記念ミーティングというか、一般には「感謝の集い」である。年末ではないが、一足先に、一年を振り返る。たくさんの仲間と出会えた。じわりじわりと効果がもらえる。
忙しい時間と、無為の時間と、かなり差が大きい。一日のうちでも仕事のあるなしにかかわらず、最近は午前中から昼過ぎにかけて、ゆったりしていることが多い。そして五時くらいから一挙にスケジュールが詰まってくる。会議三連とか、会議バッティングとかがよく起こる。組合活動やボランティア関連が自分の生活の中心なので致し方ないのかもしれないが。
どちらかといえば、午前中にいろいろと面倒なことを済ませてしまいたい気もするが、人の都合とあわせて動かなくてはならないので、そうもいかないね。賃金の発生しない仕事というのは、自分の血と肉を作っていくという感じもする。
先日ここに連絡切符を回収された無念の文章を書きなぐったわけだが、ハイヤーパワーはそんな自分の心情に配慮してくれてか、贈り物をくださった。贈り物……なんて大げさかもしれないが、池袋のメトロポリタン口のところで、ふと足元を見ると、大量の未使用メトロ回数券が散らばっているではないか。
ささっと拾い集めると、いずれも160円件片でどれも未使用、計五枚である(5枚で大量?)。拾得して届け出ないことは遺失物横領のかどで引っ張られるかもしれないが、こないだの一件で涙を飲んでいることもあり、ゆるしてくれる?
仲間がグループを抜けるということで、有志による送別会を行った。といってもみんなで焼肉を食べに行ったというだけである。狭い卓上にたれやお茶の器が並べられ、ひたすら肉を焼く。昔高円寺の牛角とかで仲間と一緒に行ったことを思い出す。帰りつくのが最近では珍しく23:00を回っていた。金曜の夜で電車も混んでたね。これからグループもまた新しいエポックに入るのか。
きのう高田馬場から高円寺へ向う途中、中野に降りる用事があったため、メトロ160円とJR130円の連絡切符で20円割引となる券面表示「中野→阿佐ヶ谷」の切符を270円で買った。中野で降りようと自動改札に入れたところ、切符は吸い込まれ、戻ってこない。何かの間違いかと思って駅員に抗議したのだが「連絡切符も下車すると前途無効です」の一点張りである。大変悔しい思いをした。損失金額はたったの(前途130円-割引額20円=)110円であり、株で損した額に比べたら実に二万分の一以下なのだが、金額の多少が問題なのではない。「出られると思ったのに出られなかった」のが問題なのだ。いや正確に言うと、改札は出られたので「出たときに切符を強制回収されて、運転会社が違うのにもかかわらず前途を無効にされた」のである。ふつう、連絡駅では出場できる…というか、会社が違う場合、出場乗り換えが普通なのだが、直通運転の連絡の場合、どのケースでも改札は自由に出られないのだろうか。
頑固に規則を崩さない駅員に対し、最終的に切れるカードとしたら「じゃあ出場するのをやめるから、改札機の中から切符だして返してくれ」という手段が残されていたのだが、改札外のケーキ屋で仲間と待ち合わせをしていてそれがもう十五分後に迫っていたし、高田馬場に戻って切符の払い戻しも不可能だから、やむなく今回は規則をのむことにした。110円を高い授業料と思うか、安い授業料と思うか。すくなくともぼくはこの一件をずっと忘れないであろう。
雑事を進める。学校のホームページを自宅で更新。ボランティア関係の議事録を確認。仲間から借りたDVD「ドランカー」を見る。あっという間に午前中の時間が過ぎていく。ドランカーは、ビル・ウィルソンの話だね。彼が病院やミーティング会場でニューカマーに話しかけている場面を見ていると、不覚にも涙腺が……。「一緒にやり直そう」。これはやっぱし、体験者のみ知る感情かもしれない。
午前の渋谷グループで日曜のスタート。いつ行っても大入り満員の会場だ。休日の朝・夕は、需要が非常に高いといえる。それに反比例して、休日の会場確保を維持できるグループは非常に少ない。公共施設は混む日だし、教会はミサがあるからだ。安定して開くことができる責任者の存在も忘れてはならない。この十数年で、開けている人は次々に変わってきたようだが、閉鎖にならなかったこと自体でもうそれだけでもすごいことだと思う。
昼過ぎに一度自宅に戻り、読書や文書作成などで午後を過ごしてから、夜は世田谷へ。小雨降る日曜の夕方というパターンがよくある。一時間半を過ごしたら、妄想も何もかもみんな吹き飛んでしまった。仲間の妄想をずっと聞いていたら、自分の妄想が消え去るのだ。これはやはり「他の人々」を発見したからだと思う。自己中心が吹き飛ぶくらい、仲間の病気はすごい。
証券口座に残っていた資金を、すべて銀行の普通口座に移動した。外貨かFXに振り替えて、スワップ(外貨金利)を稼ごうと思っていたのだが、激しい円安傾向で、いまはどの国の貨幣にも振り替えることがためらわれる。これも北朝鮮の有事に関係があるのか。また核実験なんかやられたら、さらに円安になるだろう。当面、投資信託で年6%くらいの利潤を確保しておくか…。
2006/07/01付けでここに書いたのだが、数々の名場面映像などを公開していたYouTubeというサイトがある。著作権に超問題あり?で、当局がほっとくわけもなく、ガサいれが入ったのか、JASRACが動いたのか、古く懐かしい映像・音楽などが一挙になくなってしまったようである。
ふつう、そうだろうね。TV映像が多かったのだが、外野から視聴しているだけのわれわれには、ちょっと残念なことでありました。音声だけでもアナログキャプチャしておけばよかったなぁ…とか思っても、まあ、あとの祭りだね。
一日中、会議であった。疲労困憊。でも、これがいまの自分の、課せられた課題という感じがする。
八時を超えたのは久しぶりかも。日曜の明大前休んだのも久々。要町のなか卯で牡蠣とじ丼を食べて帰った。
ホームグループのミーティングで話をして、踏ん切りがついたと思う。所持資金の三割を喪失し、もうここで潮時と思った。しらふでの底つきは本当にシビアである。しかしながら、これでもう一喜一憂の生活から解放されると思うと、ほんとうにほっとする。自助グループにつながったときと同じような感覚である。「これで病気を終わらせることができる」
帰宅早々ログインし、全保有株を売り注文。月曜の九時に相場が始まったところで、寄り付きにてすべて清算となる段取り。三営業日を経て、口座に戻して短いようで長かったこの戦いが終わる。
あるはずだったお金のことはもう考えないようにしよう。一年半もすれば、それくらいの金額は簡単に稼げるのである。こころの平和の購入と社会勉強の授業料と思うことにしよう。気が済むまでやったということであったろう。