羽田を21:00台に出て、北九州空港に23:00台に着く予定だった。しかし、羽田での出発準備が遅れ、離陸順番待ちをしていた。よくある話である。結局20分遅れくらいで北九州に着いた。到着は24:00近かった。接続して市内へ行けるはずの西鉄バスがもう出発済みである。血も涙もない。ふつう最終発着を確認してから出るべきではないか。車内ガラガラのまま定刻を守って出発したとしたら、抗議したいところである。
ともかくバスは出てしまった。空港は関西と同じく海上にあり、内地まで軽く三キロはある。内地と言っても苅田や朽網に出ても何もない。自分と同じように行き場を失った乗客が多数。数人で話し合い、タクシー相乗りで市内まで行くこととなった。市内までメーターを見ていたら7000円オーバー。一人だったらしんどかったと思う。羽田→北九州の航空運賃が5800円でタクシーが7000円だもんね。四人で相乗りしたおかげでひとり2000円見当で済む。
深夜一時過ぎに小倉の街にようやく到着。始発電車が出るまでカラオケボックスで過ごす。深夜料金でこちらも約2000円。カプセルホテルよりは安いか。
結局全部で10000円近くかかる。まああまりうまい話はないということだろう。
ということで早朝の小倉に着いた。「鉄道の日記念切符」の残りが一日分あるので悲願の九州一周を果たすことになる。子どもの頃から九州にいたのに、特に南側は未到達の路線が多く、乗らないまま国鉄民営化のときに廃止されてしまった路線も少なくない。北部の筑豊炭鉱の辺りの路線(室木線、香月線、添田線など数々の名路線があった)はほとんど乗っていたのでまだ良かったか。
4:00台の始発電車で小倉から鹿児島本線を南下。博多、熊本で乗り継ぎ、JRの新八代まで到達。在来線はここから第三セクターになってしまうが、九州新幹線に乗り換え。ここは別途料金を支払う。来年には博多→新八代間も新幹線が開通するようなので、ここも三セクになってしまうかもしれない。
新幹線「つばめ」は、座席が木質だったり、床のデザインがホテルっぽかったり、従来の新幹線とは違う感覚だった。博多からの「リレーつばめ」からたくさんの乗客がある。博多→新八代間はほぼ工事は終わっているようだった。
川内(せんだい)からは再度JRの在来線に戻る。鹿児島本線をすべて乗り切った。終点は鹿児島中央。昔の西鹿児島駅である。日豊本線を今度は小倉を目指して北上する。まずは都城行き。そして宮崎へ。山間を走る列車である。高山本線や大糸線を彷彿とさせる。しかし宮崎→延岡間は町の中という感じであった。
延岡→佐伯間。ここは有名な秘境である「宗太郎越え」ができるということで期待していた。一日に三往復しか各駅停車がとまらない駅である。17:00過ぎということで日没にかからないか不安だったが、西日本は東京より30分近く日の出、日の入りが遅いので楽勝だった。市棚、宗太郎、重岡ともに、来て良かったと思える静かな駅だった。できたら下車して散策でもしたいところだったが、そうすると帰って来れなくなるので車窓から見るにとどめる。
佐伯から大分・別府に出て、別府で下車して大分名物のとり天定食を食べる。温泉も魅力だが、それはまた来年。別府から小倉行きに乗り、日豊本線も完乗。最終の原田行きに西小倉駅で接続。酔っ払いのたくさん乗っている最終鹿児島本線で二日市駅に到着。深夜スカイマークから長時間を経て、ようやく布団で寝られる幸せである。