4月9日は昼間半日、現地係員による台北観光に当てられた。オプション追加費用はなし(サービス)。はとバス観光すら経験がないのに、いきなり海外でツアー参加はちょっと疲労感。修学旅行以来かなと思ったが、よく考えたら去年沖縄で半日観光があったのだった。
保安宮→孔子廟→お茶屋さん→総統府→中正(蒋介石)紀念堂→お土産屋さん→中華料理で午前中の行程は終了。蒋介石の紀念堂はあまりに巨大で、国力の誇示を感じる。むかしピラミッドを建築したのもたぶん同じ意図だっただろうか。日本にはあまり巨大建築はないからね。
午後は故宮博物院ですこし長時間→烈士祠(軍隊)→マッサージ→そしてブランド品の販売店で解散であった。ブランド品店の入り口で「お客さん、ブランド品のニセモノあるよ」と日本語で話しかけてくるおばさんが印象的。観光客にどんどん声をかけていた。需要と供給が一致しているんだろうと思う。烈士の姿は日本の皇宮警察を思い起こさせる。門番の兵隊は置物か?と見まがうばかりにピクリとも動かない。ちょうど交代式を見ることもできた。
夜は自由行動だった。ちょっときたない感じの食事処に入る。焼肉ラーメン90元(約270円)。台湾語はわからないのでメニューを指差したら「はいはい焼肉ラーメンね、先払いしてくれる?」と日本語で言われて仰天した。商売しているところでは日本語が結構通じるようだ。空港などでも日本語OKであった。
ラーメンに乗っかっていた牛のバラ肉は、とろけるほどに味が沁み込んでいてとてもうまかった。機内食で魯肉飯も出たが、現地の食事は絶品である。
昼間係員と行ったマッサージは、合法的で医療行為としての足裏マッサージ。免許制度があるらしい。これはちょっと高めで700元(約2100円)。でも40分だから日本の相場の半分である。日本人客であふれていた。
夜市内を歩いていると怪しげなマッサージの誘い。40過ぎくらいのおばちゃんが声をかけてくる。日本語がわからないようだったが、ぼくが日本人であるとわかると、おばちゃんはメモ用紙をさっと出し筆談モードに入った。いくら?と聞くと「A級小姐5000元、20歳〜30歳」と書いた。「高いねー」と言って首を振ると今度は「B級小姐4500元」と書いてきた。黙っていると「ホテル?部屋番号?」と書いてきた。気持ちはやまやまだが、リスク高すぎるよなーと考えスルー。
あとは地下鉄に乗ったり、ケーキ買ったりして過ごす。地下鉄初乗り20元(約60円)。切符は磁気コインになっていて、乗るとき改札でかざし、降りるとき改札機に入れる。たぶん捨てないで循環して使うのだろう。切符を何億枚と捨てている日本も見習ったほうがいいかも。
台湾の秋葉原と言えそうな光華市場も歩いてみた。露店のモニターに映し出されているのはなんとザ・ドリフターズのDVD。もちろん中国語の字幕がついているが、セリフは日本語である。街のあちこちにも志村けんのバカ殿のポスターを発見。日本の影響がかなり強いんだなと感じました。
生まれて初めて日本から外に出た。成田空港から台北へ。警察の取調べみたいな、根掘り葉掘りプライバシーを聞かれる…みたいな出国審査をイメージしていたのだが、そんなわけはないね。審査官はパスポートとチケットを預かり、写真を見たあとぼくの顔をちらっと見て、事務的に出国印を査証欄に押印していた。それだけだ。あっけない。
夕方成田空港を出て、夜に台北桃園(とうえん)空港に到着。時差が一時間あることを初めて知る。おれの一時間を返せー(笑)。帰国時にちゃんと一時間返してくれるので安心するように。
中華民国の入国審査。簡単なシートにパスポート番号や住所などを記してこれも簡単に終了。東西体制の頃の東側入国をもくろむ共産主義者は大変だったんだろうなあ…とかぼんやり考える。
台北の到着ロビーには旅行会社の現地係員が待っていた。日本人観光客がたくさんいて、一緒に大型バスに乗り込む。夜の高速道路をひた走り市内のちょっと古めの世聯(リンクワールド)ホテルに到着した。車が右側を走っているよ。海外では右側を走るというのは「知って」いたが、実際にバスに乗ってるとすごい違和感。とくに左折するときなんか大まわりで、えっ?ここに入ってくの?みたいな感じ。そして市内はすごい量のスクーター。台湾はスクーター社会のようだ。ナンバープレートも当然のことながら違う。海外に来たという実感。
今年の春はなんだかあまり休みらしい休みもなく、四月に入ってしまった。昨年夏も事務局当番とかでだらだら仕事に行っていたし、ここのところまとまった休みもない。
といっても平日かなり自由に動けるので、そのぶんはよいのだが。
すこしサービスやメッセージにも力を注いでいこう。
放送大学の学習センターがあるのでしょっちゅう訪れている茗荷谷。しかし、お膝元のミーティング会場には行ったことがなかった。今日初の訪問。
裏手は小石川、坂の下は音羽。都心の古い街である。丸の内線は学生の頃はよく使った路線だ。いまはホームドアなんかついてたりして、変わったものだ。駅の建物の中にあるヴィドフランスでお茶も飲める。
池袋で乗り換えると自宅からかなり近い路線である。今日は珍しい人ばかりと言っていたので、何回か行ってみないと様子がつかめないかもね。
来週台湾に行ってくる。初の海外旅行だ。秘密にしておく手もあったが、もうグループの仲間やスポンサー、スポンシーにはしゃべっているので公表だ。
旅行は人生を変えるほどのインパクトがある。国内で関東や関西にはじめて行ったときもそれは感じた。北海道や沖縄もしかりだった。
海外にしては超近場だが、まずは練習。そして序序に半径を広げていこう。
きょうは三月分の賃金振込み日である。銀行口座の振込額をチェックしてみたらふだんより6000円ほど多い。あれ?手当ては特につくという話はないが、と不思議に思って、職場で明細を見たら、住民税が減額されている。3,4,5月の住民税が6000円ずつ減って、減税額は合わせて18,000円だ。これは先日の確定申告による所得税還付と同じ額である。そうか住民税も自動的に同額還付されるのか。結局2008年度の還付額は36,000円にもなるようである。すごいぞ確定申告。その前の年のも減額になるのかにゃあ。ちょっと期待したりして。
税制って知れば知るほどお得になる方法がたくさんあるようだ。お金持ちたちが節税に躍起になっているのもわかる気がする。自分の場合は微々たるものだけどね。
3/22が祖母の命日のため、この春のお彼岸のあたりは京都の納骨堂への墓参りの絶好のチャンスである。一度父と同行したが、それきりであった。今年あたり行ってみたい気もしていたが、いろいろあって保留した。結局東京でお彼岸を迎えることになってしまったが、京都の大谷本廟には行けなかったものの、築地本願寺のイベント参加とした。
築地本願寺には定期的にお参りに行っているが、今回は雅楽演奏などもあり、すこし神道風な雰囲気でもあった。参拝者も多くにぎわっていた。小一時間過ごしお寺をあとにする。休日の銀座を通ったがこちらもすごい人出だった。
信仰につながるものをいつも大切にしていたい。
高飛びは冗談にしても、ふだんなら三月はいつも仕事は休みだし、たっぷり余裕のある時期なのだが、今年はどうも勝手が違う。なんだかいろんなことに巻き込まれている感じがする。巻き込まれているときの効果的な対処法は「いちいち反応するべきではない」である。新しい案件がまた発生しているが、対処をしなくてはならないものなのか、そうではないのか、判断が難しい。そういう時はやはり経験者への相談であろう。
暖かくなってきたのがちょっと救いである。このままお彼岸、そして花見や年度替り、そして新学期と続くだろう。やることがたくさんあるのは幸せなことだ。
三月に入ってからやることが多く嵐のようだった。実際嵐も起きているし、まだしばらく続くだろう。でも自分にできるぎりぎりのことがいつも与えられているという気がする。一人ではないことに感謝。
つまるところ、人生でこれがいちばん大切なのかもしれない。今年の冬は風邪が三度もぶり返している。インフルエンザなら世間から遮断して、病気の息の根を止めて、治療に専念……というシナリオに乗れるのだが、それもできず、だらだらと仕事とかミーティングとか続けている始末。しかしこんな半病人みたいなときでも、きちんと服を着て病院に行くと熱は下がるしのどの腫れも引く。医者からは「そんなにひどくないですね」と言われ「昨夜や今朝は熱もあったし喉も痛かったんですが」と答える繰り返し。自宅にこもっているとむしろ悪化するのである。
寒風吹きすさぶ中歩き回る必要はないが、必要な仕事をしに出かけ、行くべきところへ行き、仲間の手助けをして帰ってくれば、これが健康への近道であろう。
2008年度と2007年度の還付申告をし、めでたく還付額が振り込まれた。申請は全額通ったようである。2008年度の戻りが18,500円、2007年度の戻りが11,100円である。面倒がらずにもっと前からやっておけば、あと数万円は戻ってきただろう。気づいたときこそ還付のスタートだ。
不動産所得は初年度はとても大きな経費、つまり不動産取得税や仲介手数料を差し引けば赤字になる。黒字になっても青色申告控除額がある。複式簿記での損益計算書を出せば65万円の控除だ。