先月受験したドイツ語検定試験の4級、5級ともに合格し、認定状が送られてきた。4級は七割少々の出来でしかなかったので不合格もやむなしと思っていたので、ちょっとうれしい。
仲間と話しているとよく聞かれるのは「ドイツ語を勉強して、何を目指すの?」ということである。ドイツ留学? ワールドサービス? いやいや何も目的はないのですよ。ただ単に勉強したいだけ。余裕があったらフランス語やスペイン語にも進みたいのだけれど、あまり時間もないしね。
英語もそうだが、スキットを聞いても速すぎて理解できない。最近はいろいろと教材も開発されているようなので検討してみるか。とにかくまあ、よかった。来年の3級受験を目指したい。また同時並行で放送大学のドイツ語入門の「I」、「II」、「基礎」と進んで行ければと思っている。
ぼくの誕生日である。詩人の谷川俊太郎とかと同じ。年賀状の受付が始まる日でもある。高度経済成長の時期昭和40年は、東京オリンピックの翌年である。20代、30代、40代と確かに時間の流れが加速しているのを感じる。一年がとても早いんだよ。だいたいやりたいことは臆せずやっているつもりではある。あと何年あるからとか、あまり最近そういう考え方はしないようにしている。明日事故に遭って一生が終わる可能性だったあるからだ。そうするとけっこう楽しく生きられるようになったきた。
景気のよかった頃は航空会社がこぞってバースデー割引をやっていたが、いつの間にか全社とも撤退してしまった。まあ今日も普通の今日一日となるだろう。
ときどき関東オフィスのリソグラフを借りて印刷作業をしている。今週も水曜に地区ミーティングの地図印刷、日曜はグループでのセミナーのフライヤを印刷させてもらった。過去は「輪転機」と呼ばれていたが、今は製版こそデジタルになったが、ドラムがマスターを巻きつけて紙にインクを張っていくという原理は変わらない。コピーと違って五百枚くらいはあっという間である。
紙は重い。百枚くらいならまだよいが、二百、三百と増えていくとずっしり来る。罪の重さのようである。仲間と分散して持ち帰る。しかるべきところに配布していく。一体今までに何枚の紙を配り、何枚の紙を受け取ったのだろう。身の回りにある紙の量を見てもすごい数字になると思う。
印刷自体はたいしたことではない。前後に仲間と話したり、連れ立ってミーティングに行ったり、それこそが大切だという気がする。本日も現に、ミーティングに行かないつもりで来ていた仲間が、流れでミーティングに来てくれた。サービスにはそういった不思議な力がある。三角形は三辺がそろって初めてバランスが取れるのだ。
12/6と12/7の二日間、静岡市の登呂遺跡のそばの学習施設で、現代美術の授業を受けた。国内、国外のそれぞれおよそ100年分の美術史である。日本では明治末期から大正、昭和。海外ではフランス、スペインときて、戦後はアメリカなど。日本は青木繁、海外はゴーギャンやピカソなど。抽象絵画やシュルレアリスム。ただの「わからない絵」だったものが、なんとなくちゃんとした美の表現に見えてくるから不思議だ。芸大卒の静岡大教授が講義をしてくれた。わかりやすくて楽しかった。こんな世界があるなんて、まだまだ知らないことだらけである。
日曜の午後三時過ぎに終わり、新幹線ですっ飛ばして帰ってきてホームグループに滑り込む。するとそこはいつもの日常である。生きる濃淡はここにある。いつも目の前にあるのであった。別に特別な世界がそこにあるわけではないし、美術の授業を受けたりそういうものに触れるのだって、大変な労力や費用がかかるわけではない。ほんのちょっと「その気になって」求める行動をするだけなのだ。
でもちょっと余裕がいる。余裕のないところには何も入ってこないからだ。手放せば新しいものが手に入るとはよく言ったものだ。
PHSの機種を変更した。いまは無料で機種変更ができる不思議なシステムが確立している。割賦により返済を遅らせると割引がきき、それが2年に渡れば機種代金が出てしまうというものなのらしい。支払いが早ければ割り引かれるというのならわかるが、代理店の競争の結果できたシステムなのだろう。
Advanced W-ZERO3(es)という機種にした。ちっちゃなWindowsが入っていて、エクスプローラもある。WordやExcelまで入っているから驚きだ。本体をずらすと英語キーボードすら出てくる。まるでミニパソコンだ。一昔前のPC/AT互換機よりはるかに高いスペックかもしれない。しかも2GBのmicroSDカードまで無料でついてきた。2GBですよ。
ついついたくさんのパケットをネットで使ってしまいそうだ。これもWILLCOMの戦略なのだろうか。便利な世の中になったものだ。
国分寺といえば、ぼくが新しい生き方を歩き始めた土地である。きょうは地域の集会であった。早めについたので過去通った教会のあたりとか、殿ケ谷戸庭園のそばなどを散策する。横浜と同じく、ここも少しずつ変わりつつある。中央線の高架化と立川までの緩行電車直通運転が始まると、さらに大きく変化するだろう。
集会では二つの選挙があった。といっても信任投票。よく知っている仲間の立候補で、こころから応援したくなる。サービスの扉が次々と開かれていくのがうれしい。そして海外サービスの分かち合い。午後も時間はあっという間に過ぎていった。
輪番制は命である。また一体性も必要である。バランスよく保たれているし、勇気を持って「責任」を唱えた仲間もいた。なかなかできることではない。きちんとみんなに伝えられなかった自分が情けなく思うこともしばしばである。流されて曖昧なまま、人に下駄を預けて終える生き方からは脱したいと思う。
東急東横線が特急電車を走らせてくれるようになってから、非常にアクセスがよくなった。しかも先述の副都心線が渋谷まで走っている。JRを一切使わずに横浜まで行ける。すごいことだ。安いし速い。渋谷・横浜間なんて260円だもんね。しばらくしたら副都心線と東横線が直通運転するようになるというから、鬼に金棒だ。
2001年のイベント実行委員会の日々。東横線ホームもみなとみらい線も、当時は延々と工事をしていた印象があったが、今ではすっかり見違えるようになった。
仲間と一日過ごし、帰途に着く。いろいろと複雑なものも心に飛来する。仲間の提案を忠実に聞き、積み重ねてきたこれまでの日々は、ひょっとしたら間違っていたのだろうか?とか。
新しい場面であることは確かなようである。
夏にここでも取り上げた東京メトロ副都心線。朝ラッシュ時のすき具合はなかなかよい。それでも和光市・小竹向原間はかなり混んでいる。小竹向原・池袋間は女子高生が多い。池袋から雑司が谷まではやはりガラガラ。ちょうどよいロケーションに住めたものだ。千川で降りていく女子高生は都立板橋高校だろうか。要町でも男女高校生が乗り降りする。電車もきれいだし駅もきれいでトイレもきれい。しばらくは副都心線生活だろうなぁ。
生き方が変わって15周年の記念パーティー。「バースデー」と呼ぶ習慣である。ちょうど還暦を迎えたばかりの仲間も来てくれた。
杉並のときとは客層がまったく変わってしまった。そんなに歩いている場所が変わったわけでもないのに、不思議だね。これが一年間の成果なのかもしれない。自宅に帰ってから、今日来てくれた仲間の名前を全部日記帳に書きとめる。38人であった。この人たちの「バースデー」に全部行ったらどうですか?という提案もある。まあそれは無理にしても、一年で38箇所のグループのメダルミーティングに参加することくらいならできるだろう。
地域オフィスと全体サービスオフィスにそれぞれ大一枚の個人献金。小五枚ずつの時期も続いたが、感謝の思いは物質にしなくてはと少し思う。生活に支障もないのだからね。あと、最近はふだんの月も小三枚ずつの個人献金も振り込んでいる。オフィスがなくてはわれわれの活動はできないからである。
「今日一日」のメダルも個人的にいただいた。一ヶ月〜15年まで、今までもらったメダルはすべて手元にあるが、じつはワンデーだけは仲間にあげてしまって欠番になっていたのだ。揃ってちょっとうれしい。そして新しい仲間にまた恩返しをしていかなくてはなるまい。
ああ、また切符を切られてしまった。バイクで護国寺交差点を左折するときに指定方向通行帯違反。左折レーンに赤信号で止まっている車の前に、右から追い越して黄色い線を越えて出たところで、交差点から警官が見ていたのだ。目が合った途端警官がにっこりと笑う。黄色い線をもう一度戻って直進しなおすのも違反の上塗りのような気がして「あの警官、ただにっこりしてるだけだよなぁ」などと自分を納得させつつ、青信号になったので、見逃してくれる可能性に期待をかけてさっさと左折しようとしたが、警官は当然のように赤い棒をぼくに向かって振りながら、ますますにっこりしてくるのであった。
点数一点、反則金6000円。まあ軽微な部類はであるが違反は違反。昨年の駐車違反からせっかく一年以上経過して点数ゼロに戻ったのに、またカウントが始まってしまう。そしてこの6000円があればあれも食えたのにとか、これも買えたのにとか、そういう恨みがましい気持ちが立ち昇ってくる。国庫納入だから税金の一種だよ、事故、事故と割り切っていこう。最近都心は白バイがやたら多く出動していて切符切られやすそうなので、みなさんも気をつけて。