12/6と12/7の二日間、静岡市の登呂遺跡のそばの学習施設で、現代美術の授業を受けた。国内、国外のそれぞれおよそ100年分の美術史である。日本では明治末期から大正、昭和。海外ではフランス、スペインときて、戦後はアメリカなど。日本は青木繁、海外はゴーギャンやピカソなど。抽象絵画やシュルレアリスム。ただの「わからない絵」だったものが、なんとなくちゃんとした美の表現に見えてくるから不思議だ。芸大卒の静岡大教授が講義をしてくれた。わかりやすくて楽しかった。こんな世界があるなんて、まだまだ知らないことだらけである。
日曜の午後三時過ぎに終わり、新幹線ですっ飛ばして帰ってきてホームグループに滑り込む。するとそこはいつもの日常である。生きる濃淡はここにある。いつも目の前にあるのであった。別に特別な世界がそこにあるわけではないし、美術の授業を受けたりそういうものに触れるのだって、大変な労力や費用がかかるわけではない。ほんのちょっと「その気になって」求める行動をするだけなのだ。
でもちょっと余裕がいる。余裕のないところには何も入ってこないからだ。手放せば新しいものが手に入るとはよく言ったものだ。
PHSの機種を変更した。いまは無料で機種変更ができる不思議なシステムが確立している。割賦により返済を遅らせると割引がきき、それが2年に渡れば機種代金が出てしまうというものなのらしい。支払いが早ければ割り引かれるというのならわかるが、代理店の競争の結果できたシステムなのだろう。
Advanced W-ZERO3(es)という機種にした。ちっちゃなWindowsが入っていて、エクスプローラもある。WordやExcelまで入っているから驚きだ。本体をずらすと英語キーボードすら出てくる。まるでミニパソコンだ。一昔前のPC/AT互換機よりはるかに高いスペックかもしれない。しかも2GBのmicroSDカードまで無料でついてきた。2GBですよ。
ついついたくさんのパケットをネットで使ってしまいそうだ。これもWILLCOMの戦略なのだろうか。便利な世の中になったものだ。
国分寺といえば、ぼくが新しい生き方を歩き始めた土地である。きょうは地域の集会であった。早めについたので過去通った教会のあたりとか、殿ケ谷戸庭園のそばなどを散策する。横浜と同じく、ここも少しずつ変わりつつある。中央線の高架化と立川までの緩行電車直通運転が始まると、さらに大きく変化するだろう。
集会では二つの選挙があった。といっても信任投票。よく知っている仲間の立候補で、こころから応援したくなる。サービスの扉が次々と開かれていくのがうれしい。そして海外サービスの分かち合い。午後も時間はあっという間に過ぎていった。
輪番制は命である。また一体性も必要である。バランスよく保たれているし、勇気を持って「責任」を唱えた仲間もいた。なかなかできることではない。きちんとみんなに伝えられなかった自分が情けなく思うこともしばしばである。流されて曖昧なまま、人に下駄を預けて終える生き方からは脱したいと思う。
東急東横線が特急電車を走らせてくれるようになってから、非常にアクセスがよくなった。しかも先述の副都心線が渋谷まで走っている。JRを一切使わずに横浜まで行ける。すごいことだ。安いし速い。渋谷・横浜間なんて260円だもんね。しばらくしたら副都心線と東横線が直通運転するようになるというから、鬼に金棒だ。
2001年のイベント実行委員会の日々。東横線ホームもみなとみらい線も、当時は延々と工事をしていた印象があったが、今ではすっかり見違えるようになった。
仲間と一日過ごし、帰途に着く。いろいろと複雑なものも心に飛来する。仲間の提案を忠実に聞き、積み重ねてきたこれまでの日々は、ひょっとしたら間違っていたのだろうか?とか。
新しい場面であることは確かなようである。
夏にここでも取り上げた東京メトロ副都心線。朝ラッシュ時のすき具合はなかなかよい。それでも和光市・小竹向原間はかなり混んでいる。小竹向原・池袋間は女子高生が多い。池袋から雑司が谷まではやはりガラガラ。ちょうどよいロケーションに住めたものだ。千川で降りていく女子高生は都立板橋高校だろうか。要町でも男女高校生が乗り降りする。電車もきれいだし駅もきれいでトイレもきれい。しばらくは副都心線生活だろうなぁ。
生き方が変わって15周年の記念パーティー。「バースデー」と呼ぶ習慣である。ちょうど還暦を迎えたばかりの仲間も来てくれた。
杉並のときとは客層がまったく変わってしまった。そんなに歩いている場所が変わったわけでもないのに、不思議だね。これが一年間の成果なのかもしれない。自宅に帰ってから、今日来てくれた仲間の名前を全部日記帳に書きとめる。38人であった。この人たちの「バースデー」に全部行ったらどうですか?という提案もある。まあそれは無理にしても、一年で38箇所のグループのメダルミーティングに参加することくらいならできるだろう。
地域オフィスと全体サービスオフィスにそれぞれ大一枚の個人献金。小五枚ずつの時期も続いたが、感謝の思いは物質にしなくてはと少し思う。生活に支障もないのだからね。あと、最近はふだんの月も小三枚ずつの個人献金も振り込んでいる。オフィスがなくてはわれわれの活動はできないからである。
「今日一日」のメダルも個人的にいただいた。一ヶ月〜15年まで、今までもらったメダルはすべて手元にあるが、じつはワンデーだけは仲間にあげてしまって欠番になっていたのだ。揃ってちょっとうれしい。そして新しい仲間にまた恩返しをしていかなくてはなるまい。
ああ、また切符を切られてしまった。バイクで護国寺交差点を左折するときに指定方向通行帯違反。左折レーンに赤信号で止まっている車の前に、右から追い越して黄色い線を越えて出たところで、交差点から警官が見ていたのだ。目が合った途端警官がにっこりと笑う。黄色い線をもう一度戻って直進しなおすのも違反の上塗りのような気がして「あの警官、ただにっこりしてるだけだよなぁ」などと自分を納得させつつ、青信号になったので、見逃してくれる可能性に期待をかけてさっさと左折しようとしたが、警官は当然のように赤い棒をぼくに向かって振りながら、ますますにっこりしてくるのであった。
点数一点、反則金6000円。まあ軽微な部類はであるが違反は違反。昨年の駐車違反からせっかく一年以上経過して点数ゼロに戻ったのに、またカウントが始まってしまう。そしてこの6000円があればあれも食えたのにとか、これも買えたのにとか、そういう恨みがましい気持ちが立ち昇ってくる。国庫納入だから税金の一種だよ、事故、事故と割り切っていこう。最近都心は白バイがやたら多く出動していて切符切られやすそうなので、みなさんも気をつけて。
初めて受験した。会場は慶応義塾大学の日吉校舎。早稲田や明治と比べて都心にないので日吉までわざわざ行くことはめったにない。広い土地と銀杏並木、そして福沢諭吉の胸像が印象的だった。私立大学ならではの歴史の重みがある。
今回の検定では、もっともやさしい五級と四級を併願した。選択式の筆記試験が大部分で一部聞き取り問題もあった。五級はまずまずの出来だったが四級は苦労した。苦労の要因は、まず耳がドイツ語に慣れていないこと、そして圧倒的な語彙不足である。外国語は単語がわからないと五里霧中である。20年以上前に受験の英語で痛感したはずなのだがドイツ語でもまったく同じ事情のようだ。
放送大学のドイツ語学習カリキュラムをしっかりやれば検定も十分うまくいきそうな気がする。ただし、やはりスキット(短い会話)が聞き取れるレベルにまで実力がつかないと難しいかもしれない。
でも未知の外国語は学ぶに値する。かならず役に立つからである。
11/26(水)に、自分のバースデーミーティングが迫っている。今日は同じくバースデーを迎える仲間と一緒に、ケーキの予約をしに行った。
当初、豪華に千疋屋か高野フルーツパーラーあたりでどうか、なんて話もあったが、結局ふつうのケーキ店で予約。スタンダードなデコレーションタイプとタルトのタイプで決定。あとは当日ロールケーキを追加することにした。
日曜の昼下がりに女性と二人でケーキ買ったり喫茶店に入ったりって、まるでカップルみたいである。もちろんそのあとグループのミーティングに一緒に行くわけだが、10何年前にこんな光景を想像できただろうか。穏やかで落ち着いた毎日を過ごせることに感謝である。
こちらもバースデーの話題。本物の誕生日。何度かこのブログにも登場しているが、両親の誕生日がまた巡ってくる。11/20と11/21。今年は京王百貨店のお歳暮催事場から、牛肉佃煮セットを注文し配送を頼んだ。手紙は別途書いて送る。父はまだ中曽根氏の年齢まではるか14年だ。まだまだ、ぶいぶい言わして行けるぞ父ちゃん!
同窓会の記念行事で、中曽根康弘元首相が講演した。護衛の人に囲まれ、壇上に上がる。生で見られてよかった。90歳だ。たぶん大正生まれだろうか。しっかりと話していた。老人とは思えない。
政治的な発言が次々に飛び出してきた。衆院解散時期や大連立の可能性など。すでにネットニュースなどで流れているようだ。印象的だったのは「政治に宗教性が帯びるのは当たり前だ」という発言。政教分離の原則が真の民主主義の姿と教育されてきたぼくには衝撃的だ。公明党と自民党が連立している現状が背景にあるのかも。
ぼくの現在の政治的活動とは対極にある人物だが、最長老の先輩かもしれない。そして何より、あなたはとっても有名だよ。
新しいグループで運ぶメッセージの新規開拓を約一年間作業してきたが、ようやくメッセージ開始にこぎつけた。多摩地区の中間施設。司会ボランティアを二年以上個人的に続けてきて、これが実を結んだという感じである。
病院やクリニック、保健所など、新規先を探してさまよい、話を持ちかけては断られ、持ちかけては断られの連続であった。もちろんぼくだけではなく、グループの仲間も協力してやっていたのだが、一人で向かっていってすげなく断られた日もあった。
万感迫る思いでのスタートである。今日はその第一日となった。当面第三土曜の午後のプログラムで継続していく。始めた以上は前のグループのときみたいに、少なくとも10年くらいは休まず続けていきたいね。